はじめに
毎日のお仕事や家事、学業など、本当にお疲れ様です。日々の生活の中では、思い通りにいかなくて気分が落ち込んでしまったり、人間関係のストレスで心が窮屈になってしまうこともありますよね。そんな時、少しでも気持ちを明るく切り替えるために、「クスッと笑える面白い話」を探してこのブログにたどり着いてくださったあなたの前向きな姿勢は、本当に素晴らしいと思います。心から拍手を送りたい気持ちでいっぱいです。
今回は、一個人のちょっとした失敗談や動物が巻き起こした騒動ではなく、世界的な大企業と「超大国」と呼ばれた巨大な国家の間で本当に起きた、スケールが大きすぎる「嘘みたいな本当の笑い話」を特別にご紹介します。誰もが知っている有名な炭酸飲料メーカー「ペプシコーラ」が、なんと一時期、本物の潜水艦や軍艦を大量に所有し、世界第6位の軍事力を持つ海軍になってしまったという、まるでコメディ映画のような実話です。
👇 本記事でわかる3つの重要ポイント 👇
- 【テーマ1】アメリカのペプシコーラが冷戦下のソ連に進出できた驚きの理由
- 【テーマ2】お金の代わりに「潜水艦と軍艦」でコーラを買ったソ連の秘密
- 【テーマ3】世界中が驚愕した「ペプシ海軍」の結末と社長の痛快なジョーク
このお話を読み終わる頃には、「人間が本気で知恵を絞れば、どんなあり得ない壁でも乗り越えられるんだな」と、今あなたが抱えている悩みやモヤモヤが少しだけ小さく、そして軽く感じられるかもしれません。どうか温かいお茶や、もし冷蔵庫にあれば冷たいコーラでも飲みながら、肩の力を抜いて最後までこの壮大な歴史のコントを楽しんでいってくださいね。
冷戦下のモスクワで起きた奇跡!フルシチョフ書記長と一杯のコーラ
アメリカの文化を伝える博覧会と「キッチン論争」
物語の始まりは、今から半世紀以上も前の1959年にさかのぼります。当時の世界は「冷戦」と呼ばれる非常にピリピリとした緊張状態にありました。アメリカを中心とする資本主義のグループと、ソビエト連邦(現在のロシアなどを含む巨大な国、以下ソ連と呼びます)を中心とする社会主義のグループが、世界を真っ二つに分けて対立していた時代です。両国は実際の兵器を使った戦争こそしなかったものの、いつ大きな争いが起きてもおかしくないという、とても険悪な関係にありました。
しかし、そんな緊張状態を少しでも和らげようと、両国はお互いの国で「文化を伝えるための博覧会」を開くことに合意しました。1959年の夏、ソ連の首都モスクワで「アメリカ国民博覧会」が盛大に開催されたのです。この博覧会の目的は、カラーテレビや最新の家電製品が並ぶ豊かなアメリカの暮らしを、ソ連の人々に見せつけることでした。
この会場には、アメリカの副大統領だったリチャード・ニクソンと、ソ連のトップであるニキータ・フルシチョフ書記長が訪れていました。二人は会場内に作られた最新式のアメリカのキッチンの模型の前で、「どちらの国のシステムが優れているか」について激しい口論を始めました。これは後に歴史の教科書にも載る「キッチン論争」と呼ばれる有名な出来事です。
ソ連のトップがアメリカの象徴を飲んだ瞬間
激しい議論を戦わせたため、二人はすっかり喉が渇いてしまいました。しかもその日は、モスクワとしては珍しく非常に暑い日だったのです。そこでニクソン副大統領は、フルシチョフ書記長をあるブースへと案内しました。それは、アメリカを代表する飲み物である「ペプシコーラ」のブースでした。
ブースの責任者だったドナルド・ケンダルというペプシの役員は、この絶好のチャンスを逃しませんでした。彼は冷たく冷えたペプシコーラを紙コップに注ぎ、満面の笑みでソ連の最高指導者であるフルシチョフ書記長に手渡したのです。
アメリカの資本主義の象徴とも言えるペプシコーラを、社会主義のトップが飲むのかどうか。周囲の誰もが固唾を飲んで見守る中、フルシチョフ書記長はコップを受け取り、ゴクゴクと一気に飲み干しました。そして、「うむ、これは悪くない」と満足げな表情を浮かべたのです。この瞬間、ソ連のトップがアメリカのコーラを美味しそうに飲んでいる写真が世界中の新聞に掲載され、ペプシコーラは一躍、世界規模の大宣伝に成功することになりました。
お金が使えないなら物々交換!コーラとウォッカの歴史的取引
ソ連の通貨「ルーブル」が抱えていた大きな壁
モスクワでの博覧会から10年以上が経過した1970年代初頭。あの時コーラを手渡したドナルド・ケンダルは、出世に次ぐ出世を重ねて、ついにペプシコーラの本社社長にまで上り詰めていました。彼の心の中には、ずっと抱き続けていた大きな夢がありました。それは、「ソ連の広大な市場で、ペプシコーラを本格的に販売すること」です。
