はじめに
「パソコンって、いつから私たちの生活に欠かせないものになったのだろう?」と疑問に思ったことはありませんか?今でこそスマートフォンやパソコンを当たり前に使っていますが、実はその原点は1977年という歴史的な年にありました。この記事では、現代のデジタル社会の基礎を築いた2つの伝説的なパソコン、「Apple II」と「PET 2001」にスポットを当て、当時の人々がなぜそこまで熱狂したのか、その理由や背景をわかりやすく紐解いていきます。
👇 本記事でわかる3つの重要ポイント 👇
- 【テーマ1】マニア向けの機械が「身近な家電」に変わった理由
- 【テーマ2】正反対の設計思想から生まれた、2つのマシンの秘密
- 【テーマ3】現代のスマホやパソコンにも受け継がれる設計の歴史
当時の最先端技術に隠された驚きのドラマや、日本のゲーム産業に与えた影響などを知れば、普段使っているパソコンやスマホがもっと愛おしくなるはずです。ぜひ最後まで読み進めて、デジタル革命の夜明けを一緒に体験してみましょう!
マニア向けのキットから、誰もが使える「家電」としてのパソコンへ
1970年代の半ば頃、「マイクロプロセッサ」と呼ばれる超小型の計算部品が登場したことで、コンピュータは大きな施設に置かれる巨大なものから、個人の机の上に置けるサイズへと変わり始めました。しかし、1975年に雑誌の表紙を飾ってパソコン革命のきっかけとなった「Altair 8800」や、それに続く初期の小さなコンピュータたちは、機械いじりが好きなマニアに向けた「はんだ付けが必要な組み立てキット」に過ぎなかったのです。
これらには文字を打ち込むキーボードも、画面を映し出すディスプレイも、データを保存する装置もついておらず、買ってすぐに便利なソフトを動かせるようなものではありませんでした。使う人は、小さなスイッチを指でカチカチと切り替えてコンピュータ用の難しい言葉(機械語)を直接入力し、小さなランプ(LED)の点滅を見て計算結果を読み取るという、非常に高度な専門知識と根気が必要でした。そのため、当時はまだごく一部のマニアの「夢の機械」にとどまっていたのです。
この一部のマニア向けの小さな市場から、一般の消費者向けの巨大な市場への決定的な飛躍をもたらしたのが、歴史的に極めて重要とされる「1977年」です。この年、Apple社の「Apple II」、Commodore社の「PET 2001」、そしてTandy/Radio Shack社の「TRS-80」という、3つの組み立て済みパソコンが相次いで発表されました。後に「1977年の三大パソコン」と称されることになるこれらの機種は、電源を入れればすぐに使える「家電」としてのコンピュータ市場を新しく作り出しました。当時の雑誌の記者たちは、これらのマシンの登場によって、専門知識を持たない一般のお客さまでも扱える市場への見事な移行が完了したと感じたのです。
この記事では、海外パソコンの代表としてこの革命の中心となり、当時のコンピュータ愛好家や技術者たちを熱狂の渦に巻き込んだ「Apple II」と「PET 2001」に焦点を当てます。発売当時のスペック、正反対の設計思想、ソフトウェアの能力、ファン層の違い、そして日本市場での受け入れられ方や後世の産業への影響について、あらゆる角度から分析し、私たちが熱狂した「当時のすごさ」の奥底を解き明かしていきます。
開発の背景と、2つのマシンの正反対な設計思想
Apple IIとPET 2001は、どちらもコンピュータの頭脳であるCPUに、MOSテクノロジー社が作った「6502」という同じ部品(1秒間に100万回の計算ができる性能)を採用していましたが、両社が描いた未来のコンピュータ像とそのアプローチはまったく異なるものでした。
危機からの大逆転劇!「PET 2001」誕生の裏側
Commodore社はもともと、他社の部品を使った電卓メーカーとして成長してきた企業でした。しかし、1970年代半ばに部品を提供していた会社自身が、安価な完成品の電卓市場に参入してきます。Commodore社に販売する部品の価格よりも安い値段で完成品を売り始めたため、Commodore社は市場から追い出される危機に直面しました。この絶体絶命の状況に対抗するため、創業者のジャック・トラミエル氏は部品作りから組み立てまでをすべて自社で行う戦略をとり、CPUを開発したばかりのMOSテクノロジー社を買収したのです。
