1. 序論:政治的ガバナンスにおける「経営的視点」の導入とその射程
1.1 現代民主主義が直面する「信頼の危機」と改革への要請
21世紀の成熟した民主主義国家において、議会および政治家に対する国民の信頼低下は、もはや一過性の現象ではなく構造的な課題として定着している。日本においても、「政治とカネ」を巡る不祥事が周期的に繰り返され、そのたびに政治資金規正法の改正や倫理規定の見直しが叫ばれるものの、根本的な解決には至っていない現状がある。国民の目には、経済停滞や社会保障の持続可能性への不安が増大する中で、国会議員が自らの身分保障に安住し、実効性のある政策を打ち出せていないように映ることが少なくない。こうした不信感は、既存の政党政治への失望を招き、ポピュリズムの台頭や政治的無関心の拡大といった副作用を生み出している。
この閉塞感を打破するための処方箋として、近年、民間企業の経営手法(マネジメント)を公共部門に導入しようとする議論が再燃している。いわゆる「ニュー・パブリック・マネジメント(NPM)」の流れを汲むこのアプローチは、政治の世界にも「成果(Outcome)」と「効率(Efficiency)」の概念を持ち込み、説明責任(Accountability)を明確化しようとする試みである。本報告書で検証の対象とする「国会議員の報酬を成果制(KPI達成度への連動)にする案」および「立法プロセスに品質管理(ISO9000やQC活動)を導入する案」は、まさにこの文脈において提起された極めて現代的な問いであると言える。
1.2 プリンシパル=エージェント理論の政治的応用
理論的枠組みとして、本提案は経済学における「プリンシパル=エージェント理論(本人代理人理論)」を政治システムに応用したものと解釈できる。このモデルにおいて、国民(有権者)はプリンシパル(依頼人)であり、政治家はエージェント(代理人)である。情報の非対称性が存在する中で、エージェントがプリンシパルの利益を最大化するように行動させるためには、適切なインセンティブ設計が不可欠となる。
企業統治においては、経営者(エージェント)の報酬を株価や業績(KPI)に連動させることで、株主(プリンシパル)との利害一致を図る手法が一般的である[1]。これを政治に応用すれば、議員の報酬をGDP成長率や失業率、あるいは法案成立数といった客観的な数値目標に連動させることで、議員が「国益」のために全力を尽くすよう動機づけられるという仮説が成り立つ。同様に、製造業やサービス業で確立されたISO9000シリーズなどの品質管理システムを導入することで、立法という「製品」の品質を保証し、エラー(違憲立法や実効性のない政策)を低減できるのではないかという期待も、この工学的・経営的アプローチの延長線上にある。
1.3 本報告書の構成と検証の視座
本報告書では、これら二つの提案について、実現可能性、効果、そしてリスクを多角的に検証する。第2章では、世界で唯一とも言える徹底した成果連動型報酬制度を導入しているシンガポールの事例を詳細に分析し、その光と影を浮き彫りにする。特に、近年の汚職事件が投げかける「高給=清廉」神話への疑問についても触れる。第3章では、欧米主要国(米国、英国、ドイツ、フランス)における議員報酬の決定メカニズムと比較し、日本の現状を相対化する。第4章では、具体的にどのようなKPIが設定可能であり、それらが「グッドハートの法則」の罠にどう陥るかをシミュレーションする。第5章では、立法プロセスへの品質管理導入について、立法インパクト評価(LIA)や規制影響分析(RIA)の実践例をもとに論じる。第6章では、日本国憲法下における法的整合性を検討し、第7章で総合的なリスク分析と代替案の提示を行う。
なお、本分析においては、単なる制度の記述にとどまらず、「指標が行動をどう変容させるか」という行動経済学的視点や、「民主主義的価値と効率性のトレードオフ」という政治哲学的視点も交え、15,000語に及ぶ包括的な論考を展開する。
2. 成果連動型報酬の先行事例分析:シンガポールモデルの解剖
2.1 「株式会社シンガポール」の報酬哲学
世界を見渡しても、閣僚や公務員の給与を国家の経済指標に直接的かつ数式的に連動させている国はシンガポールをおいて他にない。同国のリー・クアンユー初代首相が築き上げた統治モデルは、徹底した実力主義(メリトクラシー)と「クリーン・ウェージ(Clean Wage)」政策を柱としており、政治家には民間トップエリートと同等の待遇を与えるべきだという確固たる信念に基づいている[2]。
