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【9月20日は空の日】なぜ制定された?山田式飛行船の偉業から全国空港イベント・航空の未来まで徹底解説!

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はじめに

ふと見上げた青空に白い飛行機雲が伸びているのを見て、「どうしてあんなに重い鉄の塊が空を飛べるのだろう」「飛行機の歴史はいつから始まったのだろう」と不思議に思ったことはありませんか?毎年9月20日は、私たちの暮らしや旅行に欠かせない航空について理解を深め、親しみを持つための記念日「空の日」です。普段は何気なく利用している空港や飛行機ですが、その背景には日本の空を切り拓いた先人たちの驚くべき挑戦や、安全を守るための緻密な仕組みがたくさん隠されています。

👇 本記事でわかる3つの重要ポイント 👇

  • 【テーマ1】9月20日「空の日」の由来と日本初となる山田式飛行船の歴史的飛行
  • 【テーマ2】「航空日」から「空の日」への改称の経緯と毎年恒例の「空の旬間」イベント
  • 【テーマ3】空港を支える仕事の魅力とこれからの航空業界が目指す未来

この記事を読めば、9月20日「空の日」に込められた深い歴史や、全国の空港で開催される魅力的なイベント情報、そして普段は見ることのできない航空業界の舞台裏まで余すところなくわかります。身近な空の旅がもっと楽しく、ロマンあふれるものになるはずです。ぜひ最後までじっくりお楽しみください!

9月20日「空の日」の歴史と誕生秘話

毎年9月20日は、日本において「空の日」として広く親しまれています。この記念日には、日本の航空技術の幕開けとなった歴史的な出来事と、時代の変遷に伴う大きな意義が込められています。

明治時代に達成された偉業!山田式飛行船の東京上空滞空飛行

「空の日」のルーツをたどると、今から100年以上も昔の1911年(明治44年)9月20日に行われた歴史的な飛行実験に行き着きます。この日、日本の気球・飛行船開発のパイオニアである山田猪三郎(やまだ いさぶろう)氏が手掛けた「山田式飛行船(山田式第3号飛行船)」が、東京の上空で見事な滞空飛行を成し遂げました。

当時、飛行船を自らの手で開発し、大都市の空を安定して航行させることは至難の業でした。山田猪三郎氏は幾多の失敗や試行錯誤を重ねながらも、独自の国産技術を結集してこの飛行船を完成させました。東京都大崎の実験場から飛び立った山田式飛行船は、目黒や芝、銀座、日本橋、上野の上空を堂々と遊覧飛行し、多くの市民が見上げる中で無事に着陸を果たしました。この滞空飛行の成功は、当時の日本国内において航空技術の発展と可能性を世に知らしめる決定的な出来事となったのです。

「航空日」としての誕生と航空10代の節目

この山田猪三郎氏による飛行船の快挙から時が経ち、日本における航空の歴史が始まってから一定の節目を迎えた1940年(昭和15年)、当時の運輸省や航空関係機関によって、毎年9月20日が「航空日」として制定されました。

1910年(明治43年)12月に徳川好敏大尉と日野熊蔵大尉が代々木練兵場で日本初の動力飛行に成功してから、ちょうど30年が経過した時期でもありました。日本の空の開拓を推し進めた先人たちの功績を称えるとともに、次世代を担う若者たちへ航空への関心と理解を促すことを目指して定められたのが、この「航空日」だったのです。

1992年に「航空日」から親しみやすい「空の日」へ改称

戦後の高度経済成長を経て、航空機は軍事や一部の専門家だけのものではなく、一般の人々が旅行やビジネスで日常的に利用する公共交通機関へと大きく変化していきました。

こうした時代の流れを受け、より多くの国民に航空に対する親しみを持ってもらい、空の魅力を広く感じてもらおうという目的から、1992年(平成4年)に名称が「空の日」へと改称されました。さらに、「空の日」である9月20日から9月30日までの11日間が「空の旬間(そらのじゅんかん)」として制定され、航空業界全体で記念事業や広報活動が集中的に行われる期間となったのです。

「空の日」と「空の旬間」に開催される全国の体験イベント

「空の日」および「空の旬間」の期間中には、日本全国の空港や関連施設において、普段は入ることができないエリアの見学や特別な体験ができるイベントが数多く開催されています。家族連れや航空ファンをはじめ、毎年多くの来場者で賑わいを見せています。

