1. 序論:複合的危機としての少子化と国家の持続可能性
1.1 研究の背景と目的
日本の少子化は、単なる統計上の人口変動にとどまらず、国家の存続基盤を揺るがす構造的な危機である。2022年の合計特殊出生率(TFR)は1.26まで低下し、年間出生数は80万人を割り込むという歴史的な低水準を記録した。この数値は、人口置換水準である2.07を大きく下回り、将来的な労働力不足、社会保障制度の崩壊、そして地域社会の消滅を示唆している。
本報告書は、「少子化の主因は『失われた30年』による経済停滞にあるのではないか」、および「政府はPDCAサイクルを機能させず、あるいは意図的に経済停滞・少子化を招いたのではないか」という仮説について、多角的な視点から検証を行うものである。特に、過去30年間にわたる政策決定プロセス、経済指標の推移、労働市場の構造変化、そしてジェンダー規範の影響を詳細に分析し、もし適切な政策介入(PDCAサイクルの正常な運用)が行われていれば、現在の壊滅的な状況は回避可能であったか否かを反事実的(Counterfactual)シミュレーションの観点も含めて考察する。
1.2 「失われた30年」と人口動態の同時性
日本経済は1990年代初頭のバブル崩壊以降、長期にわたる経済停滞、いわゆる「失われた30年」を経験した。この期間は、日本のTFRが急速に低下し、低位安定(Low-Fertility Trap)へと移行した時期と完全に重なっている。1990年のTFRは1.54であったが、経済成長の鈍化とともに下降線をたどり、一時的な微増(アベノミクス期など)を経てもなお、長期的な低下トレンドを脱していない。
経済学的な通説および実証研究において、GDP成長率と出生率の間には順行的な(Procyclical)関係があることが確認されている。経済成長は家計の所得期待を高め、結婚や出産といった長期的コミットメントを要する意思決定を後押しする。逆に、デフレーションと賃金停滞が常態化した日本経済において、若年層が将来への不安から家族形成を躊躇したのは経済合理的な行動の結果と言える。本報告書では、この経済停滞がどのようにして個人の再生産行動(Reproductive Behavior)にブレーキをかけたのか、そのメカニズムを解明する。
1.3 政策ガバナンスの不在:PDCA不全の仮説
企業経営において必須とされるPDCA(Plan-Do-Check-Act)サイクルが、日本の少子化対策においては機能していなかったという指摘は、政策評価の観点から極めて重要である。政府は1994年の「エンゼルプラン」以降、数々の対策を打ち出してきたが、出生率の反転という成果(Outcome)には結びついていない。これは、計画(Plan)の前提が誤っていたのか、実行(Do)が不十分だったのか、あるいは評価(Check)と改善(Act)のプロセスが形骸化していたのかを問うものである。さらに、新自由主義的な改革による労働市場の流動化が、少子化を加速させることを予見しながら推進されたとすれば、それは「意図的な」政策誘導の結果とも解釈できる。
2. 「失われた30年」の経済停滞と少子化の因果関係
2.1 マクロ経済環境と出生率の相関分析
「失われた30年」におけるマクロ経済指標の悪化は、家計の購買力と将来不安に直結し、出生率低下の直接的なドライバーとなった。
GDP成長率と家計所得の停滞
1990年代以降、日本の実質GDP成長率は低迷を続け、名目GDPに至っては約20年間にわたりほぼ横ばいで推移した。デフレーションの進行は企業収益を圧迫し、それが賃金の抑制へとつながった。厚生労働省の統計によれば、実質賃金は長期間にわたり伸び悩み、特に若年層の可処分所得は相対的に低下している。 研究によれば、出生率は景気変動に敏感に反応する。特に日本のような「男性稼ぎ主モデル」が根強い社会では、世帯主となる男性の所得安定性が結婚・出産の必須条件となる。経済停滞による所得の伸び悩みは、結婚のハードルを上げ、晩婚化・非婚化を進行させた。IMFの分析でも、持続的な経済成長が出生率上昇に不可欠であることが示されており、日本の長期停滞が少子化の根本原因であることは疑いようがない。
資産効果と世代間格差
バブル崩壊による資産価格(土地・株価)の暴落は、家計の逆資産効果を生み出した。さらに重要なのは、世代間の経済格差である。バブル期までに資産形成を終えた高齢世代に対し、バブル崩壊後に社会に出た世代は資産形成の機会を奪われた。この経済的基盤の脆弱化が、若年層の子育て能力を著しく低下させた。
2.2 労働市場の構造変化と「就職氷河期」の悲劇
