はじめに
現代はスマートフォンひとつで世界中の情報にアクセスし、複雑な処理も一瞬でこなせる時代です。しかし、皆さんは「プログラム電卓」や「ポケットコンピュータ(ポケコン)」という言葉をご存知でしょうか?まだパソコンが高価で大きく、一部の専門家だけのものだった1970年代から80年代にかけて、これらの小さな機械は当時の若者や技術者たちに計り知れない熱狂をもたらしました。「ただの昔の計算機でしょ?」と思うかもしれませんが、実は現代のモバイル環境やITテクノロジーの原点は、この小さな画面とキーボードの中に詰まっているのです。この記事では、そんなレトロデバイスの信じられないような進化と、当時のマニアたちがどうやって機械の限界に挑んでいたのかを分かりやすく紐解いていきます。
👇 本記事でわかる3つの重要ポイント 👇
- 【プログラム電卓】複雑な計算を自動化させた初期デバイス進化の理由
- 【ポケットコンピュータ】いつでもどこでも開発できたモバイル環境の秘密
- 【熱狂の歴史】限界突破に挑んだ「新人類」たちの工夫とテクノロジーの軌跡
あの頃を知っている方は懐かしく、知らない世代には驚きに満ちた内容になっています。当時の熱い空気感を感じながら、ぜひ最後までお楽しみください!
演算の個人化とモバイル・コンピューティングのパラダイムシフト
1970年代から1980年代にかけてのパーソナル・コンピューティング(個人向けコンピュータ)の歴史は、計算能力を「個人が独占できること」、そして「持ち運べること」という強烈な2つの方向性によって大きく前進しました。この時代、冷暖房が完備された計算機室に鎮座する巨大な大型コンピュータ(メインフレーム)や、個人の机の上を占領するほど高価なデスクトップ型マイコンの代わりに、ユーザーの掌(てのひら)の中で動く「プログラム電卓」と、それに続く「ポケットコンピュータ(ポケコン)」という革新的な機器が誕生しました。
本報告書では、「プログラム電卓」と「ポケットコンピュータ」の技術的な違いや、進化の道のりを比較・検証していきます。両者はよく混同されがちですが、その仕組みや設計思想にははっきりとした境界線があります。前者のプログラム電卓が「複雑な数式計算の手順を記憶して、自動で実行するハードウェア技術の究極形」であるのに対し、後者のポケットコンピュータは「プログラミング言語(BASICなど)を読み解き、文字と数値を自由に操る汎用コンピュータを極小サイズにしたもの」でした。
ここでは、発売当時のハードウェアの性能(スペック)、プログラミング環境の特徴、拡張用の周辺機器でどんなことができたのか、そしてそれらを取り巻いていた特有のメディア文化(雑誌を通じたプログラムの共有やソノシートなど)を幅広く調査しています。これにより、当時の若者やエンジニアたちがどのような技術的制限の中で熱狂し、いかにして現代のモバイルコンピューティングの精神的・技術的な土台を作り上げたのか、その「すごさ」の正体を解き明かしていきます。
プログラム電卓の勃興:計算の自動化と「人間コンパイラ」の時代
ポケットコンピュータが市場を席巻する少し前、技術の最前線に立っていたのは「プログラム電卓」と呼ばれる機器でした。1970年代初頭、半導体技術の進歩とともに、複雑な関数計算をハードウェアの仕組みそのもので処理する「関数電卓」が登場します。これは、宇宙開発や軍事技術で培われた高度な集積回路の技術が、一般向けの製品へと応用された結果でした。
日米における熾烈な技術戦争と初期のスペック
1972年、アメリカのヒューレット・パッカード(HP)社は、三角関数などの計算を含んだ計算精度10桁の関数電卓「HP-35」を発売し、それまで技術者にとって必須の道具であった計算尺を過去のものにしてしまいました。これに対抗する形で、1974年には同じくアメリカのテキサス・インスツルメンツ(TI)社が計算精度13桁を誇る「SR-50」を発売し、電卓市場における日米の激しい性能競争が幕を開けました。
