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【5月24日はゴルフ場記念日】日本初のゴルフ場はどこ?六甲山とアーサー・ヘスケス・グルームの知られざる歴史を徹底解説!

スポーツ
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はじめに

カレンダーを見ていると、毎日さまざまな記念日が設定されていることに気がつきますが、5月24日が何の日かご存知ですか?実は、日本のスポーツの歴史において非常に重要な意味を持つ「ゴルフ場記念日」なのです。近年、年齢や性別を問わず幅広い世代でゴルフを楽しむ人が増えており、週末には大自然の中でリフレッシュしながらプレーを楽しむ方がたくさんいらっしゃいます。しかし、「日本のゴルフはいつ、どこで、誰が始めたの?」という疑問を持ったことがある方は少ないかもしれません。

👇 本記事でわかる3つの重要ポイント 👇

  • 【テーマ1】5月24日が「ゴルフ場記念日」に制定された歴史的な理由
  • 【テーマ2】日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」誕生の秘密と苦労
  • 【テーマ3】創設者アーサー・ヘスケス・グルームと六甲山の深い関係性

本記事では、日本のゴルフ史の記念すべき幕開けとなった歴史的な出来事について、ゴルフにあまり詳しくない方にもわかりやすく丁寧な言葉で解説していきます。この記事を最後までお読みいただければ、次にゴルフ場へ足を運ぶときや、テレビでゴルフ中継を観戦するときの視点が少し変わり、より深くゴルフというスポーツを楽しめるようになるはずです。それでは、時を明治時代へと巻き戻し、日本のゴルフ誕生のワクワクするストーリーを一緒に見ていきましょう!

5月24日が「ゴルフ場記念日」に制定された理由と歴史的背景

毎年5月24日は、日本のゴルフファンにとって特別な「ゴルフ場記念日」として知られています。この記念日は、今から120年以上も前となる1903年(明治36年)の5月24日に、日本で初めてのゴルフ場である「神戸ゴルフ倶楽部」が正式にオープンしたことに由来しています。

現代の日本では、全国各地に2000以上のゴルフ場が存在し、休日になれば多くのプレイヤーで賑わっています。専用の乗用カートで快適に移動し、綺麗に整備された緑の芝生の上でプレーするのが当たり前の光景となっていますが、明治時代の日本ではゴルフというスポーツ自体がまったく知られていない未知の遊びでした。当時の日本は、西洋の文化や制度を積極的に取り入れて近代化を進めている真っ最中であり、鉄道が敷かれ、レンガ造りの洋館が建ち並び始めたばかりの時代です。

そんな中、遠く離れた異国の地からやってきた一人のイギリス人男性の情熱によって、日本の山の上に初めてゴルフクラブの音が響き渡ることになりました。5月24日という日は、単に一つのスポーツ施設が完成した日というだけでなく、日本に西洋の新しいレジャー文化がしっかりと根を下ろした、歴史的なターニングポイントと言えるのです。

イギリス人商人アーサー・ヘスケス・グルームの来日

日本初のゴルフ場を作った人物、それはイギリス人のアーサー・ヘスケス・グルーム(Arthur Hesketh Groom)という実業家です。彼は日本のゴルフの歴史を語る上で、絶対に欠かすことのできない最重要人物です。

グルームが日本にやってきたのは1868年、奇しくも神戸港が外国に向けて開港した直後のことでした。若干21歳という若さで海を渡ってきた彼は、長崎を経て神戸に定住し、お茶などの輸出入を扱う貿易会社を立ち上げました。当時の神戸には「外国人居留地」と呼ばれる、外国人が住むために特別に指定されたエリアがあり、多くの西洋人がそこを拠点にビジネスを行っていました。

グルームは非常に活動的で、スポーツをこよなく愛する青年でした。彼はビジネスで大きな成功を収める一方で、クリケットやラグビー、そしてボート競技など、母国イギリスで親しんでいたさまざまなスポーツを神戸の地に持ち込み、スポーツクラブの設立にも深く関わりました。彼の根底には、「仕事だけでなく、自然の中で体を動かす健康的な娯楽が人生には必要である」という強い信念があったのです。

