PR

【6月11日は何の日?】渋沢栄一が創設した「国立銀行設立の日」!ナンバー銀行の秘密や日本初の株式会社の歴史をわかりやすく解説

トレンド
この記事は約9分で読めます。

はじめに

毎日の生活のなかで、お給料の受け取りやお金の振り込み、貯蓄など、私たちが当たり前のように利用している「銀行」。しかし、日本で一番最初に銀行が誕生したのがいつなのか、ご存知でしょうか?実は、6月11日は日本の金融の歴史において非常に記念すべき「国立銀行設立の日」として制定されています。この日をきっかけに、今の私たちが利用している便利な金融システムが本格的にスタートしました。

新しいお札の顔としても大きな話題を呼んでいる偉人・渋沢栄一が深く関わっており、単にお金を預かる場所ができたというだけでなく、日本のビジネスのあり方を根本から変える大事件でもありました。「歴史や経済の話はなんだか難しそう……」と感じる方でも大丈夫です。当時の日本がどのような状況だったのか、そして街を歩いているとたまに見かける「数字のついた銀行」にはどんな秘密が隠されているのかなど、知っておくと誰かに話したくなるような面白い知識がたくさん詰まっています。

👇 本記事でわかる3つの重要ポイント 👇

  • 【テーマ1】6月11日「国立銀行設立の日」の由来と渋沢栄一の活躍
  • 【テーマ2】「国立」という名前なのに実は「民間経営」だった意外な秘密
  • 【テーマ3】日本初の「株式会社」の誕生と全国に広がるナンバー銀行の歴史

この記事を読めば、明日からの街歩きやニュースの見方が少し変わるかもしれません。日本の近代化を力強く支えた熱いドラマを、専門用語を極力使わずにわかりやすく紐解いていきますので、ぜひ最後までリラックスしてお付き合いください。

1873年6月11日、渋沢栄一らによって日本初の銀行「第一国立銀行」が設立されたことに由来します

まずは、この記念日の一番の土台となっている歴史的な出来事から詳しく見ていきましょう。6月11日が「国立銀行設立の日」と呼ばれているのは、今から150年以上も昔の1873年(明治6年)6月11日に、渋沢栄一という人物を中心として日本で初めての本格的な銀行である「第一国立銀行」が設立されたことに由来しています。

1873年という時代は、ちょんまげを結っていた江戸時代が終わり、明治時代に入ってまだ間もない頃です。当時の日本は、ヨーロッパやアメリカなどの西洋の進んだ文化や仕組みを一生懸命に取り入れて、近代的な国に生まれ変わろうと必死に努力していました。しかし、新しい国づくりを進めるためには、どうしても大きなお金が必要になります。鉄道を敷いたり、大きな工場を建てたり、新しいビジネスを始めたりするためには、個人のお金だけでは到底足りなかったのです。

そこで立ち上がったのが、のちに「日本資本主義の父」と呼ばれることになる渋沢栄一でした。彼は若い頃にヨーロッパへ渡り、現地の進んだ経済の仕組みを自分の目で見て深く学んでいました。その中で、多くの人から少しずつお金を集めて、それを必要としている人や企業に貸し出す「銀行」というシステムが、国を豊かにするために絶対に欠かせないものだと確信したのです。

日本に帰国した渋沢栄一は、政府の役人として様々な制度づくりに奔走したあと、自ら民間の世界に飛び込み、この「第一国立銀行」の設立に尽力しました。当時の人々にとって「お金を預ける」という感覚は非常に新しく、最初は戸惑う人も多かったようです。しかし、この第一国立銀行が中心となって日本の産業にお金を巡らせたおかげで、日本は急速に近代化への階段を駆け上がっていくことができました。つまり、6月11日は単なる銀行のお誕生日というだけでなく、現代の豊かな日本の経済が産声を上げた非常に重要な日であると言えるのです。

この銀行は日本最初の「株式会社」でもありました

さて、この「第一国立銀行」が歴史的にとてつもなく重要な意味を持っている理由は、単に「日本で最初の銀行だったから」というだけではありません。実は、この第一国立銀行は、日本で最初の「株式会社」でもありました。私たちが普段の生活で耳にする「株式会社〇〇」という会社の仕組みそのものが、ここからスタートしているのです。

「株式会社」という言葉はよく聞きますが、一体どのような仕組みなのか、改めてわかりやすくご説明します。昔の商売といえば、お金持ちの商人が自分自身の財産だけを使って商売をするのが一般的でした。しかし、その方法だと、どれだけ優れたアイデアがあっても、その商人が持っているお金の範囲内でしか事業を行うことができません。もし失敗したら、その商人一人がすべての借金を背負うことになってしまいます。

これでは、国を代表するような大きな事業(例えば、全国に線路を敷くような大工事など)を行うことは不可能です。そこで登場したのが「株式会社」という素晴らしい仕組みです。株式会社では、特定の誰か一人が大金を出すのではなく、たくさんの人たちから「株式」という証明書と引き換えに少しずつお金を集めます。例えば、100万円の資金が必要なときに、1人が100万円を出すのではなく、1万人が100円ずつ出し合うようなイメージです。

こうすれば、一人ひとりの負担やリスクは非常に小さくて済みますし、もし事業が大成功して利益が出たら、お金を出してくれた人たちに「配当」という形でお礼を分けることができます。渋沢栄一は、この「みんなでお金を出し合って、大きなことを成し遂げ、利益をみんなで分かち合う」という仕組みに深く感銘を受けました。彼はこれを「合本(がっぽん)」という言葉で表現し、日本中に広めようとしました。

