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10月19日 ブラックマンデーとは?1987年の株価大暴落の原因と今に残る教訓

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はじめに

「ブラックマンデー」という言葉を、株価が大きく下がったニュースで耳にしたことがある方は多いと思います。ただ、実際に何が起き、なぜそこまで下がったのかを説明できる人は意外と少ないものです。

👇 本記事でわかる3つの重要ポイント 👇

  • 【テーマ1】1987年10月19日に起きた株価大暴落の全体像
  • 【テーマ2】暴落を引き起こしたとされる3つの原因
  • 【テーマ3】サーキットブレーカーなど今の市場に残る教訓

この記事では、暴落の前の数日間の動きから、日本への影響、その後の立ち直りまでを順番にたどります。ニュースで「ブラックマンデー以来」という表現を見たときに、その重みがわかるようになりますので、ぜひ最後までお読みください。

ブラックマンデーとは?1987年10月19日に起きたこと

ブラックマンデーとは、1987年10月19日(月曜日)に世界中の株式市場で起きた大暴落のことです。アメリカの代表的な株価指数であるダウ平均(ダウ・ジョーンズ工業株価平均)は、この1日だけで22.6%も下がりました。

ダウ平均が1日で22.6%下落

この日、ダウ平均は508ポイント下がり、1,738.74ドルで取引を終えました。AP通信は、これを1日の下落率として史上最大と伝えています。アメリカの中央銀行にあたるFRB(連邦準備制度)の歴史解説サイトも、この下落率は今も1日の下げとして過去最大だとしています。

取引の混乱ぶりも記録に残っています。CNBCによると、この日のニューヨーク証券取引所の売買高は約6億400万株で、当時の平均的な1日の約3倍でした。売り注文が多すぎて買い手が見つからず、S&P500(アメリカの主要500社の株価指数)の構成銘柄のうち95銘柄と、ダウ平均の30銘柄のうち11銘柄は、取引の開始が遅れたとされています。

1日で失われた株式の価値は、アメリカだけでおよそ5,000億ドルにのぼったと伝えられています。1929年の世界恐慌のきっかけとなった大暴落でも、1日の下落率は12%台でしたから、その倍近い下げ幅だったことになります。

世界中の市場に広がった連鎖

暴落はアメリカだけの出来事ではありませんでした。FRBの解説によると、ニューヨーク市場が開く前から、アジアなどの市場ですでに株価の急落が始まっていました。もっとも被害の大きかったニュージーランドでは、株価が60%下がったとされています。

時差の関係で、オーストラリアやニュージーランドなどでは、この出来事を「ブラックチューズデー(暗黒の火曜日)」と呼ぶこともあります。FRBの解説は、世界の金融市場がどれほど深く結びついているかを、多くの人が初めて実感した出来事だったと位置づけています。テレビの生中継で、危機が市場から市場へ広がっていく様子を見られたのも、このときが初めてでした。

暴落の前に何があった?10月14日〜17日の不穏な動き

ブラックマンデーは突然起きたように見えますが、実際にはその前の週から株価の下落が続いていました。月曜日の大暴落は、たまっていた不安が一気に噴き出した結果だったといえます。

そもそも1987年は、株価が勢いよく上がった年でした。FRBの解説によると、ダウ平均は8月下旬までの7か月で44%も上昇し、「バブル(実力以上に値上がりした状態)ではないか」という心配の声が出ていました。CNBCによると、8月25日には当時の最高値である2,722ドルを付けています。

10月に入ると、雰囲気が変わります。暴落までの数日間の主な動きは、次のとおりです。

日付 主な出来事
10月14日(水) このころ予想より大きな貿易赤字が明らかになり、ドルが下落。ダウ平均は95.46ポイント(3.81%)下落
10月15日(木) ダウ平均がさらに57.61ポイント(2.39%)下落
10月16日(金) 先物とオプションの期限が重なる「トリプル・ウィッチング」の日。ダウ平均は108.35ポイント(4.6%)下落し、当時のポイントでの過去最大の下げを記録
10月17日(土) ベーカー財務長官が、貿易赤字を縮めるためにドル安を容認するかのような発言をし、不安が広がる
10月19日(月) アジア市場から下落が始まり、ニューヨークでダウ平均が22.6%下落