当時のソ連には何億人もの人々が暮らしており、もしペプシを売ることができれば、とてつもない利益を生み出す巨大な市場になるはずでした。しかし、そこにはビジネスの根幹を揺るがす致命的な問題が立ち塞がっていたのです。
それは「お金の問題」でした。当時のソ連の通貨である「ルーブル」は、国際社会においてアメリカの「ドル」に両替することができない、非常に特殊なお金でした。つまり、ペプシコーラがソ連国内で大ヒットして、どれだけ大量のルーブルを稼いだとしても、それをアメリカのドルに換算して持ち帰ることができなければ、会社としては全く利益にならないのです。普通に考えれば、ここでビジネスの進出を諦めるしかありません。
ウォッカとの交換という画期的なアイデア
しかし、ペプシの社長であるケンダルは諦めませんでした。「お金が使えないなら、昔の人たちがやっていたように『物々交換』をすればいいじゃないか!」という、驚くほどシンプルで大胆なアイデアを思いついたのです。
ソ連にはお金(ドル)はありませんでしたが、世界的に有名で価値のある特産品を持っていました。それが「ストリチナヤ」という最高級のロシア産ウォッカです。
ペプシコーラはソ連政府に対し、とんでもない提案を持ちかけました。「私たちがペプシコーラの原液(シロップ)をソ連に提供します。その代わり、ソ連は代金としてストリチナヤ・ウォッカを私たちに渡してください。私たちはそのウォッカをアメリカ国内で独占的に販売して、ドルを稼ぎます」というものです。
この前代未聞の物々交換の提案に、ソ連政府も大賛成しました。こうして1972年、歴史的な契約が結ばれ、ペプシコーラは資本主義圏の製品として初めて、ソ連国内で製造・販売される商品となったのです。ソ連の人々は初めて味わう爽やかな甘さのコーラに熱狂し、ペプシは大ブームを巻き起こしました。一方のペプシも、アメリカ国内でロシア産ウォッカを飛ぶように売り上げ、莫大な利益を手にすることになったのです。
ついに軍艦と交換!?「ペプシ海軍」が誕生した信じられない理由
ウォッカだけでは足りない!大ピンチに陥った更新交渉
コーラとウォッカの物々交換というウルトラCのアイデアで大成功を収めたペプシですが、時代が1980年代の終わりに近づくと、再び大きな壁にぶつかることになります。1989年、ペプシとソ連の間の契約更新の時期がやってきました。
この頃には、ソ連国内にペプシの工場が20ヶ所も建設され、なんと年間で10億本近いペプシコーラが消費されるようになっていました。ソ連の人々にとって、ペプシはすっかり日常生活に欠かせない飲み物になっていたのです。ソ連政府は「もっとたくさんのペプシが欲しい!工場もさらに増やしてほしい!」と要望しました。
しかし、状況は以前とは大きく変わっていました。当時のソ連は経済が極度に悪化しており、依然としてドルなどの外貨を持っていませんでした。さらに悪いことに、ソ連がアフガニスタンに軍隊を送ったことに反発したアメリカ国民が、ロシア産ウォッカの不買運動(買わない運動)を始めてしまったのです。つまり、ペプシはこれ以上ソ連から大量のウォッカを受け取っても、アメリカで売ることができなくなってしまったわけです。
「ウォッカがダメなら、別のものを代金として受け取るしかない。何かアメリカで売ってお金(ドル)に換えられるものはないのか?」ペプシの要求に対し、ソ連政府は頭を抱えました。お金はない、売れる特産品もない。しかし、冷戦時代に莫大なお金をかけて作り続けた「余っているもの」なら大量にありました。それは、強大な軍隊が持っていた「兵器」です。
潜水艦17隻と軍艦をペプシに差し出したソ連
ソ連政府の担当者は、極めて真面目な顔でペプシ側に信じられない提案を行いました。
「お金もウォッカも出せませんが、代わりに我が国の軍艦をお渡しするのはどうでしょうか?」
一瞬、冗談かと思うような提案でしたが、彼らは本気でした。なんとソ連は、ペプシコーラの代金として、冷戦時代に建造されて古くなったディーゼルエンジン型の潜水艦を「17隻」、さらに巡洋艦を1隻、フリゲート艦を1隻、駆逐艦を1隻という、ひとつの国の軍隊に匹敵するほどの巨大な艦隊を丸ごと引き渡すと言い出したのです。さらに、新品の大型石油タンカーを何隻か建造してペプシに提供するという条件まで加えられました。
普通なら「飲料メーカーに軍艦を渡されても困る!」と断るところですが、ビジネスマンとして数々の修羅場をくぐり抜けてきたペプシのトップたちは違いました。「よし、それで手を打とう!」と、あっさりとこの条件を呑んでしまったのです。
コーラ会社が世界第6位の海軍力を持った日
1989年、この奇想天外な契約は無事に結ばれました。総額にして30億ドル(現在の日本円で数千億円)にも上る、世紀の大取引でした。