この競争は単なる計算の正確さを競うだけにとどまらず、「一連の計算手順を記憶させて自動で実行させる」というプログラミング機能の搭載へと急速に発展していきます。HP社は1974年1月に、100ステップのプログラムと9個のメモリを記録できるプログラム電卓「HP-65」を発売し、ユーザーが自分専用の計算ルール(アルゴリズム)を機器に記憶させることを可能にしました。これに追随するように、TI社は1975年9月に磁気カードの読み取り装置を搭載し、224ステップのプログラムと20個のメモリを備えた「SR-52」を発表しています。磁気カードを採用したことは、作成したプログラムを外部のメディアに保存して他の人と共有するという、その後のソフトウェア流通の原型を示す画期的な出来事でした。
国産プログラム電卓の台頭と特有のプログラミングの世界
こうした海外企業の技術的な攻勢に対して、日本のメーカーも独自の進化を遂げていきました。カシオ計算機は「fx-10」を市場に投入した後、日本初のプログラミング電卓とされる「fx-201P」を発売し、国内のエンジニアたちから熱狂的に迎え入れられました。
当時のプログラム電卓の最大の特徴であり、ユーザーの知的好奇心を刺激した要因は、その特有の「癖のある操作感」と、極限まで制限された性能にあります。カシオのfx-201Pを例に挙げると、ユーザーがデータを入力する際や、計算結果が表示されるたびに、本体の赤色LEDランプが点灯するという物理的で直感的な仕組みがありました。これは単なるお知らせのランプにとどまらず、機械が一生懸命に計算を実行しているという「機械との対話」をユーザーに強く意識させるものでした。
さらに、プログラミング言語としての分かりやすさはまだ未成熟であり、現代の視点から見ると非常に特殊な文法ルールが求められました。定数を入力する際には頭に「K」を付けなければならないといった独自ルールや、ごく簡単な数式であっても機械の処理単位に合わせて細かく分割してコードを書く必要があったのです。条件によって処理を分岐させる構文も、のちのBASIC言語に見られるような分かりやすい英語に近い形(IF…THEN)とは全く異なり、記号の組み合わせによる独特の論理体系を持っていました。
このような環境では、ユーザー自身が数学的な論理を機械の仕様に合わせて翻訳する「人間コンパイラ(翻訳機)」としての役割を果たす必要がありました。この厳しい制限こそが、いかに少ない手順と少ないメモリで目的の計算を終わらせるかという、パズルを解くような知的な興奮を生み出し、エンジニアや理系の学生を中心とする初期の熱狂的なファン層を作り上げる原動力となったのです。
ポケットコンピュータの誕生:QWERTYキーボードとBASIC言語の融合
プログラム電卓はあくまで数字を扱う計算機の延長線上にありましたが、1980年代に入ると半導体の製造技術が劇的に進化し、本物の「コンピュータ」をポケットサイズに収めることが可能になりました。少ない電力で動く新しいプロセッサ(CMOS)や、数字だけでなくアルファベットを自由に表示できる液晶ディスプレイ(LCD)の大量生産が、その大きな突破口となりました。
最初のポケットコンピュータ:Sharp PC-1211と黎明期のデバイス
1980年にシャープが発売した「PC-1211」は、世界初のポケットコンピュータとして歴史に名を刻んでいます。このモデルは、電卓特有の数字キーの横に、パソコンと同じQWERTY配列のアルファベットキーボードを搭載しており、当時の販売価格で200ドル(アメリカのラジオシャックからは「TRS-80 Pocket Computer PC-1」としてもOEM販売されました)という非常に戦略的な価格設定でした。
PC-1211のハードウェア仕様は、デュアル4ビットのCMOS LSIを頭脳(CPU)として採用し、1,424ステップのプログラムメモリと48ステップの予約メモリを備えていました。本体サイズは175×70×15mm、重量はわずか170gです。特にすごいのは、水銀電池4個で動作し、気温20度の環境下で約300時間という驚異的な連続使用時間を実現していたことです。これにより、ユーザーは電源ケーブルに縛られることなく、いつでもどこでもプログラムを書くことができるようになりました。ディスプレイには24文字の黄色い液晶が採用されましたが、この初期の液晶は経年劣化による「液晶漏れ」を起こしやすく、画面が黒く変色してしまうという物理的な弱点がありました。のちにシャープは、この問題を克服した標準的なグレーの液晶を採用した改良版「PC-1212」をリリースし、技術の安定化を図っています。