このMOSテクノロジー社で初期のコンピュータ基板を設計していた技術者チャック・ペドル氏が、電卓からパソコン市場への事業転換を説得し、PET 2001の設計を主導することになりました。面白い歴史の巡り合わせとして、1976年にペドル氏は、Appleの創業者であるスティーブ・ジョブズ氏とスティーブ・ウォズニアック氏から、Apple IIの試作品を見せられています。ジョブズ氏はこの試作品をCommodore社に売り込もうとしましたが、Commodore社はこれを「高すぎる」として断り、自社で独自のコンピュータを作る決断を下したのです。
PET 2001の設計思想は、「誰でも箱から出してすぐに使える、すべてが一つになった低価格のシステム」でした。本体の基板、9インチの白黒画面、キーボード、そしてデータを記録するためのカセットテープのデッキを、一つの金属製のケースに収める「オールインワン設計」を採用しました。自動車のボンネットのように跳ね上げて内部を触れる金属ケースはとても頑丈で、太い首の上に台形のモニターが乗っているような形は、まるで生き物のような愛嬌のある外観をしていました。また、内部の部品が余裕をもって配置されていたため、熱を逃がすためのうるさい扇風機(冷却ファン)を必要とせず、自然に冷やす仕組みを取り入れていた点も、静かな家電を目指したこだわりを表しています。
自由に拡張できる楽しさ!「Apple II」とハッカーの美学
一方、Apple社はスティーブ・ウォズニアック氏の天才的な技術力と、スティーブ・ジョブズ氏の先見の明がある製品デザインが融合して「Apple II」を生み出しました。ウォズニアック氏は、ゲームセンターのブロック崩しゲームの回路設計で培った「できるだけ少ない部品で設計する」という技術を武器に、1976年に発表した基板だけの「Apple-1」をさらに進化させました。彼は自分が作ったコンピュータでブロック崩しを家で遊べるようにするため、文字だけでなく本物のカラー映像や音声を出し、コントローラーをつなげるマシンの開発に取り組んだのです。
ジョブズ氏は、コンピュータがマニアの実験室から一般家庭のキッチンや机の上に進出するためには、家電としての美しさとパッケージの良さが絶対に必要だと考えました。洗練された直線的なデザインに強い影響を受けたジョブズ氏は、デザイナーに依頼して、軽くて丈夫で魅力的なプラスチック製のくさび型のケースを作らせました。
さらに注目すべきは、ウォズニアック氏がこだわった「仕組みを公開して自由に部品を追加できる」というオープンシステムの哲学です。ケースを開けると、基板の上には85個の小さな部品がすべてきれいに並んでおり、あとから機能を追加できる「拡張スロット」という差し込み口が8つも用意されていました。これにより、他のメーカーやユーザーが自由に部品を追加して機能をパワーアップできる環境が作られたのです。また、小型で効率的な新しい電源を採用したことで、当時の他の機種で当たり前だった重い部品をなくし、うるさい冷却ファンを不要にしながら、わずか約5.2kgという軽さと発熱の少なさを実現しました。
スペックから読み解く!当時のパソコンの本当のすごさ
1977年当時のパソコン市場を深く理解するためには、Apple II、PET 2001、そして同世代のライバルであるTRS-80、さらに当時のプロ向け高級パソコンであったHP 9845Aの技術仕様を比較することがとても役立ちます。以下の表は、各マシンの性能や仕組みの違いをわかりやすく示しています。
| 比較項目 | Apple II | Commodore PET 2001 | TRS-80 Model I (参考) | HP 9845A (プロ向け参考) |
|---|---|---|---|---|
| 発売時期 | 1977年6月出荷 | 1977年9月〜出荷 | 1977年8月 | 1977年9月 |
| ターゲット層 | 家庭用、マニア向け | 家庭用、教育機関 | 家庭用、大衆向け | 専門の技術者 |
| CPU(頭脳) | MOS 6502 (8-bit) | MOS 6502 (8-bit) | Zilog Z80 (8-bit) | 16-bit 独自CPU ×2 |
| 標準メモリ容量 | 4KB 〜 最大48KB | 4KB または 8KB | 4KB または 16KB | 24KB 〜 72KB |