これにより、アメリカの一企業であるペプシコーラは、書類上とはいえ、本物の潜水艦17隻と3隻の大型軍艦を所有することになりました。当時の世界の国々の軍事力と比較してみると、なんとペプシコーラが所有する潜水艦の数は、世界中の国家を相手にしても「第6位」の規模に相当するものでした。多くの独立した主権国家よりも、炭酸飲料を売っている会社の方が強力な海軍力を持ってしまったのです。
「ペプシが世界第6位の海軍を手に入れた!」というニュースは、瞬く間に世界中を駆け巡りました。人々は「ペプシは一体誰と戦争をするつもりだ?まさかライバルのコカ・コーラ社にミサイルでも撃ち込む気か?」と冗談を言い合い、この嘘のような本当の出来事に大いに沸き立ちました。
最高にクールなジョークと平和的な結末
スウェーデンの企業へ売却された艦隊
もちろん、ペプシコーラには他国を侵略したり、ライバル企業を攻撃したりするような恐ろしい計画は一切ありませんでした。彼らにとって、潜水艦も軍艦も、あくまで「お金(ドル)に換えるための商品」に過ぎなかったのです。
ペプシは受け取った巨大な艦隊をどうしたかというと、すぐさま北欧のスウェーデンにある金属のスクラップ(廃材処理)業者に連絡を取りました。「うちの会社に潜水艦が17隻あるんだけど、買い取ってくれないかな?」という、業者も耳を疑うような商談が行われました。
結局、これらの艦隊はすべてスウェーデンの業者に売却され、解体されて鉄くずとなり、見事に現金(ドル)へと姿を変えました。さらに、ソ連から受け取った新品の石油タンカーは、ノルウェーの海運会社にリース(貸し出し)されることになり、ペプシに毎月安定した莫大な利益をもたらすことになったのです。コーラを売って軍艦をもらい、それを鉄くずにして儲けるという、常識外れのビジネスは見事に大成功を収めました。
ペプシ社長がアメリカ政府に放った痛快な一言
この一連の騒動について、アメリカ政府のトップたちもさすがに肝を冷やしました。一民間企業が敵国の巨大な軍隊の兵器を大量に買い取ったのですから、安全保障上の大問題になりかねないと心配したのです。
当時のアメリカの国家安全保障問題担当大統領補佐官であったブレント・スコウクロフトという偉い人物が、ペプシのケンダル社長に直接電話をかけて事情を聞きました。「君たちはいったい、ソ連とどんな交渉をしているんだ?」と少しお説教気味に問い詰めたそうです。
それに対して、ケンダル社長は全く悪びれる様子もなく、歴史に残る最高にクールで痛快なジョークを言い放ちました。
「何を文句を言う必要があるんですか? 私たちペプシコーラは、あなた方アメリカ政府よりもずっと早いスピードで、ソ連の武装解除(軍隊の力を削ぐこと)を進めているんですよ!」
これには、電話口のアメリカ政府高官も返す言葉がなく、苦笑いするしかなかったと言われています。実際、莫大な予算を使って軍備拡張競争を繰り広げていた政治家たちよりも、ただ美味しいコーラを売りたかっただけの民間企業の方が、結果的にソ連の巨大な兵器をあっさりと解体して平和に貢献してしまったのですから、これほど痛快な笑い話はありません。
まとめ
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。ペプシコーラとソ連が繰り広げた、壮大すぎる物々交換劇と「ペプシ海軍」の顛末はいかがでしたでしょうか。
「お金が使えないなら、ウォッカと交換すればいい」「ウォッカがダメなら、潜水艦と交換すればいい」。常識で考えれば絶対に不可能だと思えるような壁にぶつかっても、少しだけ視点を変えて、柔らかい頭で考えてみれば、想像もつかないようなウルトラCの解決策が見つかることがあります。一企業の社長の「どうしてもコーラを売りたい」という熱意が、結果的に超大国の軍備を縮小させることになったという事実は、人間の執念とユーモアの力を強烈に物語っています。
今、あなたが目の前にしている壁も、もしかしたら「越えられないもの」と思い込んでいるだけかもしれません。行き詰まった時こそ、ペプシの社長のように「じゃあ、潜水艦と交換してみるか!」というくらい、思い切った発想の転換をしてみるのも面白いのではないでしょうか。
この世界は私たちが思っているよりもずっと奇妙で、そして笑いに満ちています。あなたが今日抱えていたストレスやモヤモヤした気持ちが、少しでも晴れやかになり、明日を笑顔で迎えるための小さな活力になったのなら、筆者としてこれ以上嬉しいことはありません。どうか、これからもあなたらしい柔軟な発想で、軽やかに毎日を楽しんでいってくださいね。明日は今日よりも、もっと素敵な一日になりますように。