小型化と多様化の推進
その後、シャープは「PC-124x」および「PC-125x」シリーズを1982年に投入し、製品のラインナップを広げていきました。PC-1251などは75〜125ドルという低価格帯を実現しながら、重量を115gまで軽くし、リチウム電池(CR-2032)2個で動くように進化しました。内部には8ビットのCPUを搭載し、24KBのROM(読み取り専用メモリ)と2KBまたは4KBのRAM(作業用メモリ)を備えていました。一部のモデルには、プログラムを持ち運ぶための超小型カセットレコーダーが組み合わせられるなど、利便性がさらに高まりました。このPC-1251も「Tandy TRS-80 Pocket Computer 3」としてブランド名を変えて販売され、世界的な普及を後押ししました。
シャープはその後も、特定の用途向けに派生したPC-1252、PC-1253や、電話帳機能を備えた電子手帳のような外観を持つPC-1140/1150シリーズなど、ポケットコンピュータという形をさまざまな目的に合わせて最適化していきました。この「用途に応じた細分化」が、モバイルデバイスがビジネスから教育まで幅広い層に受け入れられる下地を作ったのです。
黄金期を牽引したハイエンド機:アーキテクチャと能力の徹底比較
1980年代の中盤に入ると、ポケコンは単なるプログラミング学習機から、実用的なデータ処理や本格的なゲーム開発にも耐えられる高度な仕組みへと進化しました。ここでは、時代を代表する各社の高性能モデルの発売当時のスペックを比較し、それぞれにどんなことができたのかを詳しく解説します。
| 機種名 (発売年) | 本体サイズ (mm) / 重量 (g) | CPU / クロック周波数 | ディスプレイ仕様 | メモリ (標準RAM / 拡張) | 電源 / 特記事項 |
|---|---|---|---|---|---|
| Casio PB-100 (1983) | 165 × 71 × 10 / 116g | カスタムチップ (非公開) | 12文字 × 1行 | 2 KB / 拡張不可 | CR-2032×2。超小型・軽量モデル。ロシア製クローンも存在。 |
| Casio PB-700 (1984) | 200 × 88 × 33 / 315g | カスタムチップ (非公開) | 20文字 × 4行 (160×32ドット) | 4 KB / 最大16 KB | 単三電池×4 + CR1220。汎用BASIC構文、描画機能、パスワード保護機能搭載。 |
| Casio FX-850P (年代不明) | 193 × 78 × 12 / 197g | VLSI 特定用途CPU | 32文字 × 2行 | 8 KB内蔵 / 最大36KB | CR2032×2 + CR1220。豊富な内蔵関数とメモリ拡張スロット。 |
| Sharp PC-1500 (1981) | 195 × 86 × 25 / 259g | LH5801 (8-bit) / 1.3 MHz | 26文字 × 1行 (7×156ドット) | 3.5 KB / 最大32 KB | 単三電池×4。Z80類似命令、機械語開発可能、世界的ベストセラー。 |
| Sharp PC-1600 (1986) | 195 × 86 × 25.5 / 390g | SC7852 (Z-80A互換) / 3.6 MHz | 26文字 × 4行 (156×32ドット) | 16 KB / 最大80 KB | 単三電池×4。複数のCPUを搭載した高性能マルチプロセッサモデル。 |