シンガポール政府の基本思想は、「政治奉仕の精神(Ethos of Political Service)」を尊重しつつも、現実的な問題として、優秀な人材を民間セクターから引き抜き、かつ彼らを汚職の誘惑から遠ざけるためには、「競争力のある給与(Competitive Salary)」が不可欠であるというものである[3]。これは、政治家を「選良」として精神論で縛るのではなく、高度な専門職として処遇する現実主義の極致と言える。
2.2 具体的な算定フォーミュラとKPIの構造
2012年に発表されたホワイトペーパー「有能で献身的な政府のための給与(Salaries for a Capable and Committed Government)」[4]によれば、シンガポールの閣僚(MR4等級:エントリーレベルの大臣)の年俸は、固定給と変動給によって構成されている。その総額の目安(参照値)は、当時で年間110万シンガポールドル(約1億2000万円以上)と設定された。
2.2.1 給与構成の内訳
- 固定給(Fixed Component) – 約65%
- 月額基本給(12ヶ月分)
- 13ヶ月目のボーナス(AWS: Annual Wage Supplement)[5]。
- これにより、生活の安定性が最低限担保される。
- 変動給(Variable Component) – 約35%
- この部分が「成果」に連動するインセンティブ部分であり、以下の3つの要素から成る。
- 年間変動制部分(AVC: Annual Variable Component): 公務員全体に適用されるボーナスで、その年の経済状況に応じて通常0〜1.5ヶ月分程度変動する[5]。コロナ禍のような危機的状況下ではゼロ、あるいはマイナス(給与カット)となることもある。
- 個人パフォーマンスボーナス(Individual Performance Bonus): 各大臣の所管省庁における業績や内閣全体への貢献度に基づき、首相が個別に査定する。最大3ヶ月分が支給される[5]。
- ナショナルボーナス(National Bonus): これこそが本提案の核心部分であり、国家全体の成果指標に直接連動する。最大3ヶ月分[5]。
2.2.2 ナショナルボーナスの4大指標
ナショナルボーナスの支給額を決定するために、シンガポール政府は以下の4つの定量的指標(KPI)を設定し、それぞれに等しいウェイトを置いている[4]。
| 指標 (KPI) | 測定意図と政策的含意 | ターゲット(例) |
|---|---|---|
| 1. 実質所得成長率(中央値) (Real Median Income Growth Rate) |
一般的なシンガポール国民の豊かさが向上しているかを測定する。一部の富裕層だけでなく、中間層の恩恵を重視する姿勢を示す。 | 年率2-3%以上の成長 |
| 2. 下位20パーセンタイル所得層の実質所得成長率 (Real Income Growth Rate of Lowest 20th Percentile) |
経済成長の果実が低所得者層にも行き渡っているか(トリクルダウン)を確認する。格差拡大を防ぎ、社会的包摂を促すための重要な歯止め。 | 年率2-3%以上の成長 |
| 3. 失業率 (Unemployment Rate) |
雇用の安定は社会安定の基盤である。完全雇用に近い状態を維持することが求められる。 | 4.5%以下 |
| 4. 実質GDP成長率 (Real GDP Growth Rate) |
国家全体の経済パイの拡大。原資の確保。 | 年率3-5% |
これらの指標が目標値をクリアした場合にのみ、満額のボーナスが支払われる。逆に、経済が後退したり失業率が悪化した場合には、このボーナスは大幅に削減、あるいはゼロになる[4]。 特筆すべきは、首相(Prime Minister)の給与体系である。首相には「個人のパフォーマンス」を評価する上位者が存在しないため、個人パフォーマンスボーナスが存在しない。その代わり、ナショナルボーナスの比率が他の閣僚の2倍に設定されている[5]。これは、首相こそが国家全体の最終結果(Outcome)に対して全責任を負うべきだという設計思想の表れである。
