はじめに
毎日のお仕事や家事、学業など、本当にお疲れ様です。日々の生活の中では、理不尽なルールに振り回されたり、周りの人の信じられない行動にストレスを抱えたりして、「なんで私ばっかりこんな目に…」とため息をつきたくなる夜もありますよね。そんな時、心が少しでもスッと軽くなるような「クスッと笑える面白い話」を探してこのブログを訪れてくださったあなたの前向きな姿勢は、本当に素晴らしいものです。心から拍手を送りたい気持ちでいっぱいです。
今回は、世界中で愛されている「オリンピック」の歴史の中で実際に起きた、もはやギャグアニメかコメディ映画としか思えない「嘘みたいな本当の笑い話」を特別にご紹介します。舞台は今から120年以上前のアメリカ。世界中から集まった超一流のアスリートたちが、まさかの「ヒッチハイク」をしたり、「昼寝」をしたり、あろうことか「ネズミ捕りの毒」を飲んで走ったりしたという、大真面目なのにツッコミどころしかない伝説のマラソン大会のお話です。
👇 本記事でわかる3つの重要ポイント 👇
- 【テーマ1】過酷すぎるコース設定と運営側の信じられない嫌がらせの理由
- 【テーマ2】昼寝、ヒッチハイク、野犬からの逃走など、カオスすぎる参加者たちの秘密
- 【テーマ3】ネズミ捕りの毒とブランデーでフラフラになりながら優勝した選手の衝撃の結末
このお話を読み終わる頃には、「人間って大昔からこんなにテキトーで、ハチャメチャだったんだな」と、今あなたが抱えている人間関係の悩みやモヤモヤが少しだけ小さく感じられるかもしれません。どうか温かいお茶でも飲みながら、肩の力を抜いて最後までこの壮大でくだらない歴史的スポーツの祭典を楽しんでいってくださいね。
史上最も過酷で最もふざけた?真夏のセントルイスでの大惨事
皆さんは、オリンピックのマラソンと聞いて、どのような光景を思い浮かべるでしょうか。鍛え抜かれたアスリートたちが、自分の限界に挑み、沿道の熱い声援を受けながら、ひたむきに約40キロの道のりを走り抜ける……そんな感動的な姿を想像するはずです。
しかし、1904年にアメリカのセントルイスで開催されたオリンピックのマラソン競技は、感動とは程遠い、まさに「地獄の障害物競走」と呼ぶにふさわしいものでした。まずは、この大会がどれほど劣悪で、ツッコミどころ満載の環境だったのかをご説明します。
気温32度、砂埃まみれの最悪のコース
大会が行われたのは8月下旬。当時のセントルイスは気温が32度を超え、湿度も非常に高い猛暑日でした。しかも、マラソンのコースとして用意されたのは、きれいに舗装された道路ではなく、馬車が通るようなデコボコの未舗装の土の道だったのです。
さらに最悪だったのが、審判や報道陣が乗った「自動車」が、ランナーたちのすぐ前や横を伴走していたことです。乾燥した土の道を自動車が何台も走ればどうなるか、想像がつくでしょう。もうもうと舞い上がる尋常ではない量の砂埃がランナーたちを直撃し、彼らは目を開けることもできず、呼吸をするたびに土を吸い込んでしまい、次々と咳き込んで倒れていきました。中には砂埃のせいで胃から出血してしまい、病院に運ばれた選手までいたほどです。
給水所はたったの「1ヶ所」!運営側の恐るべき意図
猛暑と砂埃の中を約40キロも走るのですから、当然こまめな水分補給が必要です。ところが、このコースには給水所がたったの「1ヶ所」しか用意されていませんでした。それも、コースのちょうど真ん中あたりにある「ただの井戸」だけです。
なぜこんな嫌がらせのような設定にしたのでしょうか。実は、この大会の責任者であったジェームズ・サリバンという人物が、「人間は水分を摂らずに極限まで脱水状態になると、運動能力にどのような影響が出るのか」という、狂気じみた人体実験を大真面目に行おうとしていたからです。現代のスポーツ科学からすれば、命に関わる絶対にやってはいけない行為ですが、当時はこれが「最先端の科学的調査」だと信じられていたのです。
登場人物が全員個性的すぎる!カオスな参加者たちの信じられない行動
そんな地獄のような環境でスタートの号砲が鳴らされたわけですが、参加した選手たちも負けず劣らずクセの強い人物ばかりでした。彼らがレース中に繰り広げた、現代では絶対にあり得ない珍プレーの数々を見ていきましょう。
ヒッチハイクでゴール!?堂々と車に乗った男の顛末
まず最初にご紹介するのは、アメリカ代表のフレッド・ロルツという選手です。彼はレースの中盤、14キロほど走ったところで両足に激しい痙攣(けいれん)を起こし、完全に走れなくなってしまいました。