なぜ六甲山が選ばれたのか?避暑地としての開拓史

イギリスをはじめとするヨーロッパの涼しい気候で育った外国人たちにとって、日本の夏の気候は大きな悩みの種でした。まとわりつくような高い湿度と厳しい暑さは非常に過酷であり、体調を崩す人も少なくありませんでした。そこでグルームは、神戸の市街地のすぐ背後にそびえ立つ「六甲山」に目をつけました。

ハゲ山だった六甲山を緑豊かな山へ

現代の私たちが知る六甲山は、木々が生い茂る緑豊かな美しい山ですが、グルームが目をつけた明治時代の六甲山は、実は木がほとんど生えていない「ハゲ山」でした。地元の人々が燃料として木を伐採し尽くしてしまっていたためです。しかし、標高が高く市街地よりも気温が数度低い六甲山の山頂付近は、夏の暑さを逃れるための「避暑地」としてこれ以上ないほど完璧な条件を備えていました。

グルームは自らの足で何度も険しい山道を登って調査を重ね、私財を投じて六甲山の土地を購入しました。そして1895年(明治28年)、ついに六甲山で初めてとなる外国人のための夏の別荘(通称:101番屋敷)を完成させたのです。さらに彼は、ただ別荘を建てるだけでなく、見晴らしの良い場所に木を植え、道を作り、自然環境を美しく整える努力を続けました。この多大な功績から、グルームは今日でも「六甲山の開祖(六甲山の父)」として地元の人々に深く敬愛されています。

手作業で作られた奇跡のコース!当時のゴルフ場建設の裏側

六甲山に別荘を建て、涼しい夏を過ごせるようになったグルームと彼の友人たちでしたが、彼らには一つだけ大きな不満がありました。それは、母国で愛してやまなかった「ゴルフ」を楽しむ場所がないことでした。「それならば、自分たちの手で作ってしまおう!」というグルームの大胆な発想から、日本初のゴルフ場建設計画がスタートします。

重機のない時代の大変な作業

現代のようにショベルカーやブルドーザーといった大型の重機が一切ない時代です。ゴルフ場作りの作業は、私たちの想像を絶するほど過酷なものでした。グルームたちは、地元の農民たちを雇い、クワやカマを手に持って、大人の背丈ほどもある頑固な「ミヤコザサ(笹の一種)」を一本一本根気よく刈り取っていきました。

さらに、地面にゴロゴロと転がっている巨大な岩をテコの原理を使って手作業で動かし、平らな場所を作り出していきました。芝生を植えるための土壌作りから、コースのレイアウトまで、すべてが手探りの大事業でした。休日になると、グルームの友人である外国人たちも山に登り、泥だらけになって一緒に作業を手伝ったと伝えられています。

日本初となる「神戸ゴルフ倶楽部」の誕生

何年にもわたる途方もない苦労の末、1901年(明治34年)の秋に、まずは手作りの「4ホール」が完成しました。わずか4ホールとはいえ、日本の大地で初めてゴルフボールが打たれた感動的な瞬間でした。そして、さらにコースの拡張作業は続けられ、ついに1903年(明治36年)の春には「9ホール」のコースが立派に完成したのです。

そして迎えた1903年5月24日。この日、六甲山の山頂で正式に「神戸ゴルフ倶楽部」の開場式(オープニングセレモニー)が華やかに開催されました。これが、現在私たちが「ゴルフ場記念日」としてお祝いしている出来事の全貌です。その後、コースはさらに拡張され、翌年の1904年には現代のゴルフ場と同じ「18ホール」が揃う本格的なゴルフコースへと進化を遂げました。

明治時代のゴルフ事情!当時のプレーはどんな感じだった?