「失われた30年」が少子化に与えた最大の影響は、労働市場の規制緩和とそれに伴う雇用の不安定化である。特に1990年代半ばから2000年代初頭にかけて社会に出た「就職氷河期世代(ロストジェネレーション)」への打撃は、人口動態上の致命傷となった。
正規雇用の縮小と非正規雇用の拡大
バブル崩壊後の不況下で、日本企業はコスト削減のために新規採用を絞り込み、非正規雇用の割合を大幅に増やした。1990年代初頭には20%程度であった非正規雇用率は、その後40%近くまで上昇した。 研究データは、雇用の安定性が結婚確率に決定的な影響を与えることを示している。特に男性において、非正規雇用者は正規雇用者に比べて既婚率が著しく低い。これは、経済的安定を結婚の前提とする社会的規範(Male Breadwinner Norm)が依然として強固であるためである。正規職に就けなかった多くの若者が、経済的理由から結婚市場から退場を余儀なくされた。
| 雇用形態と結婚 | 正規雇用男性 | 非正規雇用男性 | 影響のメカニズム |
|---|---|---|---|
| 有配偶率 | 高い | 極めて低い | 低所得および雇用継続性の欠如が、配偶者獲得競争における圧倒的な不利要因となる。 |
| 所得推移 | 年功序列的な上昇 | フラット(上昇しない) | 将来の教育費や住宅費の目処が立たず、子育てへの投資意欲が阻害される。 |
| 社会的地位 | 安定・信用あり | 不安定 | 住宅ローンの審査等、生活基盤構築における障壁が存在する。 |
スカリング効果(Scarring Effect)の永続性
就職氷河期世代が受けた経済的打撃は一時的なものではなく、長期的な「傷跡(Scarring)」として残った。新卒時に正規職を得られなかった人々は、その後も不安定な雇用と低賃金に甘んじる確率が高く、30代、40代となっても所得が回復しなかった。 この世代は、本来であれば第2次ベビーブームジュニアとして「第3次ベビーブーム」を起こす人口のボリュームゾーンであった。しかし、彼らの経済基盤を毀損し、未婚・晩婚化を放置したことで、日本は最大の人口回復のチャンスを失った。この政策的失敗こそが、現在の急激な人口減少の主因である。
2.3 機会費用の増大と女性の労働参加
経済停滞下で世帯所得を維持するため、女性の労働参加が進んだが、それは必ずしも少子化対策と両立する形ではなかった。
二重負担と出産忌避
男性の賃金低下を補うために共働きが増加したが、日本企業の長時間労働慣行や、性別役割分業意識(家事・育児は女性)は変わらなかった。その結果、働く女性にとって、出産・育児にかかる「機会費用(Opportunity Cost)」は増大した。 正規雇用で働く女性は、出産によるキャリア中断のリスクを恐れ、出産を先送りまたは断念する傾向が強まった。一方で、非正規雇用の女性は産休・育休の取得が困難なケースが多く、やはり出産へのハードルが高かった。
3. 日本政府の政策ガバナンス検証:PDCAサイクルの機能不全
読者の仮説である「政府はPDCAサイクルを回さず、少子化を招いた」という点について、政策プロセスの詳細な分析を行う。結論から言えば、日本政府の少子化対策は、科学的根拠に基づく計画(Plan)、十分な資源を投じた実行(Do)、厳格な効果検証(Check)、そして抜本的な修正(Act)の全てのフェーズにおいて機能不全を起こしていた。
3.1 Plan(計画)の失敗:誤った現状認識と過小な目標設定
1990年の「1.57ショック」以降、政府は少子化を問題として認識し始めた。しかし、初期の計画は根本的な誤解に基づいていた。
- 経済要因の軽視: 初期の「エンゼルプラン」(1994年)などは、保育所の整備など子育て環境の改善に主眼を置いていた。しかし、前述の通り少子化の主因は「未婚化」と「若年層の貧困」であった。政府は「結婚すれば子供は産まれる」という楽観的な前提に立ち、結婚への経済的障壁を取り除くための直接的な所得移転や雇用対策を計画の中心に据えなかった。
- 伝統的家族観への固執: 政策立案者の中に、「家庭内での育児」を美徳とする保守的な価値観が根強く、保育の社会化や現金給付の拡充に対して消極的な姿勢があった。これは、問題の所在(女性の負担過重と経済的不安)を直視せず、イデオロギーに基づいた計画策定を行ったことを意味する。
3.2 Do(実行)の失敗:資源投入不足と縦割り行政の弊害
計画が不十分であった上に、その実行段階においても致命的な欠陥があった。