普通ならここでリタイア(棄権)となるところですが、なんと彼は偶然通りかかった大会関係者の自動車をヒッチハイクし、「すいません、ゴールまで乗せていってください」と助手席に乗り込んだのです。車に乗ったロルツは、苦しそうに走っている他の選手たちを涼しい顔で追い抜きながら、沿道で応援する観客に向かって愛想よく手を振っていました。
そのままゴール地点のスタジアムまで車で行くつもりでしたが、ゴールまであと8キロというところで、不運にも自動車がエンストして動かなくなってしまいました。するとロルツは、足の痙攣がすっかり治っていることに気がつき、車を降りて再び走り始めたのです。
そのままスタジアムに一番乗りで飛び込んできたロルツを見て、観客は大歓声を上げました。「優勝だ!金メダルだ!」と大盛り上がりとなり、当時のアメリカ大統領の娘であったアリス・ルーズベルトが、満面の笑みで彼に金メダルをかけようとしました。しかし、まさにその瞬間に「あいつ、途中まで車に乗ってたぞ!」という目撃者の告発が入り、ロルツのズルはあっけなくバレてしまいました。彼は「いや、ちょっとした冗談のつもりだったんです」と笑ってごまかそうとしましたが、当然のことながら失格処分となりました。
昼寝と腐ったリンゴ!?キューバから来た陽気な郵便配達員
次にご紹介するのは、キューバからやってきたフェリックス・カルバハルという人物です。彼はプロの陸上選手ではなく、普段は郵便配達員として働いていました。オリンピックに出るための資金をクラウドファンディングのように街頭で集め、船に乗って意気揚々とアメリカへやってきました。
しかし、彼は経由地のニューオーリンズで、あろうことかカジノのギャンブルに手を出してしまい、集めたお金を全額スってしまったのです。無一文になった彼は、ヒッチハイクを繰り返してなんとか開催地のセントルイスまでたどり着きましたが、スポーツウェアを買うお金などあるはずもありません。
レース当日、彼がスタートラインに現れた時の服装は、なんと「長袖のワイシャツ、分厚い長ズボン、重たい革靴」という、完全に仕事中のサラリーマンのような格好でした。見かねた他の選手が、ハサミで彼の長ズボンを膝のあたりで切り落とし、急遽半ズボンにしてあげたというエピソードが残っています。
いざレースが始まると、フェリックスはなんと沿道の観客たちと楽しそうにおしゃべりをしながら走っていました。さらに、スタート前から何も食べていなかったため、途中でお腹が空いてしまい、コース沿いにあった果樹園に勝手に侵入して、落ちていたリンゴを拾い食いしました。
ところが、そのリンゴがひどく腐っていたため、彼は猛烈な腹痛に襲われてしまいます。「痛たた……ちょっと休憩しよう」と、彼はコースの脇にある木陰で横になり、そのまま本格的な「昼寝」を始めてしまったのです。
しばらくして目を覚ましたフェリックスは、すっかりお腹の痛みが治っていたため、「よし、再開だ!」と再び走り始めました。重たい革靴で、途中で昼寝までしたにもかかわらず、驚異的な身体能力を見せつけた彼は、なんと堂々の「4位」でゴールを果たしたのです。もしギャンブルをせず、きちんとした靴を履いて昼寝をしていなければ、間違いなく彼が金メダルを獲っていただろうと語り継がれています。
野犬に追いかけられてコースアウト!不運すぎる南アフリカ代表
アフリカ大陸から初めてオリンピックのマラソンに参加した、南アフリカのレン・タウニャーネ選手も、このカオスな大会の被害者の一人です。彼は素晴らしいスピードを持っており、メダル候補として期待されていました。
しかし、コースの途中のトウモロコシ畑の横を走っていた時、地元の凶暴な野犬の群れに目をつけられてしまいました。猛烈な勢いで追いかけてくる野犬から逃げるため、彼は正規のコースを外れて、道なき道を必死に逃げ回るハメになってしまったのです。
野犬から逃げ切るために、なんと1.6キロ以上もコースを外れて余分な距離を走らされたタウニャーネ選手でしたが、それでもなんとかコースに復帰し、最後まで走り抜いて9位でゴールしました。理不尽すぎる障害物に邪魔されなければ、彼もトップ争いをしていたことは間違いありません。
優勝者の「ヤバすぎる」ドーピング!まさかのネズミ捕りの毒でラストスパート
さて、ズルをしたロルツが失格となり、昼寝をしたフェリックスが4位、野犬から逃げたタウニャーネが9位となる中、この過酷なレースを正式に制して「金メダル」を手にしたのは一体どんな選手だったのでしょうか。
栄えある優勝者は、アメリカ代表のトーマス・ヒックスという選手でした。しかし、彼の優勝までの道のりもまた、現代の常識からは大きくかけ離れた、とんでもなく恐ろしいものでした。
意識朦朧のゴール!トーマス・ヒックスの壮絶な戦い
猛暑と砂埃、そして給水所が1ヶ所しかないという地獄の環境の中、トップを走っていたヒックスもまた、コースの終盤で完全に体力の限界を迎えていました。脱水症状でフラフラになり、足を引きずりながら「もう走れない、休ませてくれ」と倒れ込んでしまったのです。