| 画面表示 | 外部のテレビに出力 | 9インチ白黒画面を内蔵 | 12インチ外部画面 | 12インチ画面を内蔵 |
| グラフィックス | カラー表示(高解像度対応) | 特殊な文字で絵を描く方式 | 白黒のブロック表示 | 高精細な白黒表示 |
| 重量 | 約5.2kg | 約22.7kg | 約2.1kg (本体のみ) | 約29kg |
| 発売時の価格 | $1,298 (4KBモデル) | $495 (4KB) / $795 (8KB) | $599 (システム全体) | $11,500 |
このデータから読み取れるのは、1977年の消費者向けマシンの開発者たちが、いかに限られた条件の中で設計に苦心していたかということです。1万ドル以上の価格がついていたHP 9845Aのようなプロ向けの機械が専用の計算部品や大容量のメモリを備えていたのに対し、Apple IIやPET 2001は、ごくわずかな計算能力と4KB〜8KBという極小のメモリ空間の中で、計算処理や画面表示などすべてをソフトウェアの工夫でやり繰りしなければなりませんでした。
Apple IIは、部品代を抑えるために多くの制御をソフトウェアに任せる道を選びました。対してPET 2001は、頑丈な金属製の箱と画面を一体化させることで、面倒な配線をなくし「コンセントに挿せばすぐに動く」という家電としての完成度を高める道を選んだのです。
映像と音の革命!当時の人々が熱狂した理由とは?
コンピュータが単なる計算機から、エンターテインメントやアートの世界へと足を踏み入れたとき、当時のユーザーを最も熱狂させたのは、画面上に文字以外の「図形」や「色」を描き出せる能力でした。この映像表現においても、両者はまったく逆のアプローチをとっています。
テレビに色が!天才ウォズニアックがかけた魔法
Apple IIの最大の革新であり、ライバル機を圧倒したのが、一般的な家庭のカラーテレビに直接つないで、色鮮やかな映像を表示できたことです。当時、映像を記憶する専用の部品は非常に高価でした。しかしウォズニアック氏は、一般的なテレビの映像の仕組みを裏技的に活用して、ソフトウェアとCPUのタイミングだけで擬似的にカラー信号を作り出す巧妙な回路を考え出しました。
これにより、高価な部品を大量に使うことなく、美しいカラーの映像を実現したのです。文字しか出力できない白黒の画面が常識だった時代に、自分の書いたプログラムでテレビ画面にカラフルな図形が動き回る様子は、当時の人々にとってまさに未来を体験する魔法そのものでした。また、専用の音を出す部品はなかったものの、特定の場所にアクセスするだけでスピーカーから「カチッ」という音を鳴らす仕組みを備えていました。プログラマーたちはこのクリック音を高速で繰り返すことで、音楽や効果音、さらには人の声までをソフトウェアの工夫だけで実現してしまったのです。
文字で絵を描く?「PET 2001」のユニークな芸術とキーボード
一方、PET 2001は白黒の画面を搭載しており、画面上の自由な場所に点を打って絵を描く機能は一切持っていませんでした。しかし、Commodore社はこれを補うために、「PETSCII(ペッツキー)」と呼ばれる独自の特殊な文字セットをコンピュータに組み込みました。アルファベットだけでなく、直線、曲線、斜線、塗りつぶされた四角など、絵を描くための特殊な文字をたくさん用意したのです。
さらに面白い裏話として、社長の息子たちがトランプのゲームを簡単に作れるようにという理由から、スペードやハートといったトランプのマークも標準で組み込まれていました。当時のプログラマーたちは、この特殊な文字をパズルのように組み合わせて画面に敷き詰めることで、「スペースインベーダー」のようなゲームを見事に再現しました。自由に絵が描けないという強烈な制限があったからこそ、逆に文字を組み合わせてアートやアニメーションを作るという独自の文化が育まれたのです。
一方で、使い勝手の面では、PET 2001の「チクレットキーボード」と呼ばれる四角くて小さなキーボードは、発売直後から大きな不評を買いました。本体にカセットデッキを内蔵するスペースを確保するため、電卓のような小さく押しにくいゴム製のキーが並ぶ設計になってしまったからです。これは素早い文字入力をほぼ不可能にし、使いすぎるとキーの文字がこすれ落ちるという欠点がありました。この使い勝手の悪さが原因で、後の新しいモデルでは普通の大きなキーボードに変更されることになります。これに対し、Apple IIは最初から打ちやすいフルサイズのキーボードを採用しており、快適なタイピングを約束していました。