- 圧倒的な予算不足: 日本の家族関係社会支出は、対GDP比で見て長らく1%台前半で推移してきた。これは、少子化対策に成功したフランスやスウェーデン(3%超)と比較して半分以下の水準である。財源の裏付けのない計画は「絵に描いた餅」に過ぎず、効果を発揮するに至らなかった。
- 縦割り行政: 少子化対策は、厚生労働省(保育・労働)、文部科学省(教育)、内閣府(調整)、財務省(予算)などにまたがる課題である。しかし、省庁間の連携不足により、総合的な戦略が欠如していた。2003年の少子化社会対策基本法の制定や担当大臣の設置も、実質的な権限と予算の統合にはつながらず、各省庁の既存事業の寄せ集めに終始した。
3.3 Check(評価)の失敗:数値目標の欠如と責任の所在
PDCAサイクルの要である評価プロセスが、日本政府においては形骸化していた。
- KPIの不徹底: 「希望出生率1.8」などの目標が掲げられることはあったが、それが未達に終わった際の原因究明(なぜ届かなかったのか、どの施策が効果的でなかったのか)が科学的に行われなかった。多くの施策は「実施したこと」自体が成果とされ、アウトカム(出生率の変化)に基づく評価がなされなかった。
- エビデンスの軽視: 政策効果の検証において、厳密なデータ分析(EBPM: Evidence-Based Policy Making)が導入されたのはごく最近のことである。それまでは、効果の不明確な補助金やキャンペーンが漫然と繰り返された。例えば、大規模な婚活イベント支援などがその一例であり、これらがマクロの出生率に与える影響は限定的であった。
3.4 Act(改善)の失敗:構造改革の先送り
評価が機能しないため、抜本的な改善(Act)も行われなかった。
- 若年層支援の遅れ: 氷河期世代が支援を必要としていた時期に有効な手を打たず、問題が高齢化・固定化してから「氷河期世代支援プログラム」などを打ち出したが、時すでに遅しであった。これは、状況の変化に応じて迅速に政策を修正する能力(アジリティ)の欠如を示している。
- シルバー民主主義: 政治的な票田である高齢者向けの社会保障(年金・医療)は聖域化され、若年層・子育て世代への予算配分シフトという「改善」は常に後回しにされた。これは、国家の長期的利益よりも短期的な選挙対策を優先した結果であり、ガバナンスの失敗と言える。
4. 「意図的な経済停滞・少子化」説の検証:政策的未必の故意
読者は、政府が「意図的に」この事態を招いた可能性を指摘している。陰謀論的な「人口削減計画」の証拠はないものの、政策の優先順位付け(Prioritization)の結果として、少子化を「許容可能なコスト」として扱った事実は否めない。
4.1 新自由主義改革と企業のコストカット支援
1990年代後半から2000年代にかけて、政府は財界(経団連等)の強い要望を受け、労働市場の規制緩和を推進した。 1999年および2004年の労働者派遣法改正により、製造業を含む幅広い業種で派遣労働が解禁された。この政策の主目的は、バブル崩壊後の日本企業の国際競争力を回復させるため、固定費である人件費を変動費化することにあった。 政府は、雇用の流動化が若年層の生活不安定化を招き、それが結婚・出産を阻害することを予見し得たはずである。しかし、「企業の存続・利益確保」を最優先事項とし、「若者の雇用安定・家族形成」を犠牲にする政策選択を行った。この意味で、少子化は「企業支援策の副作用として、意図的に許容された(未必の故意)」現象であると断定できる。
4.2 外国人労働力への依存という「逃げ」
2000年代初頭の日本経団連のビジョン「奥田ビジョン」などでは、人口減少に伴う労働力不足を、女性や高齢者、そして外国人労働者で補う構想が示されていた。 これは、国内の出生率を回復させるための抜本的なコスト負担(賃上げ、長時間労働是正、巨額の家族手当)を回避し、安価な外部労働力の導入によって経済規模を維持しようとする安易な戦略であった。つまり、政財界のリーダーたちは、少子化を「解決すべき存亡の危機」としてではなく、「代替リソースで埋め合わせ可能な労働力不足」として過小評価(または意図的に矮小化)していた可能性が高い。
4.3 財政規律と「小さき政府」の追求
小泉政権下などを中心に、「聖域なき構造改革」の名の下、公共事業や社会保障の抑制が進められた。この緊縮財政路線は、子育て支援予算の大幅な増額を阻む壁となった。将来世代への投資(教育・少子化対策)よりも、当面の財政規律や市場原理を優先したイデオロギー的な判断が、結果として少子化を加速させた側面は否定できない。
5. 仮説検証:PDCAが適切であれば30年の減少は続かなかったか?