その記念すべき第一号として選ばれたのが、他ならぬ「第一国立銀行」だったのです。銀行自体がたくさんの人からお金を集めて作られた株式会社であり、その銀行がまた世の中の新しい株式会社にお金を貸し出して支援していく。この素晴らしいサイクルが生まれたからこそ、日本にはその後、次々と新しい会社が誕生し、世界有数の経済大国へと成長していくことができました。

「国立」と名が付いていますが、アメリカの “National Bank” の直訳であり、実際には民間経営の銀行でした

ここで、多くの方が疑問に感じるであろう一つの謎について解説します。それは、「第一国立銀行」という名前に「国立」という言葉が入っていることです。普通「国立」と聞くと、国が税金を使って建てた「国立競技場」や「国立大学」のように、国(政府)が直接運営している施設を想像するのではないでしょうか。

しかし、実はここに大きな落とし穴があります。この「第一国立銀行」をはじめとする当時の国立銀行は、国が経営していたわけではなく、実際にはすべて「民間経営」の銀行でした。今の私たちが利用している普通の銀行と同じように、民間人である渋沢栄一たちが民間のお金を集めて作った、純粋な民間の会社だったのです。

では、なぜわざわざ誤解を招くような「国立」という名前をつけたのでしょうか?その理由は、当時の日本がお手本にしたアメリカの法律と、英語の翻訳に秘密が隠されています。当時、日本は銀行の制度を作るにあたって、アメリカの「National Bank Act(国法銀行法)」という法律を参考にしました。アメリカには、国の法律(国法)に基づいて特別な許可をもらって営業する「National Bank」という銀行の仕組みがありました。

当時の日本の役人たちは、この「National Bank」という英語を日本語に翻訳するときに、「National(国家の)」という言葉をそのまま「国立」と直訳してしまったのです。本来であれば「国の法律によって認められた銀行」という意味合いだったのですが、言葉の響きだけが先行して「国立銀行」という名前が定着してしまいました。

当時の国立銀行には、今の普通の銀行にはない特別な役割がありました。それは「自分たちでお札(紙幣)を印刷して発行できる」という特別な権利です。まだ日本銀行(現在、日本のお札を発行している唯一の銀行)が存在していなかったため、国から厳しい審査を受けて許可をもらったこれらの国立銀行だけが、国の代わりに紙幣を発行し、経済にお金を巡らせるという超重要な役割を担っていました。国が定めた厳しいルールのもとで特別な役割を果たしていたからこそ、「国立」という権威ある名前が使われ続けたとも言えます。

これ以降、全国に「第四銀行」や「七十七銀行」といったナンバー銀行が次々と誕生していくことになります

第一国立銀行が東京に誕生して大成功を収めたあと、日本の政府は「この素晴らしい仕組みを全国に広げよう!」と考えました。国の法律に基づく厳しい条件をクリアすれば、全国どこでもこの「国立銀行」を作って良いというルールを整えたのです。

その結果、日本の各地に地元の経済を支えるための銀行が次々と設立されることになりました。その際に、新しくできる銀行には、国から設立の許可が下りた順番に「第一」「第二」「第三」……と、シンプルに番号が名前として付けられていきました。これ以降、全国に「第四銀行」や「七十七銀行」といった、数字を冠した銀行が次々と誕生していくことになります。これがいわゆる「ナンバー銀行」と呼ばれるものです。

この番号つきの銀行は、明治時代の中でなんと「第百五十三国立銀行」まで、全部で153行も作られました。例えば、新潟県で設立されたのが4番目の「第四銀行」、宮城県で設立されたのが77番目の「七十七銀行」、岐阜県で設立されたのが16番目の「十六銀行」、香川県で設立されたのが114番目の「百十四銀行」といった具合です。

その後、時代が進むにつれて法律が変わり、これらの銀行は「国立銀行」という特別な立場から、普通の「私立銀行」へと変わっていくことになります。紙幣を発行する権利も新しくできた「日本銀行」に一本化されました。普通の銀行になったことで、多くのナンバー銀行は他の銀行と合併したり、全く新しい名前に変更したりして、次第に数字の名前を消していきました。(ちなみに、一番最初の第一国立銀行も、様々な歴史を経て、現在は「みずほ銀行」へと姿を変えています)。

しかし、全国のいくつかの銀行は「私たちは明治時代から続く歴史と伝統のある銀行だ!」という強い誇りと、地元の人たちからの深い愛着を持っていたため、合併などを経てもあえて昔の数字の名前を残し続けました。現在でも街を歩いていて数字のついた銀行の看板を見かけたら、それは「明治時代の初め頃、日本が近代化に向けて一生懸命だった時代からずっとこの地域を支え続けてきた、歴史ある銀行なんだな」と思い出してみてください。単なる数字の羅列ではなく、そこには150年以上の壮大な歴史ロマンが詰まっているのです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は、6月11日の「国立銀行設立の日」をテーマに、日本の銀行と経済の成り立ちについて詳しく解説してきました。

1873年のこの日、渋沢栄一らの熱い想いによって設立された「第一国立銀行」は、日本に初めての近代的な金融システムをもたらしました。それは同時に、多くの人が協力してお金を出し合う「株式会社」という新しいビジネスモデルが日本に誕生した瞬間でもありました。「国立」という名前でありながら実は民間経営であり、アメリカの制度を直訳したという意外な歴史的背景も、とても興味深いエピソードです。

そして、その仕組みが全国へと広がり、順番に番号が付けられていった「ナンバー銀行」。その歴史を今に伝える第四銀行や七十七銀行などが、現代の私たちの身近な生活の中にもしっかりと息づいていることに、深い感動を覚えます。次に街で銀行の看板を見かけたり、新しい一万円札の渋沢栄一の顔を見たりしたときには、ぜひこの6月11日から始まった熱い歴史の物語を思い出してみてください。

参考リスト

タイトルとURLをコピーしました