マシンの命!プログラミング言語「BASIC」と大ヒットソフト
1977年当時のパソコンを使うということは、内蔵された「BASIC(ベーシック)」というプログラミング言語を使ってマシンと対話することそのものでした。マシンの性能以上に、どのようなBASICが搭載されているかが、そのマシンの使いやすさと売れ行きを大きく左右したのです。
計算能力をめぐる争い!「BASIC」の進化
発売当初の数ヶ月間は、安価なはずのPET 2001のほうが、Apple IIよりもソフトウェアの使いやすさで大きく勝っていました。Apple IIに最初に入っていたBASIC言語は、ゲームを作るために極限まで調整されており非常に高速に動きました。しかし、整数(小数点のない数字)しか扱えなかったため、小数を必要とするお金の計算や、複雑な科学の計算にはまったく向いていなかったのです。
一方、Commodore社は開発の段階で、あの有名なビル・ゲイツ氏率いる新興企業「マイクロソフト社」に高額なライセンス料を支払い、優秀なBASIC言語のライセンスを買い取りました。こうして搭載されたマイクロソフト製のBASICにより、PET 2001は最初から小数点の計算を完璧にこなすことができ、学校やビジネスでの複雑な計算にすぐに対応できる強力なツールとして活躍しました。さらに、画面上のプログラムの文字を自由に移動して書き換えられるという、当時としては画期的で洗練された機能も備えていました。
この状況に焦ったAppleも、後にマイクロソフト社から小数点が使えるBASICの提供を受けました(これによりマイクロソフトは倒産の危機を脱したとも言われています)。これをApple専用に改良したものが追加でリリースされ、多彩な機能が使えるようになったことで、Apple IIはついにその真の能力を完全に開花させることになります。
おもちゃから仕事の道具へ!世界初の表計算ソフトの衝撃
Apple IIを、単なるマニアのおもちゃから「ビジネスに絶対に欠かせない道具」へと飛躍させ、パソコン産業そのものの地位を押し上げた最大の要因が、1979年にリリースされた世界初の表計算ソフト「VisiCalc(ビジカルク)」です。
このソフトは、現在私たちが使っているExcel(エクセル)のような表計算の概念を世界で初めて形にしたものです。画面上の数字を一つ変更するだけで、複雑な計算式の答えがすべて一瞬で自動的に再計算されるという魔法のような体験は、企業の経理担当者や経営者に計り知れない衝撃を与えました。「手作業で行っていた20時間の計算作業が15分に短縮された」と言われるほど、面倒な計算の手間から人々を解放したのです。このソフトは飛ぶように売れ、「この約1万円のソフトを動かすためだけに、何十万円もするApple II本体一式を買う」という、大ヒットソフト(キラーアプリ)の概念そのものを生み出しました。
この大成功を陰で支えていたのが、ウォズニアック氏が開発したデータを素早く保存・読み込みできる「フロッピーディスクドライブ」です。彼は高度なソフトウェアの工夫で部品を極限まで減らし、驚くほど低価格でこの装置を提供したことで、表計算ソフトの膨大なデータ処理を可能にしたのです。PET 2001も後にディスクドライブをつなげるようになりましたが、Apple IIのような自由な拡張性がなかったため、ビジネス革命の主役の座を奪うことはできませんでした。
広がる世界!周辺機器の充実とゲームの夜明け
自由に部品を追加できる設計と洗練されたソフトウェアは、これらの初期のパソコンを、強力なエンターテインメントや教育の道具へと押し上げました。
Apple IIの8つの拡張スロット(追加部品の差し込み口)は、Apple一社では到底カバーしきれないほどの巨大な関連産業を生み出しました。ユーザーはスロットに専用の基板を挿すことで、仕事用のシステムを動かしたり、電話線をつないで通信したり、本格的なワープロとして使ったりと、自由にパワーアップさせることができました。この無限の拡張性が、Apple IIの寿命を1990年代初頭までの驚異的な16年間へと引き延ばしたのです。