「もしPDCAを適切に回していれば、30年も減少は続かなかったはずだ」という読者の仮説は、データおよび海外事例との比較において、極めて高い蓋然性をもって支持される。
5.1 反事実的(Counterfactual)シミュレーションによる検証
学術的なシミュレーション研究は、異なる政策環境下での出生率の推移を推計している。
- 雇用環境の改善シナリオ: ある研究では、もし1990年代以降の雇用環境悪化(失業率上昇、非正規化)がなかったと仮定した場合、日本のTFRは観察された値よりも10〜20%高かったと推計されている。これは、氷河期世代を正規雇用として守り、所得を安定させていれば、TFRは1.5〜1.6の水準を維持できた可能性を示唆する。
- 財政支出の拡充シナリオ: 家族関係社会支出を早期に欧州並み(対GDP比3%程度)に引き上げていた場合、出生率の低下トレンドを反転させる確率が有意に高まったとする分析がある。特に、現金給付と現物給付(保育)のバランスの取れた投資が行われていれば、経済的理由による出産断念を大幅に減らすことができたはずである。
- BOJ(日銀)の分析: 日本銀行のワーキングペーパー等は、人口減少が経済成長(GNP)に与えるネガティブなフィードバックループを指摘している。もし早期に出生率対策を行い、労働力人口の減少を緩和できていれば、経済成長率の低下も緩やかになり、それがさらに出生率を支える好循環を生み出せた可能性がある。
5.2 海外成功事例との比較:なぜ彼らは回復したのか
フランスやスウェーデンも、かつて出生率の低下に直面したが、適切なPDCAサイクルを回すことで回復に成功した。彼らの勝因と日本の敗因を比較することで、日本の失敗が「回避可能であった」ことがより鮮明になる。
| 政策領域 | 🇫🇷フランス・🇸🇪スウェーデンの対応 (成功例) | 🇯🇵日本の対応 (失敗例) | PDCAの差異 |
|---|---|---|---|
| ジェンダー | 両立支援: 女性が働いてもキャリアを失わない法整備、男性育休の促進。 | 二重負担放置: M字カーブ、ワンオペ育児、性別役割分業の固着。 | 仏・瑞は「女性の労働参加」と「出生率」を両立させるモデルへ転換(Act)。日本は古いモデルに固執。 |
| 家族形態 | 多様性受容: 婚外子差別撤廃、事実婚(PACS/サンボ)の法的保護。 | 戸籍主義: 法律婚のみを正統とし、婚外子を差別的扱い。 | 仏・瑞は結婚しなくても子供を持てる社会へ制度変更(Act)。日本は未婚化=少子化の構造を放置。 |
| 経済支援 | 厚い手当: GDP比3%超の家族支出。N分N乗方式(仏)による多子世帯減税。 | 薄い手当: GDP比1%台。年少扶養控除の廃止など逆行する施策も。 | 仏・瑞は子供を持つ経済的メリットを創出。日本は「子供=貧困リスク」の構造を放置。 |
| 評価体制 | 専門機関: 国立人口研究所等が強力な権限で政策提言・評価。 | 形式的会議: 審議会等はあれど、政治判断が優先され科学的評価が軽視。 | 仏・瑞はエビデンスに基づく修正(Check-Act)が機能。 |
5.3 結論:30年の減少は「人災」である
以上の分析から、30年にわたる出生率の低下と人口減少は、不可避な自然現象ではなく、誤った政策決定と不作為の積み重ねによる「人災(Policy-induced disaster)」であると結論付けられる。 特に、第2次ベビーブームジュニア(団塊ジュニア)が出産適齢期を迎えた1990年代後半から2000年代前半において、政府が適切な投資と構造改革を行わなかったことは、取り返しのつかない歴史的な失策であった。この時期に「就職氷河期対策」と「子育て支援の抜本拡充」を行っていれば、第3次ベビーブームを実現し、人口構造の劇的な悪化を防ぐことは十分に可能であった。
6. 詳細分析:構造的障壁と機会損失のメカニズム
ここでは、PDCA不全の深層にある社会構造的要因と、失われた機会の具体的なメカニズムを詳述する。
6.1 ジェンダーロールの呪縛と企業文化の硬直性
日本の少子化対策が機能しなかった背景には、政策立案者および企業経営層に深く根付いた「ジェンダーバイアス」がある。
「標準家族モデル」の幻想