| Sharp PC-U6000 (1993) | 記載なし / 340g | 8-bit SHARP CMOS CPU | 40文字 × 4行 (240×32ドット) | 記載なし / 記載なし | 単四電池×4 + CR2016。ポケコン後期の高性能化を示すモデル。 |
| Canon X-07 (1983) | 200 × 130 × 30 / 630g | CPUクロック駆動 (詳細記載なし) | 20文字 × 4行 | 記載なし / 記載なし | 単三電池×4。ハンドヘルド・サイズの大型機。 |
| Panasonic RL-H1000 (1983) | 227 × 95 × 31 / 585g | 記載なし | 26文字 × 1行 | 記載なし / 記載なし | 内蔵充電池による駆動。 |
Sharp PC-1500:グローバルスタンダードとなった8ビット機
1981年に259ドルで発売された「Sharp PC-1500」は、それまでの4ビットの仕組みから抜け出し、より本格的な8ビットCPU「LH5801」を中核に据えた、真のモバイル・コンピュータでした。処理のスピードと表現力において、他の機種を圧倒する性能を持っていました。
最初から搭載されていたメモリ(RAM)は3.5KBでしたが、背面の拡張スロットに部品を挿し込むことで、最大32KBまで大幅に容量を増やすことができました。この基本設計の素晴らしさは、世界中でライセンス生産されたり、独自の改良版が作られたりしたことからも証明されています。国内向けに漢字やカタカナに対応したモデルのほか、欧米向け、ブラジル版、ハンガリーや中国での生産モデルなど、同じプラットフォームが世界中を席巻しました。
PC-1500の最大の魅力は、標準のBASIC言語の枠を超えて、コンピュータに直接命令を下す「機械語(マシン語)」が利用できたことにあります。海外のエンジニアたちが専用のツールを開発し、のちにはより高度なC言語まで使えるようになりました。ユーザーはこの強力な計算能力を直接操ることで、速い動きが求められるアクションゲームなどを開発することができたのです。大容量のプログラムを扱う際には、当時の据え置き型パソコンと同じくらい高度なメモリ管理の技術が求められ、それがまたマニアたちの心をくすぐりました。
Casio PB-700:マルチライン表示と汎用BASICへの飛躍
一方、1984年に登場した「Casio PB-700」は、カシオのベストセラー機であった「PB-100/300系」から内部の仕組みを根本的に新しくした意欲作でした。重量315gで単三電池で動くこのモデルは、最大16KBまでメモリを増設することができました。
以前のモデルでは、少ないメモリを節約するためにカシオ独自の簡易的なルールを採用していましたが、PB-700では一般的なデスクトップ用パソコンに近い、誰もが使いやすい標準的なBASIC言語の構文が採用されました。また、ただの計算機として使う際のキーと、プログラムを入力する際のキーの役割がはっきりと分けられ、使い勝手が大きく向上しました。
PB-700は、プログラミング言語として非常に豊かな表現力を持っていました。複雑なアルゴリズムを組み立てるための機能がしっかりと備わっており、三角関数や対数、平方根など、科学技術の計算に十分すぎるほどの機能がサポートされていました。文字を操作する機能も充実しています。
エラーが出た際のサポートも高度化しており、ユーザーは画面に表示される2文字のエラーコードを見るだけで、どこが間違っているのかを効率的に見つけて修正することができました。
さらに特筆すべきは、自分が作ったプログラムに8文字以内のパスワードをかけてロックできる機能です。これを設定すると、プログラムを見ることも書き換えることもできなくなり、他の人に真似されたり改ざんされたりするのを防ぐことができました。もしパスワードを忘れてしまった場合は、すべてのデータを完全に消去するか、電池が切れるのを待つしか復旧する方法がないという、当時としては非常に強力なセキュリティシステムでした。
拡張周辺機器が創り出した「モバイル・ワークステーション」空間