ゲームの世界においても、Apple IIは数々の名作のゆりかごとなりました。今でも語り継がれるような伝説的なゲームメーカーが次々と誕生し、アクションゲームやRPG(ロールプレイングゲーム)など、世界中の若者を熱狂させる作品が生み出されました。また、教育用のソフトも充実し、アメリカの多くの学校に導入されました。
対するPET 2001は、その頑丈なオールインワン設計が評価され、北米の教育市場においてApple IIの強力なライバルとして、多くの学校に導入されました。生徒たちはカセットテープを使ってプログラムを読み込み、シンプルなゲームや学習用のソフトでコンピュータの基礎を学んでいきました。
Apple派 vs PET派!熱狂的なファンたちの争い
1977年から1980年代初頭にかけては、単に製品が売れたというだけでなく、ユーザーが自分の選んだパソコンに対して強い誇りを持ち、他の機種を見下すような「ファン同士の熱狂的な対立」が生まれた時期でもあります。
Apple IIは、すべて揃えると何十万円もする非常に高価なシステムでした。そのため、自然とターゲットは裕福な家庭や、仕事のために投資を惜しまない専門家、またはパソコンの無限の可能性に魅了された熱狂的なマニア層となりました。Apple社の広告も非常に上手で、キッチンや机の上でスマートにパソコンを使いこなす人々の姿を描き、日常生活に溶け込む未来を提案していました。
対照的に、PET 2001は圧倒的な低価格で、画面もカセットデッキもすべてが揃う「家電」として提供されました。配線がごちゃごちゃせず、重くて盗まれにくいことから、学校の教室や予算の少ない小さな会社に最適でした。PETのユーザーたちは、機械の内部をいじることよりも、純粋にプログラミングを学んだり安くデータ管理をしたりすることに重きを置いており、カセットテープで自作のソフトを交換し合う草の根のコミュニティが作られていきました。
Apple IIのユーザーは美しいカラー映像や拡張性を自慢し、PETのユーザーはそのコストパフォーマンスの良さや、すべてが一つにまとまった美学を主張して譲りませんでした。こうした熱狂的なファンの存在こそが、パソコンが単なる計算機から、個人のアイデンティティの一部へと進化した証拠と言えるでしょう。
日本での反響は?憧れの的と、百貨店に集う少年たち
この1977年のパソコン革命の波は、海を越えて日本にも押し寄せ、後の日本のソフトウェア産業や世界的なゲーム産業の基礎を築くことになります。当時の日本において、これら海外製の最先端パソコンはどのような存在だったのでしょうか。
日本におけるApple IIは、初期は輸入業者によって持ち込まれましたが、当時の為替レートや関税の影響で、販売価格は数十万円にも達しました。ごく一部のお金持ちのマニアや大学、研究機関しか手を出せない、まさに「高嶺の花」だったのです。
一方、PET 2001は1978年に日本でも発売され、価格は約20万円代に設定されました。発売直後から飛ぶように売れ、日本でも新しいもの好きの人々の間で確かな熱狂を生み出しました。興味深いことに、アメリカで組み立てられていたPET 2001の重要な部品は、日本の技術に支えられていました。あの不評だった小さなキーボードは日本の八王子で作られており、内蔵のカセットデッキも日本のメーカーの関連会社が作っていたのです。
任天堂の元社長・岩田聡氏と「HAL研究所」の始まり
高価な海外製パソコンを個人で買うのが難しかった当時の日本では、デパートのパソコンコーナーなどの店頭展示が、コンピュータ好きの少年たちにとって最先端のマシンに触れてプログラミングを学べる貴重な「聖地」となっていました。この西武百貨店のマイコンコーナーに足繁く通い、展示されている機械を陣取って独学でプログラミングの腕を磨いていた一人の学生が、後に任天堂の社長を務めることになる若き日の岩田聡氏です。
岩田氏は高校時代からプログラミングにのめり込み、大学に進学すると秋葉原を拠点にして友人たちとゲーム制作に没頭していました。そして、このデパートでの常連客同士の繋がりから、「HAL研究所(ハル研究所)」という会社が設立されます。岩田氏は大学在学中からアルバイトとして参加し、卒業と同時に専属プログラマーとして正社員になりました。