しかし、彼をサポートしていたコーチたちは、絶対に優勝を諦めませんでした。彼らは倒れ込むヒックスを無理やり抱き起こし、とある「秘密の薬」を飲ませました。
その薬とはなんと、現代では猛毒として知られ、当時は「ネズミ捕りの毒」として使われていた「ストリキニーネ」という化学物質でした。
信じられないことですが、当時はドーピング(薬物使用)を禁止するルールが存在しておらず、それどころか「微量の毒は、神経を刺激して運動能力を劇的にアップさせる興奮剤になる」という、めちゃくちゃな医学的見解がまかり通っていたのです。コーチたちは、ストリキニーネを卵の白身に混ぜてヒックスに飲ませ、さらに水分補給の代わりに「ブランデー(強いお酒)」をラッパ飲みさせました。
猛暑の中で脱水状態になり、そこにネズミ捕りの毒と強いお酒を流し込まれたヒックスの体は、当然ながら異常な反応を示しました。彼は完全に意識が飛び、ひどい幻覚を見始め、「ゴールはまだ20マイル(約32キロ)も先なんだろ!?」と叫びながら、宙を掻くように手足をバタバタさせていました。
もはや自分の足で立つことすらできなくなったヒックス。すると、二人のコーチは彼の両脇をガッチリと抱え込み、足を地面に引きずらせながら、半ば強引に彼をゴール地点まで運んでいったのです。
審判たちは、両脇を抱えられて足がブラブラしているヒックスを見て、「よし、確かに彼が最初にゴールラインを越えた!」と判定し、堂々の優勝を宣言しました。現在であれば、薬物使用とコーチの過剰な手助けによって一発で失格になる状況ですが、当時はこれが「正式な金メダル」として認められてしまったのです。
ゴール直後のヒックスは、直ちに駆けつけた医師たちの懸命な治療を受け、なんとか一命を取り留めました。「もしあともう一回、毒を飲まされていたら、間違いなく死んでいただろう」と医師が語ったほど、ギリギリの生命状態だったと言われています。
この大騒動が私たちに教えてくれること
車でヒッチハイクをする男、昼寝をして4位になる郵便配達員、野犬に追いかけられるランナー、そしてネズミ捕りの毒とお酒で意識不明になりながらゴールに運ばれる優勝者。もはや何からツッコミを入れていいのか分からない、カオスすぎる「1904年セントルイスオリンピック・マラソン」の全貌はいかがでしたでしょうか。
世界で最も厳格で、ルールの厳しい祭典であるはずのオリンピックでさえ、昔はこれほどまでに適当で、ハチャメチャで、人間味(?)にあふれた出来事が起きていたのです。そう考えると、私たちが日常生活の中で直面する理不尽なトラブルや、思い通りにいかない他人の行動なんて、なんだかとても小さくて可愛らしいものに思えてきませんか。
仕事でミスをしてしまったり、準備していた計画が台無しになって落ち込んだりした時は、ぜひこのマラソン大会を思い出してみてください。「まあ、自動車にひかれるわけでもないし、ネズミ捕りの毒を飲まされるわけでもないから、大したことないな!」と、少しだけ笑って前を向けるはずです。
どんなに状況がカオスでも、どんなに予想外のことが起きても、人間はなんとかそれを乗り越えて、歴史を前に進めていく力を持っています。この信じられないような笑い話が、あなたの心を少しでも軽くして、明日を生きるための小さな元気につながることを願っています。
まとめ
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。今回は「1904年のセントルイスオリンピック・マラソン」という、歴史に残る前代未聞の大珍事をご紹介しました。
ルールの抜け穴を突こうとしたり、欲望のままにリンゴを食べて昼寝をしたり、絶対に勝たせようと毒まで使ったり……当時の人々のなりふり構わない必死さは、現代の私たちから見ると滑稽で笑ってしまいますが、同時に「人間って昔から不完全で、一生懸命で、どこか愛すべき存在なんだな」と感じさせてくれます。
私たちが生きる現代社会は、ルールが整備され、科学も進歩してとても便利になりました。それでも、日々の生活の中には予想外のトラブルや、信じられないような出来事がたくさん溢れています。もし今日、あなたが理不尽な思いをして気分が落ち込んでいるなら、どうか深呼吸をして、このドタバタ劇を笑い飛ばしたように、心の緊張をほぐしてあげてください。
完璧じゃなくてもいい、途中で昼寝をしたっていい。自分のペースで最後まで走り切れば、きっと笑える結末が待っているはずです。あなたが明日も、あなたらしいペースで笑顔の多い一日を過ごせるよう、心から応援しています。それでは、また次回の「ちょっと気になる話題の宝庫」でお会いしましょう!

