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【6月17日は何の日?】おまわりさんの日の由来と日本の警察の歴史・制服の秘密を徹底解説!

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【6月17日は何の日?】おまわりさんの日の由来と日本の警察の歴史・制服の秘密を徹底解説!

はじめに

毎日私たちの街の安全を昼夜問わず守ってくれている「おまわりさん」。道に迷ったときに優しく教えてもらったり、落とし物をしたときに親身になって一緒に探してもらったりと、日常生活の中で助けてもらった経験がある方も多いのではないでしょうか。普段、街角や交番で何気なく見かけている警察官ですが、実は日本で初めておまわりさんが誕生したことを記念する特別な日、「おまわりさんの日」が「6月17日」に定められていることをご存知でしょうか。この記事では、「おまわりさんの日」が制定された驚きの背景や、明治時代にまでさかのぼる日本の警察制度の歴史について、難しい専門用語を一切使わずに、どなたにでもわかりやすく丁寧にご紹介します。これを読めば、明日から街でおまわりさんを見かけたときの見方が少し変わり、身近な安全に対する感謝の気持ちがさらに深まるかもしれません。

👇 本記事でわかる3つの重要ポイント 👇

  • 【テーマ1】6月17日が「おまわりさんの日」に制定された歴史的な理由
  • 【テーマ2】日本初の警察官の制服と現代へと続く進化の秘密
  • 【テーマ3】世界に誇る「交番(KOBAN)」システムの素晴らしさ

身近な存在でありながら、意外と知らないおまわりさんの深い歴史。日本の治安を長年にわたって守り続けてきたその歩みを知ることは、私たちの安心・安全な暮らしの基盤を改めて見つめ直すとても良いきっかけになります。それでは、さっそく「おまわりさんの日」の不思議で魅力的な世界へ、一緒に楽しく出発しましょう!

6月17日「おまわりさんの日」の深い由来とは?

1874年(明治7年)に初めて配置された巡査

毎年6月17日は、日本全国において「おまわりさんの日」として広く親しまれています。この記念日の由来は、今から約150年以上も前となる明治時代にまでさかのぼります。具体的には、1874年(明治7年)のこの日、日本で初めて巡査(警察官)が配置されたことにちなんでいます。

明治時代が始まる前、つまり皆さんがよく知る江戸時代までは、街の治安を守る役割は「与力(よりき)」や「同心(どうしん)」、そして時代劇のテレビ番組などでよく耳にする「岡っ引き(おかっぴき)」や「目明かし(めあかし)」と呼ばれる人々が担っていました。しかし、明治維新という大きな時代の変化を迎え、日本も西洋の近代的な国づくりを進める必要が出てきました。

そこで、当時の政府はヨーロッパの進んだ制度を積極的に取り入れ、近代的な国家として正式な警察組織を作ろうという動きを本格化させました。初代の大警視(現在の警視総監にあたる一番上の役職)となった川路利良(かわじ としよし)という人物が、フランスなどの警察制度を視察して回り、日本の実情に合わせた新しい警察組織を築き上げました。そして1874年に東京に警視庁が創設され、同年6月17日に巡査制度がスタートしたのです。これが、現在私たちが街で見かける警察官の輝かしい始まりとなります。

なぜ「警察官」ではなく「おまわりさん」と呼ばれるのか?

ところで、法律上の正式な職業名は「警察官」や「巡査」であるにもかかわらず、なぜ私たちは親しみを込めて「おまわりさん」と呼ぶのでしょうか。その理由は、彼らの日常的な仕事のスタイルそのものに隠されています。

警察官の大切な仕事の一つに、決められた担当の地域を自分の足や自転車で巡回して、変わったことがないか、困っている人がいないかを見て回る「パトロール」があります。この「地域を回る(巡回する)」という行動から、「お回りさん(おまわりさん)」という呼び名が自然と生まれ、一般の人々の間に定着していったと言われています。

「警察官」と聞くと、少し厳格で近寄りがたい印象を受けるかもしれませんが、「おまわりさん」という言葉には、いつも私たちの身近にいて、地域を見守ってくれる頼もしいお隣さん、といった温かい響きが含まれています。子どもたちが道端で元気よく挨拶する風景は、日本の治安の良さと、警察官と市民との心の距離の近さを象徴していると言えるでしょう。

日本初の警察官の制服と進化の歴史

同じ日に定められた警察官の「制服」

6月17日という日は、初めておまわりさんが街に立った日であると同時に、もう一つの大きな節目でもあります。実は、同じ日に警察官の「制服」も初めて定められました。制服というものは、ただの作業着や洋服ではありません。一般の市民が一目見て「あの人は街の安全を守ってくれる人だ」と見分けるための、非常に重要な目印なのです。

また、制服があることで、私たちは安心して助けを求めることができますし、逆に悪いことをしようと企てている人に対しては、その姿を見せるだけで犯罪を未然に防ぐ力(抑止力)を持っています。日本で初めて制服が導入され、誰もが警察官を認識できるようになったことは、現代へと続く安全な社会づくりのための、非常に大きな第一歩だったと言えます。

明治時代の警察官はどのような姿だった?