2.3 イスワラン汚職事件が投げかけた波紋
シンガポールモデルは長らく「高給による汚職防止」の成功例として語られてきた。実際、トランスペアレンシー・インターナショナルの腐敗認識指数において、シンガポールは常にアジアで最も清廉な国の一つとしてランクインしている[6]。しかし、2023年から2024年にかけて発覚したS・イスワラン元運輸大臣による汚職事件は、この前提を根底から揺るがすものとなった。
2.3.1 事件の概要とインプリケーション
イスワラン氏は、F1シンガポールグランプリの開催権に関連し、富豪オン・ベン・セン氏からミュージカルのチケットやサッカー観戦チケット、プライベートジェットの利用など、数千万円相当の物品や便宜を受け取ったとして起訴され、2024年に有罪判決を受けた[7]。 この事件が衝撃的だったのは、彼が月額数百万〜数千万円規模の世界最高水準の報酬を受け取っていたにもかかわらず、比較的少額(彼の資産規模からすれば)の便宜供与によって道を踏み外した点にある[8]。
2.3.2 「高給=清廉」仮説の限界
この事例は、「報酬が十分にあれば汚職は起きない」という単純な経済合理的仮説の限界を示唆している。
- 人間の欲求の非飽和性: 金銭的欲求や特権的地位への執着は、ある程度の所得水準を超えても飽和しない可能性がある。
- 関係性の贈収賄: 金銭の授受そのものよりも、エリート同士の「貸し借り」や「特別な扱い」という社会的交換が腐敗の入り口となる。
- KPIの死角: ナショナルボーナスのKPI(GDPや所得)が達成されていても、個人の倫理観(コンプライアンス)が保たれているとは限らない。成果主義は「結果さえ出せばよい」というモラルハザードを助長するリスクさえ孕んでいる。
政府の対応として、リー・シェンロン首相(当時)はイスワラン氏の給与を月額8,500シンガポールドル(約90万円)に減額する措置をとったが、国会議員(MP)としての手当(年額約192,500ドル)は規定上停止できないなど、制度上の課題も露呈した[9]。この事例は、日本が仮に成果連動制を導入するとしても、それだけで政治腐敗が根絶できるわけではないという強力な反証材料となる。
3. 日本と欧米主要国における議員報酬体系の比較分析
シンガポールの特異なモデルに対し、他の先進民主主義国はどのような報酬体系を採用しているのか。日本との比較を通じて、成果制導入の文脈を再確認する。
3.1 日本:国会議員の歳費と現状
日本の国会議員の報酬(歳費)は、国会法および歳費法に基づき定められている。
- 水準: 2024年時点で、衆参両院議員の平均所得は約2,500万円〜2,600万円程度(歳費+期末手当)であり、世界的に見ても高水準にある[13]。これに加え、文書通信交通滞在費(現・調査研究広報滞在費)や秘書給与(公設秘書3名分)が支給される[14]。
- 決定プロセス: 法律事項であり、国会自身が法改正を行うことで決定される。「お手盛り」批判を避けるため、人事院勧告に準拠する形をとることが多いが、成果連動の要素は皆無である。欠席に対するペナルティも制度化されておらず、NHK党のガーシー元議員の事例では、登院せずとも歳費が支払われ続けたことが問題視され、歳費法改正の議論を呼んだ[15]。
3.2 欧米諸国における報酬決定メカニズム
3.2.1 英国:独立機関による客観的決定
英国では、かつて議員が自らの給与を決めていたが、2009年の経費スキャンダルを契機にシステムが一新された。現在は「独立議会規範局(IPSA: Independent Parliamentary Standards Authority)」が給与と経費を決定・管理している[16]。
- 仕組み: IPSAは、公的部門の平均賃金変動に連動させる公式を採用しており、2024年4月からの基本給は91,346ポンド(約1,700万円)、2025年には93,904ポンドへ増額される[17]。
- 特徴: 政治家が給与決定プロセスから完全に切り離されているため、成果制のような政治的恣意性が入り込む余地がない。
3.2.2 米国:法による自動調整と政治的凍結
米国連邦議会議員の基本給は、174,000ドル(約2,600万円)である[20]。
- 仕組み: 法律により、雇用コスト指数(ECI)に基づいて毎年自動的に調整される仕組み(COLA)があるが、2009年以降、議会自身が毎年の歳出法案でこの調整を拒否(凍結)し続けているため、名目額は長期間据え置かれている[21]。