政府の政策は長らく、「サラリーマンの夫と専業主婦の妻、子供二人」という昭和的な標準家族モデルを前提としていた。しかし、経済停滞によりこのモデルを維持できる層は激減していた。にもかかわらず、税制(配偶者控除)や社会保障制度(第3号被保険者)は専業主婦優遇を続け、共働き世帯や単身世帯には冷淡であった。これにより、多様化するライフスタイルに対応した支援が届かず、結果として「標準モデルになれない層」の出産意欲を削いだ。
メンバーシップ型雇用の弊害
日本の雇用慣行であるメンバーシップ型雇用は、職務(Job)ではなく人(Person)に仕事を割り当てるため、無限定な残業や転勤が求められる。これは、育児責任を負う女性にとって極めて不利なシステムである。政府が「女性活躍」を掲げながらも、この雇用慣行への法的規制(残業規制の早期導入、勤務地限定社員の普及など)を怠ったため、女性は「キャリアか子供か」の二者択一を迫られ続けた。
6.2 世代間不均衡と「シルバー民主主義」の財政的帰結
日本の財政構造は、高齢者への給付に偏重しており、現役世代からの搾取構造となっている。
若年層への投資不足
OECD諸国の中で、日本の公的教育支出の対GDP比は最低レベルである。大学教育や高校教育の費用は家計負担が原則とされ、これが若年層の貧困化と晩婚化を招いた。奨学金(事実上の学生ローン)の返済負担が、卒業後の結婚や出産をためらわせる要因となっていることは周知の事実である。 政府が、高齢者医療の自己負担率見直しなど政治的に不人気な改革(Act)を先送りし、そのツケを若年層への増税や社会保険料引き上げで賄ったことが、現役世代の可処分所得を奪い、少子化を加速させた。
6.3 「1.57ショック」から「1.26ショック」への軌跡
1990年の「1.57ショック」は、政府にとって最初にして最大の警告であった。しかし、その後の対応は遅々として進まなかった。
- 1990年代: バブル崩壊処理に追われ、少子化対策は後回し。
- 2000年代: 小泉改革による非正規化進行。少子化対策基本法(2003年)ができるも、予算措置は不十分。
- 2010年代: アベノミクスで「女性活躍」を掲げるも、保育所不足(待機児童問題)は解消せず。働き方改革も道半ば。
- 2020年代: コロナ禍で出生数急減。異次元の少子化対策を掲げるが、財源論で迷走。
この30年間の歴史は、常に「経済対策」や「財政再建」が優先され、「人口対策」が従属的な地位に置かれてきた歴史である。PDCAサイクルにおいて、人口問題が最重要KPI(重要業績評価指標)として扱われたことは一度もなかったと言っても過言ではない。
7. 将来展望と政策的含意
7.1 不可逆的な人口減少への突入
現在、日本は人口減少の「不可逆的」な局面に突入している。出産可能な年齢の女性人口(母集団)自体が減少しているため、仮に今すぐTFRが2.0に戻ったとしても、出生数が劇的に回復することはない(人口モメンタムの影響)。 「失われた30年」の最大の罪は、人口構造を修復不可能なレベルまで破壊してしまったことにある。今後の日本は、急速な人口減少と超高齢化を前提とした社会運営を余儀なくされる。
7.2 残された選択肢
もはや「少子化を止める」段階は過ぎ、「少子化による社会崩壊をどう防ぐか」というフェーズにある。
- 徹底した若者支援: これ以上のTFR低下を防ぐため、高等教育無償化、若年層への住宅支援、非正規雇用の処遇改善を最優先で行う必要がある。
- 社会システムのダウンサイジング: 人口減に合わせて、インフラや社会サービスの維持コストを最適化する「縮小均衡」戦略への転換が求められる。
- 生産性向上: 労働力不足を補うためのAI・ロボット化、DXの推進は待ったなしである。
8. 結論
本報告書の分析に基づき、読者の問いに対する最終的な結論を提示する。
- 少子化の主因について: 少子化の主因は、間違いなく「失われた30年」による経済停滞と、それに伴う若年層の雇用・所得環境の悪化である。特に、若年男性の低所得化による未婚化の急増と、女性に対する仕事と育児の両立支援の欠如が、出生率低下の直接的なメカニズムとして機能した。
- 政府のPDCA不全と意図性について: 日本政府は、有効なPDCAサイクルを回すことに完全に失敗した。
Planの失敗:経済と人口のリンクを見誤り、精神論や小手先の支援策に終始した。
Doの失敗:予算配分において高齢者を優遇し、少子化対策への投資を怠った。