HAL研究所のメンバーは、PET 2001などの海外製マシンの仕組みを徹底的に解析し、限られた性能の限界を引き出す高度なソフトウェア技術を身につけました。この卓越した技術力こそが、後に任天堂が「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」を発売した際、岩田氏がいち早くゲーム制作に参入し、「星のカービィ」や「大乱闘スマッシュブラザーズ」といった世界的な大ヒット作を生み出す原動力となったのです。海外のパソコンが発した熱気は、次世代のクリエイターたちを育てる最高の環境として機能し、日本のゲーム産業を世界的な地位へと押し上げる決定的な役割を果たしました。
1977年の選択が、現代の私たちに残してくれたもの
これらの歴史的な出来事を総合すると、単なる性能の比較を超えた、コンピュータの進化に関するいくつかの深い気付きが見えてきます。
制限があるからこそ生まれる、圧倒的な創造力
Apple IIのカラー映像は革新的でしたが、PET 2001の「絵が描けない白黒画面」という厳しい制限こそが、逆に文字を組み合わせて絵を描くアート表現や、工夫を凝らしたゲーム開発を強制的に生み出しました。また、部品を減らすためにソフトウェアに制御を任せる設計方針は、システム全体のコストダウンと効率化を両立させました。厳しい制限があったからこそ、開発者たちの創造力が極限まで刺激され、今ある性能を1ミリも無駄にせずに使い切るという文化が育まれたのです。
自由な拡張性が生み出した、無限の可能性
Apple IIに用意された追加部品用の差し込み口は、Apple一社だけでは作れないような巨大な関連市場を生み出しました。「便利な追加部品が出たから、すごいソフトが作れる」「すごいソフトが出たから、さらに新しい追加部品が売れる」という素晴らしい好循環が完成したのです。この仕組みを公開するオープンな設計は、パソコンが単なる一つの目的のための機械ではなく、無限の使い道に適応できるプラットフォームであることを証明し、その後のパソコンの成功モデルの完全なお手本となりました。
使いやすさの大切さ!キーボードから学ぶ人間工学
PET 2001は、価格の安さとオールインワンというコンセプトを優先するあまり、人間が操作しにくい小さなキーボードを採用してしまいました。いくら計算能力が高くても、文字入力という最も基本的な操作にストレスがあれば、長時間の仕事やプログラミングには使えなくなってしまいます。この失敗は、機械の性能だけでなく、「人間の身体に合わせた使いやすさ(人間工学)」や「操作画面のデザイン」が、パソコンが売れるために極めて重要であることを業界全体に教える結果となりました。
まとめ
1977年に登場した「Apple II」と「Commodore PET 2001」は、単なる新しい電子機器の発売ではなく、人類と情報の関わり方を根本から変えた「パソコン革命」のまさに大爆発でした。
Apple IIは、魔法のような回路設計と、先を見据えたデザインの美しさが実を結んだ製品でした。高価ではありましたが、美しいカラー映像や内部の拡張スロット、そして仕事に革命を起こした表計算ソフトなどを通じて、コンピュータが単なる計算機から個人の創造力を無限に広げる道具になり得ることを世界に証明しました。
対するPET 2001は、「大衆のためのコンピュータを作る」という徹底した合理主義の結晶でした。洗練されたプログラミング言語を搭載し、誰もが買える低価格と、箱から出してコンセントに挿すだけで動く家電のようなアプローチは、北米の学校教育に深く浸透し、数え切れないほどの若者たちにプログラミングの扉を開いたのです。
日本における岩田聡氏とHAL研究所のエピソードが示しているように、これらのマシンに魅了され、その厳しい制限と格闘しながら独学で技術を身につけた当時のコンピュータ少年たちは、やがて世界のソフトウェア産業や巨大なビデオゲーム産業を牽引する素晴らしい才能へと成長していきました。Apple IIとPET 2001が1977年に放った熱い火花は、単なる機械の進化という枠をはるかに超え、現代のデジタル社会全体を支える必要不可欠な土台となったのです。両機が提示した「高価格・高機能で自由に拡張できる形」と「低価格で使いやすさを重視した一体型」という2つのアプローチは、今日に至るまで、私たちが使っているパソコンやスマートフォンの根幹となる設計の歴史として、脈々と受け継がれています。
参考リスト
- 45 Years Ago, Apple Kickstarted the Personal Computer Industry | by PCMag – Medium