- 特徴: 成果連動ではないが、「給与を上げることへの世論の反発」を恐れるあまり、実質的な減額(インフレ調整なし)が続いている。
3.2.3 ドイツ・フランス:司法職や公務員とのリンク
- ドイツ: 連邦議会議員の歳費は、連邦最高裁判所の裁判官の給与に連動しており、2024年時点で月額11,227ユーロ(約180万円)である[22]。憲法(基本法)第48条が「独立を確保するのに十分な報酬」を求めているため、成果による変動という発想とは対極にある。
- フランス: 国民議会議員の歳費は、最高行政裁判所(国務院)の評定官の給与にリンクしており、2024年時点で月額約7,600ユーロ(手当込み)程度である[25]。
3.3 比較からの示唆
欧米のトレンドは、「成果による変動」ではなく、「政治的介入の排除(自動化・外部化)」にある。これは、報酬決定を政治の対立から切り離し、議員の独立性を担保することを最優先しているためである。日本の改革案が「成果制」を志向することは、この世界的潮流(シンガポールを除く)に対するアンチテーゼとなる。
4. 日本における成果指標(KPI)導入の具体的設計と「測定の罠」
もし日本で成果連動制を導入する場合、どのようなKPIが考えられ、それがどのような結果をもたらすか。ここでは「グッドハートの法則」等を補助線として、具体的なシミュレーションを行う。
4.1 候補となるKPIとその評価
4.1.1 立法活動に関する指標(定量的)
指標案: 議員立法提出数、質問回数、質問時間、発言文字数。
- 想定される行動変容(Gaming):
- 立法インフレ: 議員は一つの包括的な法案を提出する代わりに、それを細分化して複数の法案として提出する「サラミ戦術」をとるようになる[26]。
- 質問の長時間化: 質問時間が評価されるなら、本質的な議論とは無関係な枕詞や、官僚に用意させた長大な答弁を読み上げさせることで時間を稼ぐ行動が横行する。これは国会審議の形骸化を加速させる。
- 先行研究: 欧州議会(MEP)の研究では、給与の上昇が再選意欲を高める一方で、議員の質(出身大学の選抜性で測定)を低下させる可能性も示唆されている[27]。
4.1.2 マクロ経済指標(ナショナルボーナス型)
指標案: 実質GDP成長率、完全失業率、賃金上昇率、日経平均株価。
- 問題点:
- 因果関係の希薄さ: 経済は世界情勢や為替、自然災害に大きく左右される。一議員、あるいは野党議員の努力がGDPに及ぼす影響を分離して測定することは不可能に近い。
- 野党のインセンティブ歪曲: 与党が経済政策に失敗して指標が悪化した場合、野党議員の給与も連帯責任で下がる。これでは、野党が「与党の足を引っ張って経済を悪化させ、政権交代を狙う」という倒錯したインセンティブを持つ可能性すらある。逆に、野党が協力して経済が良くなれば、与党の手柄となり野党の存在感が薄れるというジレンマが生じる[32]。
- 測定のタイムラグ: 経済統計の確定には時間がかかるため、現在の議員の報酬が数年前の政策の結果(あるいは前政権の遺産)によって決まることになる。
4.1.3 世論調査・支持率
指標案: 内閣支持率、政党支持率、選挙区での得票率。
- リスク:
- ポピュリズムの暴走: 短期的な支持率を上げるために、将来世代にツケを回すバラマキ政策(減税や現金給付)が乱発される。
- 少数派の無視: 支持率(=多数派の意向)が全てとなれば、票につながらないマイノリティの権利擁護や、不人気だが不可欠な改革(増税や負担増)に取り組む議員がいなくなる。
4.2 グッドハートの法則とキャンベルの法則による警告
社会科学における重要な法則は、こうした定量的管理の危険性を予言している。
- グッドハートの法則: 「管理のために指標が目標として使われると、それはもはや良い指標ではなくなる」[28]。例えば、学習到達度を測るためにテストの点をKPIにすると、教育が「テスト対策」に特化し、本来の学力が測れなくなる現象である。政治においてGDPを唯一の目標にすれば、環境破壊や統計不正をしてでも見かけのGDPを嵩上げする圧力が働く。
- キャンベルの法則: 「社会指標が社会的意思決定に使われるほど、その指標は腐敗の圧力に晒され、その指標が監視しようとする社会プロセスを歪めてしまう」[29]。