ポケットコンピュータが単なる「高級な電卓」にとどまらず、技術者たちを熱狂させた最大の理由は、周辺機器の豊富さとその優れた連携機能にありました。本体の小さな液晶画面だけでは足りない部分を外部の機器が補うことで、外出先でデータを集めて分析し、印刷してレポートにまとめるまでの一連の作業をすべて完結できる「モバイル・ワークステーション」が完成したのです。
プロッター・プリンターによる物理出力の魔術
当時の熱狂を象徴する周辺機器が、カラーの図形を描けるプリンター兼カセットインターフェースです。特にSharp PC-1500専用に設計された「CE-150」は、黒、青、緑、赤の4色の極小ボールペンの芯を搭載し、紙の上をペンが動いて図形を描く機構(X-Yプロッター)を備えていました。ペンのインクが乾いてしまうという物理的な寿命の問題がありましたが、ユーザー同士で市販のボールペンの芯を改造して取り付けるといった裏技も盛んに共有されていました。
画面での図形表示がまだ貧弱だった当時、紙に図形を描き出せるプロッターは極めて重要な視覚化ツールでした。プログラムから命令を送ることで、指定した座標への直線の描画、円の描画、さらにはデータ分析に欠かせないグラフの目盛り軸の自動描画など、本格的な製図システムに迫る機能が組み込まれていました。文字の大きさや印刷の角度まで細かく指定できたため、複雑なグラフのタイトル付けなども完全に自動化することができました。
数字の印刷においても、桁数を揃えたり、余分な桁をゼロで埋めたりと、整然とした表を作るための高度な機能が存在しました。これにより、ただプログラムのコードを印刷するだけでなく、学校の成績処理、家計簿、在庫管理、さらには「コンピュータがデザインした花」といった芸術的な図形の出力まで、驚くほど幅広い用途で活用されていました。
外部通信とデータストレージの拡張
当時の本体メモリは電源が切れるとデータが消えてしまう危険があったため、プログラムの保存は非常に重要でした。一般的な保存方法はカセットテープで、専用の機器を介して、ごく普通の携帯型カセットレコーダーへ「ピーガー」という音声データとして記録していました。
データの読み書きにも多くの工夫が凝らされていました。テープ上のデータと本体メモリのデータにズレがないかを確認する機能や、メモリの少なさを補うためにテープから少しずつプログラムを読み込みながら実行を続けるといった、高度な使い方がされていました。
さらにシステムを本格的な業務用端末へと進化させたのが、外部の大型機器と通信するためのインターフェース群です。ホストコンピュータや外部の大型プリンターと繋ぐためのモジュールや、フロッピーディスクドライブを繋ぐ機器などが専門メーカーから販売されていました。これにより、エンジニアは工場の現場や屋外の調査において、センサーから集めたアナログのデータを即座にデジタルに変換し、ポケコンで統計処理を行って、その場でグラフとして印刷するという、完璧なデータ分析の流れを作り出すことが可能になっていたのです。
雑誌メディアと「写経」文化:分散型ナレッジの形成
ハードウェアの進化と並行して、1980年代の日本でポケットコンピュータを爆発的に普及させたのが、独特のユーザー文化とそれを支えた出版メディアの存在です。まだインターネットが存在しなかった当時、ユーザーが新しいゲームや便利なツールを手に入れる手段は、高価な市販のソフトを購入するか、あるいは雑誌に掲載されたプログラムの設計図(ソースコード)を見ながら、自分自身の端末に手作業で一文字ずつ打ち込んでいくかの二択しかありませんでした。
投稿プログラム雑誌の隆盛:『PiO』と『I/O』
この文化の中心を担ったのが、『マイコンBASIC Magazine』や『I/O(アイ・オー)』、そして『プログラムポシェット』といった、全国の読者から投稿された自作プログラムをメインのコンテンツとした雑誌です。
中でも特筆すべきは、工学社が発行した『PiO(ピオ)』です。1983年に創刊されたこの雑誌は、「マイコン・ゲームの情報誌」というキャッチフレーズのもと、読者から寄せられた多種多様なプログラムを掲載しました。手軽に打ち込める短いプログラムも多数収録されており、ユーザーのプログラミング技術の底上げに大きく貢献しました。のちにポケコン専用の特別号も発行されており、当時のユーザーコミュニティがいかに熱気にあふれていたかが分かります。