- The Machine That Changed Everything: How the Apple II Kickstarted the Personal Computer Era | PCMag
- Now with full narration: The Complete Story of Personal Computers. 80 significant machines from the 80s and beyond, all custom isometric models. Made them bigger and corrected some inaccuracies following your last time comments… : r/vintagecomputing – Reddit
- The Competition, Part 1 – Apple II History
- Commodore PET – Wikipedia
- Microcomputers – The Second Wave: Toward A Mass Market – Creatures of Thought
- Comparison HP 9845 vs. Apple II and Commodore PET 2001
- Apple and Commodore – This Day in Tech History
- The Commodore PET 2001 (1977) – Inexhibit
- Apple II (original) – Wikipedia
- 1977 | Timeline of Computer History
- Apple II – Wikipedia
- PETSCII – Wikipedia
- Commodore PETSCII (Revealed) – Discussions – Retro Computing
- The PETSCII files: Commodore Character Graphics – Paleotronic Magazine
- Ian Skinner’s Commodore Stuff – Character Graphics – Tierceron.com
- r/retrobattlestations – Weekend Acquisition – Bell and Howell Apple II and Commodore PET
- Apple II History Chap 16
- Applesoft BASIC – Wikipedia
- apple ii – What are the differences between the versions of AppleSoft BASIC?
- VisiCalc – Wikipedia
- VisiCalc The History of the First Spreadsheet – Rob Landley
- Apple II – DAVES OLD COMPUTERS
- The Competition, Part 2 – Apple II History
- Apple II Forever: a 35th-Anniversary Tribute to Apple’s First Iconic Product – TIME
- Apple II – Wikipedia
- PET 2001 – Wikipedia
- HAL Laboratory – Wikipedia
- HAL Laboratory – WiKirby: it’s a wiki, about Kirby!
- Satoru Iwata – Wikipedia
- Satoru Iwata – NintendoWiki
- Satoru Iwata: A businessman, a programmer, and just a gamer. [1 of 4] – Medium
- Iwata Asks – Game & Watch – Page 2 – Nintendo
- The Commodore PET 2001, a groundbreaking home computer from the late 1970s – Reddit