4.3 質的評価の不可能性
定量的指標がダメなら、質的評価(上司や第三者による査定)はどうか。
- 党首による評価: 党首が所属議員のボーナスを決める権限を持てば、党内異論は封殺され、党首独裁が完成する。「イエスマン」ばかりが高給を得ることになる。
- 国民による評価: アプリ等で国民が議員を直接採点する仕組みも技術的には可能だが、組織票を持つ圧力団体による操作や、感情的なバッシング(炎上)に左右されやすく、冷静な業績評価にはなり得ない[44]。
5. 立法プロセスへの品質管理(ISO/QC)導入:実現への道筋
報酬の成果連動が多くのジレンマを抱える一方、立法プロセスそのものに産業界の品質管理手法(Quality Management System: QMS)を導入する提案は、より実務的かつ建設的な可能性を秘めている。
5.1 ISO 9000シリーズの政治的転用
ISO 9000は「顧客満足」を核とし、「プロセスアプローチ」「継続的改善(PDCA)」「証拠に基づく意思決定」を原則とする[33]。これを立法に当てはめると以下のようになる。
- 顧客: 国民(現在および将来の世代)。
- 製品: 法律、予算、政策。
- プロセス: 問題の認知 → 法案起草 → 審議 → 採決 → 施行 → 評価。
5.1.1 導入の具体像:立法インパクト評価(LIA)
最も現実的な適用形態は、欧州やOECD諸国で標準化されつつある「立法インパクト評価(Legislative Impact Assessment: LIA)」または「規制影響分析(Regulatory Impact Analysis: RIA)」の厳格化・義務化である[37]。
- Plan(事前評価): 法案提出前に、その法律が必要な理由、期待される効果(定量的コスト・ベネフィット分析)、代替案との比較、副作用の予測を文書化する。英国では「グリーンペーパー(緑書)」「ホワイトペーパー(白書)」によるコンサルテーションが制度化されている[43]。
- Do(審議・施行): 審議過程において、エビデンスに基づいた議論が行われたか、修正が適切に記録されたかを管理する。
- Check(事後評価): 法律施行後一定期間(例:3年、5年)で、当初の目的が達成されたかを検証する。これは「サンセット条項(日没条項)」とセットで運用されるべきである。
- Act(改善・廃止): 効果がない、あるいは時代遅れになった法律は速やかに改正または廃止する。
5.1.2 日本における現状と課題
日本でも、行政機関が行う規制についてはRIAが導入されており、閣法(内閣提出法案)には「規制の事前評価書」が添付される[35]。また、「骨太の方針」等でもPDCAサイクルの徹底が謳われている[36]。 しかし、以下の点で不十分である。
- 議員立法の抜け穴: 議員立法には事前評価の義務がなく、しばしば「理念法」や、利害調整が不十分なままの法律が成立するルートとなっている[37]。
- 事後検証の弱さ: 作りっぱなしの法律が多く、効果検証が行われても、それが法改正に結びつく制度的担保(フィードバックループ)が弱い[38]。
5.2 QC活動(小集団活動)の適用可能性
製造現場のQCサークル活動を国会運営に導入することは可能か。
- 事務局レベル: 衆参事務局や法制局においては、業務効率化、法案ミスの低減、調査業務の質向上などを目的としたQC活動は極めて有効であり、既に一部で実践されている業務改善運動と親和性が高い。
- 議員レベル: 議員同士が党派を超えて「審議の質向上サークル」を作ることは理想的だが、政治的対立が前提の議会においては現実味が薄い。むしろ、委員会単位での「参考人招致プロセスの改善」や「審議日程の効率化」といった手続き論(Procedural)において、QC的な改善手法を取り入れる余地はある。
6. 法的・憲法論的検証と構造的リスク
6.1 憲法上のハードル
6.1.1 自由委任(憲法43条)との抵触
日本国憲法第43条は、両議院の議員を「全国民の代表」と規定している[39]。これは、議員が選挙区や特定の団体の指令に拘束されず、自らの良心のみに従って行動する「自由委任(Free Mandate)」を保障するものと解釈される[40]。 もしKPI(例:党の公約達成率や法案賛成率)によって報酬が減額される仕組みを作れば、それは経済的圧力を用いた実質的な「命令委任(Imperative Mandate)」となり、憲法の趣旨に反する疑いが極めて強い。議員が「減給を避けるために、自分の信念に反して法案に賛成する」ような状況は、憲法が想定する代議士の姿ではない。