「写経」の苦行とソノシートによる実験的データ配信
雑誌に掲載されたプログラムを手作業で入力する行為は、たった一文字でも打ち間違えればエラーが出たり、プログラムが暴走したりしてしまうため、極度の集中力と精神的・肉体的な忍耐が必要でした。この苦行は、まるで仏教の修行のようだということで「写経」と呼ばれました。しかし、この「写経」を通してユーザーは、他の人が考えた優秀なアルゴリズムやメモリを節約するテクニックを体で覚えることができ、結果として非常に実践的なソフトウェアの学習の場として機能していたのです。
この手入力の手間を少しでも省くため、極めて野心的な試みも行われました。雑誌『PiO』には、プログラムの音声データ(ピーガーという音)が記録された「ソノシート(薄くて曲がるレコードの一種)」が付録として挟まれていました。読者はこのソノシートを自宅のレコードプレーヤーで再生し、その音声をカセットテープに録音(ダビング)してから、ポケコンに読み込ませるという方法をとりました。
アナログレコードの溝から音声を拾い出し、それをデジタルのプログラムデータに変換するというこのアクロバティックな方法は、現代のインターネットを通じたソフトウェア・ダウンロードの先駆けとも言えます。レコードの傷やノイズによる読み込みエラーに悩まされることも多かったと思われますが、当時の技術の限界に果敢に挑戦した素晴らしいアイデアでした。
熱狂の正体:「新人類」たちによる限界突破とゲーム開発
これらのデバイスを所有し、夢中になっていたのは、主に好奇心旺盛な中学生から大学生、そして若手のエンジニアたちでした。1980年代末期、ハードディスクを搭載した本格的なパソコンが世界を席巻しつつあった時代においても、日本では高価なパソコンを買えない学生にとって、数万円で手に入るポケコンこそが「自分専用のメインフレーム」だったのです。
「新人類」のモビリティと創造活動
一見するとただの電卓のように見える小さな機械に、パソコンと同じ配列のキーボードがついており、学校の実験データの集計ソフトや自作のゲームを持ち運ぶことができる。重たいブラウン管のモニターもコンセントも必要とせず、通学や通勤の電車の中でプログラムを作ることができるという身軽さは、当時の大人たちの目には非常に異質なものに映りました。このようなデバイスを当たり前のように持ち歩き、隙間時間にプログラムを叩く若者たちは、畏敬と戸惑いを込めて「新人類」と呼ばれていたのです。
彼らが電車の中で夢中になって作っていたのは、タイピング練習ソフト、ボートレース、モグラ叩き、スペースインベーダー風のゲーム、迷路脱出など、驚くほど多彩なゲームの数々でした。
ハードウェアのハッキングとリバースエンジニアリング
彼らの熱狂は、メーカーの想定を超えたシステムの「限界突破(ハッキング)」によってさらに加速していきました。標準の機能では処理の速さやグラフィックに満足できなかったユーザーたちは、システムの内部を独自に解析し始めました。
雑誌を通じて、機械語を使ってハードウェアを直接コントロールする手法が共有されました。高価な周辺機器が手に入らない学生たちは、標準の構成のまま、画面の表示メモリに特定のデータを直接書き込むという荒技を使って、自作のキャラクターを高速で動かす技術を編み出しました。ゲームを面白くするために、効果音の高さや長さも、機械の心臓部を直接操作することで作り出していったのです。
また、パスワードでロックされたプログラムに対しても、ユーザー同士でメモリの構造を解析し、パスワードが隠されている場所を特定して強制的にロックを解除するといった、アンダーグラウンドな探求が行われていました。これは決して悪意のある破壊行為ではなく、技術的な好奇心に根ざした「リバースエンジニアリング」であり、コンピュータの深い仕組みを理解するための学習プロセスそのものでした。わずか数キロバイトという極限のメモリ制限の中で、変数を工夫して使い回し、少しでも処理速度を上げるためにトリッキーなプログラムを書き、必要とあれば機械語を解読してシステムの深淵にアクセスする。この過酷な開発環境は、論理的な思考力の限界に挑む、非常に高度な実践の場となっていたのです。