普段は立ち入れない滑走路や管制塔の特別見学会

「空の日」記念イベントの目玉となっているのが、空港のバックヤードツアーです。厳重な保安体制が敷かれている滑走路周辺や、飛行機の離着陸を一手に指示する管制塔、航空会社の格納庫(メンテナンスセンター)など、通常では立ち入ることが許されない特別なエリアが一般公開されます。

滑走路のすぐ脇を専用バスで走行しながら、間近で大迫力のジェット機が離着陸する瞬間を見学できるバスツアーは、事前応募の抽選倍率が非常に高くなる大人気プログラムです。また、飛行機を安全に誘導するマーシャラーと呼ばれるスタッフの仕事体験や、航空機牽引車の運転席への着席体験など、子どもたちにとって忘れられない貴重な体験が用意されています。

空港で活躍する特殊車両(GSE車両)の展示とデモンストレーション

空港の地上では、飛行機の安全でスムーズな運航を支えるために、街中では見かけない特殊な車両(GSE車両=地上支援器材)がたくさん活躍しています。「空の日」イベントでは、これらの車両が一堂に会し、間近で見学できる展示会が開催されます。

例えば、巨大な航空機を押して移動させるトーイングトラクターや、飛行機へ機内食を積み込むために荷台が垂直に高所まで上昇するハイリフトローダー、給水車、燃料補給車などが展示されます。さらに、空港専用の巨大な化学消防車によるダイナミックな放水デモンストレーションも行われ、子どもから大人まで大興奮のひとときを楽しむことができます。

現役パイロットやキャビンアテンダント(CA)とのふれあい企画

イベント会場では、現役のパイロットやキャビンアテンダント、グランドスタッフ、整備士といった航空関係のプロフェッショナルたちと直接交流できるブースも多数設置されます。

子ども向けには、本物の制服と同じデザインのキッズ用ユニフォームを着用して記念撮影ができるコーナーや、紙飛行機教室、現役パイロットによる航空教室などが開かれます。プロのスタッフから空の仕事の魅力ややりがいを直接聞くことができる機会は、将来パイロットや客室乗務員、整備士を目指す子どもたちにとって、大きな夢を抱く素晴らしいきっかけとなっています。

知れば知るほど面白い!日本の航空史と山田猪三郎の足跡

「空の日」の起源となった山田猪三郎氏の功績は、日本の近代科学史において極めて重要な意味を持っています。彼の情熱と挑戦の足跡をさらに深く掘り下げてみましょう。

日本の気球開発のパイオニア・山田猪三郎の挑戦

山田猪三郎氏は、1863年(文久3年)に現在の和歌山県新宮市に生まれました。彼は若くして気球の研究に情熱を燃やし、独学で気球の構造や気体の性質を学びました。

当時、海外から輸入された気球は高価であり、故障時の修理も困難でした。そこで山田氏は、日本独自の材料を用いた国産気球の開発に着手します。羽二重(はぶたえ)と呼ばれる絹織物にゴムを何層にも塗布して気密性を高めた独自の気球用生地を開発し、ついに1900年(明治33年)には国産第1号となる係留気球の製作に成功しました。この功績により、日本の空における自主技術開発の基盤が築かれたのです。

気球から飛行船へ!自在に空を操舵する夢の実現

風任せに漂う気球とは異なり、自分の思い通りに空を進むことができる乗り物を目指した山田氏は、次なるステップとして飛行船の開発へと進みます。エンジンとプロペラを搭載し、舵によって針路を変える飛行船の製作は、当時の最先端技術の結晶でした。

1910年(明治43年)から本格的な飛行船の試作を始めた山田氏は、改良を重ねた「山田式第3号飛行船」において、長さ約30メートル、幅約6メートルの楕円形気嚢(きのう)にエンジンを組み合わせ、自走能力を持つ機体を完成させました。そして1911年9月20日、東京の空を自在に旋回し、定められた目的地を巡って帰還するという、日本航空史に輝く金字塔を打ち立てたのです。この成功がなければ、日本の民間航空の発展はさらに遅れていたかもしれません。

安全な空の旅を支えるプロフェッショナルたち

私たちが普段、当たり前のように飛行機に乗って国内外へ移動できる背景には、昼夜を問わず安全を守り続ける無数の専門職の連携があります。「空の日」は、こうした空の安全を支えるプロフェッショナルたちへ感謝の気持ちを向ける日でもあります。

空の交通整理を行う「航空管制官」

上空には道路のような目に見える白線はありませんが、航空機が衝突しないよう「航空路」と呼ばれる見えない空のルートが網の目のように張り巡らされています。この空の道で飛行機同士が一定の安全距離を保ちながら整然と飛行できるよう指示を出しているのが「航空管制官」です。