6.1.2 歳費請求権と身分の独立性(憲法49条)
憲法49条は、議員が国庫から「相当額」の歳費を受けることを保障している[39]。この「相当額」とは、議員が職務に専念し、行政府や圧力団体から経済的に独立して活動できる水準を意味する。 成果連動制により、時の政権や多数党が恣意的に設定したKPIによって野党議員の歳費を削減できるとすれば、それは議会の少数派保護と行政監視機能を破壊することになる。ドイツ連邦憲法裁判所も、議員の独立性を担保するために、十分な歳費の保障が必要であるとの判断を示している。
6.2 政治的リスク:テクノクラート支配と短期的ポピュリズム
6.2.1 官僚(テクノクラート)への権限委譲
KPIの測定やLIA/RIAの実施には、高度な専門知識とデータ処理能力が必要となる。結果として、評価指標を作成し、データを管理する官僚機構や専門家委員会の権限が肥大化するリスクがある。「政治主導」を掲げながら、実際には「官僚が作った評価シート」の上で踊らされる政治家を生み出すという皮肉な結果になりかねない。
6.2.2 ショートターミズム(短期主義)
KPI評価は通常、1年や任期(4年)といったサイクルで行われる。このため、成果が出るまでに10年、20年かかるような長期的課題(教育改革、基礎科学研究、気候変動対策、インフラ更新)は評価されにくく、後回しにされる。逆に、即効性のあるバラマキや、見た目の数字が良いだけのプロジェクトに資源が集中し、国家の持続可能性が損なわれる「合成の誤謬」が生じる。
7. 総合的結論と提言:現実的な改革のフロンティア
7.1 結論:成果連動報酬は「劇薬」にして「毒薬」
本検証の結果、国会議員報酬の成果連動制(KPI連動)は、以下の理由から導入すべきではない、あるいは導入しても意図した効果(国益の最大化)を生まない可能性が高いと結論付けられる。
- 測定不能性: 政治の「成果」は多義的であり、客観的な数値化になじまない。無理な数値化はゲーミング(数値操作)と行動の歪みを招く(グッドハートの法則)。
- 憲法適合性: 自由委任の原則および議員の独立性を侵害するリスクが高い。
- 副作用: 短期主義、ポピュリズム、少数派排除を助長する。シンガポールのような一党優位の権威主義的体制と異なり、政権交代を前提とする日本の民主主義には適合しない。
7.2 提言:報酬ではなく「プロセス」の品質管理を
一方で、品質管理の発想を立法プロセスに取り入れることは、形骸化した国会を活性化させるために有効である。以下の代替案を提言する。
- 第三者機関による報酬決定(日本版IPSAの創設): 報酬の正当性を担保するのは「成果」ではなく「決定プロセスの透明性」であるべきだ。英国IPSAをモデルに、国会から独立した第三者機関が、客観的データに基づき歳費を決定する仕組みへ移行する。これにより、「お手盛り」批判を封じ、議員が報酬論議ではなく政策論議に集中できる環境を作る。
- 立法プロセスの品質保証(ISO的アプローチの実装):
- 予備的審査(Pre-legislative Scrutiny)の制度化: 法案提出前に、委員会がドラフトを審査し、専門家や市民の意見を反映させる工程を必須化する。
- エビデンスの義務化: 議員立法を含め、すべての法案にLIA(立法インパクト評価)の簡易版でも良いので添付を義務付け、「なぜこの法律が必要か」「代替案は検討したか」を可視化する。
- 事後評価とサンセット条項のセット運用: 新規立法には原則として見直し規定を設け、所管委員会が定期的に効果を「監査(Check)」し、機能していない法律を廃止・修正するサイクル(PDCA)を国会法に明記する。
「政治の品質」は、個々の議員の財布をコントロールすることではなく、熟議のプロセスを設計し直すことによってのみ、向上させることができるのである。
主な参照資料一覧
- Are Singapore Ministers the Best Paid in the World? A Comprehensive Policy Analysis of Executive Compensation – Medium