Check/Actの失敗:政策効果の検証を行わず、失敗から学んで軌道修正するガバナンスが欠如していた。 また、企業のコスト削減を優先して雇用の非正規化を推進したことは、少子化という副作用を予見しながら許容したという意味で、「未必の故意」による政策的失策であると断定できる。 - 「30年も減少は続かなかったはず」という仮説について: この仮説は正しい。もし1990年代の時点で、就職氷河期世代を救済し、欧州並みの家族支援と労働市場改革を実行していれば、TFRの低下を早期に食い止め、人口減少のスピードを大幅に緩和することは可能であった。現在の日本の危機的状況は、自然災害のような不可抗力ではなく、国家の意思決定ミスが積み重なって生じた「人災」である。
9. 補遺:主要データと参照指標
以下の表は、本分析に用いた主要な経済・人口指標および政策対応の国際比較である。
| 比較項目 | 🇯🇵日本 (Lost 30 Years) | 🇫🇷フランス / 🇸🇪スウェーデン | 影響分析 |
|---|---|---|---|
| 若年雇用政策 | 放置・規制緩和: 氷河期世代の非正規化を容認。セーフティネット欠如。 | 積極的労働市場政策: 若年層の職業訓練、雇用保障(フレキシキュリティ)。 | 日本では若者の貧困化が直撃し、未婚化が進行。欧州では若者の自立を支援し、家族形成を可能にした。 |
| 家族関係社会支出 | 対GDP比 1.0%〜1.7%: 長期間低迷。 | 対GDP比 3.0%〜3.5%: 安定して高水準。 | 経済的インセンティブの圧倒的な差が、出生率の回復力の差となった。 |
| 高等教育費用 | 家計負担原則: 重い学費と奨学金ローン。 | 公費負担原則: 大学無償化や給付型奨学金。 | 日本では「子供=負債」の側面が強く、多子世帯の形成を阻害した。 |
| 政策決定プロセス | 官僚主導・縦割り: 責任所在が不明確。PDCA不在。 | エビデンス重視: 専門機関による評価と修正。 | 日本は「やった感」のある政策を繰り返し、実効性を高める努力を怠った。 |
この対比表からも明らかなように、日本政府が選択しなかった道(若者支援、公的支出拡大、ジェンダー平等)こそが、少子化を食い止めるための正解であった。その選択を行わなかった(あるいは回避した)責任は極めて重い。
参考文献・関連リンク
- Reversing fertility decline in Japan with foreign pro-natalist policies
- Japan’s Demographics and the Lost Decades
- Japan’s Fertility: More Children Please in – IMF eLibrary
- Unemployment, non-standard employment, and fertility: Insights from Japan
- Deterioration in youth employment, social contexts, and marriage decline in Japan
- Deteriorating Employment and Marriage Decline in Japan
- Countering Shrinkage of the Child Population and to Empower Women
- Scars of the job market “ice-age”
- The Economic Factors for the Declining Birthrate
- Why Japan’s Family Policies Have Failed: A Gender Perspective
- Why cash alone won’t solve Japan’s baby deficit
- Japan’s birth crisis is a leadership failure
- The Cycle of Failure in Japanese Fiscal Policy
- 経済三団体要望書「労働者派遣法改正案の早期成立を求める」
- 2004 年度日本経団連規制改革要望
- 少子高齢化と外国人労働者
- For Love or Money: Has Neoliberalism Impacted Fertility?
- Macroeconomic Impact of Population Aging in Japan