日本初のゴルフ場がオープンした当時のプレー風景は、現代の私たちが知るゴルフとはずいぶん異なるものでした。まず、ゴルフクラブのシャフト(柄の部分)は金属やカーボンではなく、「ヒッコリー」という硬い木材で作られていました。ボールも現代のようなハイテク素材ではなく、ガタパーチャという天然ゴムのような樹液を固めたものや、糸を巻いた原始的なボールが使われていました。

また、プレイヤーたちの服装も非常にフォーマルでした。ネクタイをしっかりと締め、ニッカボッカーズと呼ばれる膝下丈のズボンを履き、ハンチング帽をかぶってプレーするのが当時の英国紳士たちのマナーでした。山の上の涼しい気候とはいえ、ネクタイを締めて山の中を歩き回るのは相当な体力を必要としたはずです。

地元の人々との交流とキャディの誕生

外国人が棒きれを振り回して小さな白い球を飛ばす姿は、六甲山の周辺に住む地元の日本人にとって、まさに狐につままれたような不思議な光景でした。しかし、このゴルフ場の誕生は、地元の人々にとっても新しい仕事を生み出すきっかけとなりました。

プレイヤーのクラブが入った重いバッグを運ぶ「キャディ」の仕事です。当時は電動カートなどありませんから、18ホールをすべて歩いて回らなければなりません。地元の農家の青年や子どもたちがキャディとして雇われ、外国人プレイヤーと一緒にコースを歩きました。彼らはキャディとして働くうちに、見よう見まねでゴルフのルールやスイングを覚え、やがて日本人初のプロゴルファーが誕生する土壌が作られていったのです。

日本のゴルフ文化はどのようにして広まっていったのか?

六甲山に誕生した神戸ゴルフ倶楽部は、最初は主に外国人のためのプライベートな社交場でした。しかし、グルームたちとビジネスで交流のあった日本の裕福な実業家や商人たちが、少しずつこの新しいスポーツに興味を持ち始めます。「外国人たちが夢中になっているゴルフというスポーツは、一体どんなものなのだ?」と、見学に訪れたり、実際にクラブを握らせてもらったりする日本人が増えていきました。

その後、神戸だけでなく、横浜や東京などの外国人居留地周辺や、軽井沢などのリゾート地にも次々とゴルフ場が建設されていきます。大正時代に入ると、日本人自身の手によるゴルフ場も作られるようになり、昭和の高度経済成長期を迎えると、ゴルフはビジネスマンの接待やステータスシンボルとして日本中に爆発的に普及していきました。

現代のゴルフブームへと繋がる架け橋

今では、石川遼選手や松山英樹選手、渋野日向子選手など、世界を舞台に大活躍する日本人プロゴルファーが次々と誕生しています。また、週末になれば多くの愛好家がゴルフ場に足を運び、大自然の中で白球を追いかけています。最近では若い世代や女性の間でもゴルフが大ブームとなっており、よりカジュアルでファッショナブルなスポーツとして定着しています。

このような現代の豊かで楽しいゴルフ文化のすべては、1903年5月24日に六甲山の山頂でひっそりと産声を上げた「神戸ゴルフ倶楽部」から始まりました。アーサー・ヘスケス・グルームという一人のイギリス人の情熱と、笹を刈り取り岩を動かした地元の人々の途方もない努力がなければ、今の日本のゴルフ界は存在しなかったかもしれません。

まとめ

5月24日の「ゴルフ場記念日」は、1903年にアーサー・ヘスケス・グルームが神戸の六甲山に日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」をオープンしたことに由来する、とても歴史的で意義深い一日です。ただのハゲ山だった六甲山を緑豊かな避暑地に変え、クワやカマを使って手作業で切り拓いたコースは、日本のスポーツ史に燦然と輝く素晴らしい遺産です。

私たちが普段何気なく楽しんでいるゴルフというスポーツの裏側には、海を越えてやってきた外国人の情熱と、それに応えた日本人の努力の物語が隠されていました。次にあなたがゴルフ場に行って緑の芝生に立つときや、テレビで白熱するゴルフツアーの試合を観戦するときは、ぜひこの「1903年5月24日」の出来事を思い出してみてください。きっと、ゴルフというスポーツがこれまで以上に奥深く、魅力的なものに感じられるはずです。

参考リスト

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