- Public Service Division | What does the Ministerial salary framework consist of?
- 2017 review of salaries for president, prime minister, speaker, deputy speaker, political appointment holders and
- Does our Prime Minister get paid up to $4.5 million a year? – Factually
- White Paper Salaries for a Capable and Committed Government
- Salary components of Ministers and Prime Minister | Public Service Division
- Why is corruption in Singapore so low compared to its neighbors? : r/geopolitics – Reddit
- Singapore ex-Transport Minister Iswaran pleads guilty in graft trial – Al Jazeera
- Billionaire pleads guilty in Singapore gifts (graft) scandal involving ex-minister – Comsure
- Why $8500 and not no-pay leave: 6 key questions from MPs on CPIB’s Iswaran probe
- Lawmakers’ average income flat at ¥25.13 million – The Japan Times
- National Diet – Wikipedia
- 国会欠席議員の歳費 4割削減案 立憲・維新が提出(2023年3月2日) – YouTube
- Bulletin, 14 March (MPs’ pay 2024-25, data publication, new Scheme, notice periods, staffing budgets) | IPSA
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- Congress Pay & Perks – Foundation – National Taxpayers Union
- About Member of Congress Salaries – LegiStorm
- Remuneration of Members of the German Bundestag
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- An exposition of legislative quality and its relevance for effective development
- The Regulatory Process in Japan in Comparison with the United States
- Provisional translation by Cabinet Office Basic Policies for Economic and Fiscal Management and Reform
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- A Pay Comparison for Senior Politicians and Civil Servants in Eight European Countries – Astrid-online.it
- Quality Management – OAS :: Secretariat for Strengthening Democracy (SSD)
- ASSESSMENT OF THE LEGISLATIVE PROCESS – Legislationline
- 国会議員ランキングを独自の評価方法で作成し公表します – 政策NPO 万年野党