週末の2日間、投資家は市場が開くのを待つしかありませんでした。そのため月曜日の朝には、売りたい人の注文が大量にたまった状態になっていました。この「売りたいのに売れない」状況が、月曜日の取引開始と同時に大きな下げを生んだのです。

日本への影響:日経平均は翌20日に3,836円安

日本では時差の関係で、ニューヨークの暴落を受けた翌日の10月20日(火曜日)に東京市場が大きく下がりました。日本経済新聞社の指数解説サイトによると、日経平均株価はこの日、3,836円(14.9%)下落し、終値は2万1,910円でした。

この14.9%という1日の下落率は、1953年の「スターリン暴落」(下落率10.0%)の記録を34年ぶりに塗り替えたものです。そして2026年10月時点でも、日経平均の1日の下落率としては過去最大の記録として残っています。

一方、下落した金額(下げ幅)の記録は、2024年に塗り替えられました。2024年8月5日、日経平均は4,451円28銭下がり、ブラックマンデー翌日の3,836円48銭を上回る史上最大の下げ幅となりました。ただし、この日の下落率は12.4%で、ブラックマンデー翌日の14.9%には届いていません。

日付 下げ幅 下落率 終値
1987年10月20日 3,836円48銭 14.9% 2万1,910円08銭
2024年8月5日 4,451円28銭 12.4% 3万1,458円42銭

このように「金額」と「割合」では、どちらが最大かが異なります。ニュースで「ブラックマンデー超え」と報じられたときは、どちらの記録の話なのかを確かめると、状況を正しくつかめます。当時の日本はバブル景気が本格化しつつある時期で、日経平均はその後に持ち直し、1989年末には3万8,915円の高値を付けています。

ブラックマンデーの原因は?主な3つの要因

ブラックマンデーの原因は、ひとつに決まっているわけではありません。株価の上がりすぎ、経済への不安、コンピューターによる自動売買という複数の要因が重なったと考えられています。

株価の急上昇と割高感

先に触れたとおり、1987年の株価は短期間で大きく上がっていました。FRBの解説によると、外国の投資家がアメリカの株式市場に積極的に資金を入れていたことも、値上がりの一因でした。上がりすぎた株価は、ちょっとした悪いニュースで大きく崩れやすくなります。

貿易赤字とドル安への不安

10月中旬には、予想を上回る貿易赤字(輸入が輸出を上回った額)が発表され、ドルの価値が下がりました。さらに財務長官のドル安を示唆する発言が重なり、「アメリカ経済は大丈夫なのか」という不安が投資家の間に広がりました。

ポートフォリオ・インシュアランスによる売りの連鎖

もっとも注目されたのが、「ポートフォリオ・インシュアランス」と呼ばれる手法です。これは、株価が下がったときに先物(将来の売買を約束する取引)を自動的に売って、損失を一定の範囲に抑えようとする仕組みでした。

1つの投資家が使う分には合理的な方法でした。しかし多くの機関投資家が同じ仕組みを使っていたため、次のような悪循環が起きたと考えられています。

  1. 株価が下がる
  2. 仕組みが自動的に先物を売る
  3. その売りでさらに株価が下がる
  4. 仕組みがまた売りを出す

経済学者のロバート・シラー氏も、こうした悪循環が暴落を加速させたと分析しています。暴落後に設けられたアメリカの大統領特別委員会(ブレイディ委員会)も、ポートフォリオ・インシュアランスと機関投資家の反射的な売りに主な原因があるとまとめました。

FRBの対応と、その後の回復

暴落のあと、市場の混乱を抑えるうえで大きな役割を果たしたのがFRBです。「必要なお金は供給する」という姿勢をすばやく示したことで、金融システムの連鎖的な崩れは避けられました。

当時のFRB議長は、1987年8月に就任したばかりのアラン・グリーンスパン氏でした。暴落の翌日、10月20日の取引開始前に、FRBは次のような趣旨の声明を出しています。

FRBは、経済と金融システムを支えるため、資金の供給元となる用意があることを確認した。(FRB声明の要旨/1987年10月20日)

FRBの解説によると、裏側ではFRBが銀行に対して、証券会社へのお金の貸し出しを普段どおり続けるよう働きかけました。その結果、ニューヨークの大手10行は、その週に証券会社への貸し出しをほぼ倍に増やしたといいます。