まとめ
1970年代のプログラム電卓から1980年代のポケットコンピュータへと連なる十数年の歴史は、コンピュータが「組織の持ち物」から「個人の思考のパートナー」へと変化する決定的な転換点でした。
当時のスペックを現代のスマートフォンや最新機器と比較すれば、数キロバイトのメモリやモノクロ数行の液晶画面は、あまりにも非力に見えるかもしれません。しかし、機械の本質的な価値は、カタログ上の数値ではなく、それが使う人々の行動様式や知的活動にどのような変化をもたらしたかという点にあります。ポケットコンピュータは、現代のモバイルテクノロジーに通じる以下の重要な概念をすでに証明していました。
第一に、完全な持ち運びやすさと長時間のバッテリー駆動です。小さな電池で数百時間も稼働するコンピュータという考え方は、現代のモバイル機器における省電力設計の原点です。
第二に、拡張を前提としたハードウェアの仕組みです。本体にプロッタープリンターや大容量メモリ、通信機器などを自由につなぎ合わせて機能を拡張する設計は、のちのUSB規格や様々な拡張機器へとつながる先駆けでした。
第三に、ユーザー主導のソフトウェア共有文化です。雑誌を通じたプログラムの公開(写経文化)やソノシートを使ったデータの配布は、現代のオープンソース文化やアプリストアにつながる、ユーザー同士が作り上げるコミュニティの力強い原型でした。
「計算能力をポケットに入れて持ち歩く」という革命は、ただ便利になっただけでなく、「考える場所とプログラムを作る場所を自由にする」という極めて大きな意味を持っていました。プログラム電卓の厳しい制限の中で基礎を学び、ポケットコンピュータを使って電車の中でキーボードを叩き、限られたメモリと闘いながらソフトウェアを作り上げた1980年代の「新人類」たちは、その後の日本のIT産業やゲーム産業を支える無数の優秀な技術者へと成長していきました。これらの小さな機械が当時の若者たちに与えた「熱狂」の正体は、手の中にある小さな機械を通して、世界を自分の力で制御できるという「全能感」の芽生えに他なりません。それは、現代のどんなに高性能なデバイスであっても簡単には再現できない、テクノロジーの青春時代における最も純粋で熱い記憶として、コンピューターの歴史に深く刻み込まれているのです。
参考リスト
- Casio fx-10 と fx-201P|まんぼう – note
- Sharp’s computers
- A History of Pocket Computers 1980-2000 – Sharp Pocket Computers
- Sharp Pictures – Valentin Albillo’s HP Collection
- $’s Room – CASIO PB-700
- Sharp PC-1500 – Wikipedia
- PC-1500 – in the pocket computer museum
- One of the best pocket sized computers by Sharp in my opinion : r/retrobattlestations – Reddit
- sharp pc-1500 – Vintage Calculators
- Sharp PC-1500 & TRS-80 PC-2 restoration, expansion, mods & hacks thread
- Sharp CE-150 Printer & Cassette Interface – YouTube
- TRAMsoft Extensions to SHARP PC-1500/A and PC-1600 (english)
- PiO[雑誌] – Oh!FM-7
- 1980年代からビッグデータに思いを馳せる少年 – HPE Community