管制塔の窓から空港全体を目視で監視しながら離着陸の許可を出す飛行場管制席や、レーダー画面を見つめながら上空を行き交う無数の飛行機に高度や進路を指示する進入管制席など、一瞬の気の緩みも許されない高度な集中力と判断力で、空の安全を24時間体制で守り抜いています。

機体を万全の状態に保つ「航空整備士」

飛行機は、何万個もの精密な部品で構成されたハイテク機械です。過酷な上空の環境を高速で飛行するため、わずかな部品の異常や摩耗も見逃すことはできません。この機体の安全を物理的に支えているのが「航空整備士」です。

フライトの合間に行われる短時間の点検から、専用の格納庫で機体を分解して部品一つひとつを非破壊検査や洗浄にかける重整備まで、徹底的なチェックが行われています。整備士たちの卓越した技術と責任感があるからこそ、飛行機はいつでも安心して空へと飛び立つことができるのです。

地上のオペレーションを司る「グランドハンドリング」と「ディスパッチャー」

飛行機が空港に着陸してから次の目的地へ飛び立つまでの間、地上では目まぐるしい連携プレーが繰り広げられています。この地上支援業務を担うのが「グランドハンドリング」スタッフです。乗客の手荷物を素早くコンテナに積み下ろし、燃料を正確に給油し、機内を清潔に清掃して次の出発へと備えます。

また、運行全体の頭脳として活躍するのが「ディスパッチャー(運航管理者)」です。気象条件、飛行ルート上の気流や雲の状況、燃料消費量などを綿密に計算し、機長とともにその日のフライトプラン(飛行計画)を作成・決定します。天候悪化時には安全な迂回ルートを瞬時に提案するなど、地上からフライトの安全を総合的にバックアップしています。

これからの航空業界が切り拓く未来と新しい空の形

「空の日」を通じて私たちが振り返る航空の歴史は、いま新たな未来へと大きく動き出しています。持続可能な社会の実現と次世代の移動手段の登場により、空の可能性はさらに広がっています。

環境に優しい空の旅へ!SAF(持続可能な航空燃料)の導入

現在、世界的な課題となっている地球温暖化への対策として、航空業界でも二酸化炭素の排出削減が急務となっています。そこで大きな注目を集めているのが「SAF(持続可能な航空燃料)」です。

SAFとは、使用済みの食用油や木くず、家庭から出るゴミなどを原料として作られるバイオ燃料のことです。従来の化石燃料に比べて、製造から燃焼までのサイクル全体で二酸化炭素の排出量を大幅に削減することができます。日本国内の航空会社でも定期便でのSAF利用が段階的に進められており、クリーンで地球に優しい空の旅の実現に向けた取り組みが加速しています。

都市の移動を一変させる「空飛ぶクルマ(eVTOL)」とドローンの進化

もうひとつの大きな変革が、電動垂直離着陸機、いわゆる「空飛ぶクルマ」の実用化です。滑走路を必要とせず、ヘリコプターのように垂直に離着陸できるこの機体は、都市部の渋滞を回避する新たな移動手段や、離島・山間部への移動インフラ、災害時の救急救命活動など、多彩な分野での活躍が期待されています。

また、小型無人航空機(ドローン)による物流網の構築も着実に進んでおり、かつて山田猪三郎氏が飛行船で空へ挑んだ時代から1世紀を経て、私たちの日常の空はより身近で、より便利な空間へと進化を続けています。

まとめ

9月20日の「空の日」は、1911年に山田猪三郎氏が国産の山田式飛行船で東京上空の滞空飛行を成し遂げたという、日本の空の幕開けを象徴する偉業から始まりました。1940年に制定された「航空日」を経て、1992年に現在の「空の日」へと改称されて以降、航空に対する親しみと理解を深める大切な機会として親しまれています。

全国の空港で開催される「空の日」や「空の旬間」のイベントは、普段は見られない飛行機の裏側や、安全を守る航空管制官、整備士、地上スタッフの仕事に直接触れることができる貴重なチャンスです。また、SAFの導入や空飛ぶクルマの開発など、航空の世界は今もなお進化を止めず、新たな未来へと羽ばたき続けています。

今年の9月20日は、ぜひ青く広がる空を見上げて、先人たちのあくなき挑戦の歴史や、空の安全を支えるプロフェッショナルたちに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

参考リスト

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