株価の立ち直りも比較的早いものでした。ダウ平均は、その後の2営業日でブラックマンデーの下げ幅の57%にあたる288ポイントを取り戻しています。そして2年足らずで、暴落前の最高値を上回りました。大きな暴落だったにもかかわらず、景気後退や銀行危機にはつながらなかった点も、この出来事の特徴です。

一方で、「市場が崩れればFRBが助けてくれる」という期待を投資家に植え付けたという見方もあります。このような期待は、のちに「グリーンスパン・プット」と呼ばれるようになりました。

ブラックマンデーが残した教訓:サーキットブレーカー

ブラックマンデーの最も大きな遺産は、株価が急落したときに取引を一時止める「サーキットブレーカー」という仕組みです。電気の使いすぎで回路を遮断するブレーカーのように、市場が過熱したパニックを強制的に冷ます役割を持っています。

FRBの解説によると、ニューヨーク証券取引所は1987年と1989年の急落を受けて、この仕組みを取り入れました。現在のアメリカのルールは、S&P500の1日の下落率を基準にしています。米国証券取引委員会(SEC)の投資家向けサイトによると、2026年10月時点で確認できるルールは次のとおりです。

段階 前日比の下落率 取引の扱い
レベル1 7% 午後3時25分より前なら15分間停止
レベル2 13% 午後3時25分より前なら15分間停止
レベル3 20% 時間に関係なく、その日の取引を終了

SECによると、2013年2月までは、ダウ平均を基準に10%・20%・30%で止めるルールでした。今の基準で見ると、ブラックマンデーの22.6%という下げは、取引がその日のうちに打ち切られる水準を超えていたことになります。

このほか、株式・先物・オプションで売買代金の受け渡し日がばらばらだった問題も、暴落後に見直されました。FRBの解説によると、受け渡し日のずれがあったために、暴落翌日の朝には取引がほとんど止まってしまったといいます。ブラックマンデーは、市場の「仕組みの弱点」を洗い出すきっかけにもなったのです。

よくある質問

ブラックマンデーは何年何月何日のことですか?

1987年10月19日(月曜日)です。日本では時差の関係で、翌日の10月20日(火曜日)に東京市場が大きく下がりました。

ブラックマンデーで日経平均はいくら下がりましたか?

1987年10月20日に3,836円48銭(14.9%)下がり、終値は2万1,910円08銭でした。下落率14.9%は、2026年10月時点でも日経平均の1日の下落率として過去最大です。

ブラックマンデーの原因は何だったのですか?

株価の上がりすぎ、貿易赤字やドル安への不安、ポートフォリオ・インシュアランスによる自動的な売りの連鎖などが重なったと考えられています。原因をひとつに絞ることは難しく、複数の要因が同時に働いたというのが一般的な見方です。

ブラックマンデーのあと、景気は悪くなりましたか?

FRBの解説によると、ブラックマンデーのあとに景気後退や銀行危機は起きませんでした。株価も2年足らずで暴落前の最高値を上回っています。

サーキットブレーカーとは何ですか?

株価が短時間で大きく下がったときに、取引所の取引を一時的に止める仕組みです。投資家に冷静になる時間を与え、パニック的な売りの連鎖を防ぐことを目的としています。

まとめ

ブラックマンデーは、1987年10月19日にダウ平均が1日で22.6%下がった、史上最大級の株価暴落です。前の週から続いた下落や経済への不安に、コンピューターによる自動的な売りが重なり、世界中の市場へ一気に広がりました。日本でも翌20日に日経平均が14.9%下がり、その下落率は今も破られていません。

一方で、FRBのすばやい対応によって金融システムの崩壊は避けられ、サーキットブレーカーなど、今の市場を守る仕組みも生まれました。覚えておきたいのは、「みんなが同じ行動をとると、小さな下げが大きな暴落になる」という教訓です。なお、投資の判断は個人の状況によって異なるため、具体的な判断は専門家や公的機関にご相談ください。

次に株価の急落がニュースになったときは、「下げ幅」と「下落率」のどちらが話題になっているのか、そしてサーキットブレーカーが発動したかどうかを確認してみてください。ブラックマンデーと比べることで、その出来事の大きさがより正確に見えてきます。

参考リスト

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