では、1874年当時に定められた初めての制服は、一体どのようなデザインだったのでしょうか。現代の私たちがよく見かける、スマートな紺色や水色の制服とは少し雰囲気が異なっていました。

明治時代初期に制定された制服は、主にフランスの警察組織の制服などを参考にして作られたと言われています。濃い紺色を基調とした詰め襟(首元までボタンがしっかりと留められているスタイル)の上着で、非常に威厳のある立派な姿でした。手にはサーベル(西洋の剣)を下げるなど、当時の人々にとっては非常に新鮮で、少し驚くような西洋風の出立ちだったようです。

しかし、当時の制服は厚手の生地で作られていたため、日本の蒸し暑い夏場などは非常に苦労したという記録も残っています。その後、時代が進むにつれて、活動のしやすさや通気性、そして市民に与える印象の柔らかさなどが細かく研究され、幾度となく改良が重ねられてきました。現代の警察官の制服が、季節に合わせて冬服、合服(春や秋用)、夏服と分かれており、とても動きやすい素材で作られているのは、150年以上にわたる努力と改善の積み重ねなのです。

世界が絶賛する日本の「交番(KOBAN)」システム

地域住民の暮らしに密着した心強い存在

おまわりさんの歴史を語る上で絶対に欠かせないのが、街のあちこちにある「交番」の存在です。実は、交番システムは日本が独自に生み出し、育て上げてきた非常に優れた仕組みとして知られています。

明治時代に警察制度が始まった当初は、交番というしっかりとした建物はなく、警察官が警察署から指定された場所に交代で行き、立ったまま監視や警戒を行う「交番所(立番)」というスタイルでした。しかし、雨の日や風の日、雪の日も外で立ち続けるのは非常に過酷です。そこで、次第に雨風をしのぐための小さな建物が作られるようになり、それが現在の「交番」へと発展していきました。

交番のおまわりさんは、単にパトロールや泥棒の逮捕をするだけではありません。道に迷った人に道を教えたり、落とし物や忘れ物を大切に預かったり、近所のちょっとしたトラブルの相談に乗ったりと、その業務は多岐にわたります。地域の人々の生活に密着し、困りごとを解決する「よろず相談所」のような役割を果たしているのが、日本のおまわりさんの最大の魅力です。

海外でも活躍するKOBANの仕組み

この日本の「交番」システムは、現在、世界中から非常に高い評価を受けています。「KOBAN」という言葉は、そのまま世界の警察関係者の間で通じる国際的な言葉になりつつあるほどです。

多くの国では、警察官は大きな警察署に待機しており、事件や事故を知らせる電話があってから現場に車で急行する、というスタイルが一般的です。しかし、日本のようにはじめから地域の各所に交番があり、おまわりさんが常にそこにいるシステムは、犯罪が起きる前に防ぐ「予防」の観点から非常に効果的であると証明されています。

現在では、シンガポールやブラジル、アメリカの一部地域など、多くの国々が日本の交番制度をモデルにして、独自のKOBANシステムを導入し、地域の治安改善に大きな成果を上げています。私たちが当たり前のように利用している近所の交番は、実は世界に誇れる素晴らしい安全の拠点なのです。

知っておきたい!警察にまつわる面白い豆知識

警察のシンボルマークが表す深い意味

おまわりさんの帽子や制服、そして交番の建物などによく金色の星のようなマークがついているのを見たことがありませんか。あのマークは「旭日章(きょくじつしょう)」と呼ばれ、日本の警察のシンボルマークとなっています。

このマークは、東の空から勢いよく昇ってくる「朝日」をデザインしたものです。朝日が隅々まで光を照らすように、警察官も社会のあらゆる場所に目を配り、隠れた悪事を明るみに出し、人々を温かく守るという強い決意が込められています。とても美しく、そして頼もしい意味が込められたマークなのです。

パトカーが白と黒のツートンカラーである理由

街中を走るパトロールカー(パトカー)は、上半分が白色、下半分が黒色に塗られています。これにもきちんとした歴史的な理由があります。

日本で初めてパトカーが登場した昭和の初め頃、実は日本の道路の多くはまだアスファルトで綺麗に舗装されておらず、土や砂利の道ばかりでした。もし車全体を白色にしてしまうと、泥はねや砂埃ですぐに下半分が汚れて見栄えが悪くなってしまいます。そこで、汚れが目立たないように下半分を黒色に塗ることにしたのです。

また、当時は一般の自動車の多くが白色一色だったため、ひと目で「警察の車だ!」とわかるように白と黒のツートンカラーにしたという理由もあります。道路が綺麗に舗装された現代でも、パトカー=白と黒というイメージが定着しているため、この伝統的なカラーリングがそのまま引き継がれています。

緊急通報が「110番」に決められた背景

事件や事故が起きたときに警察を呼ぶための電話番号は「110番」ですが、なぜこの数字になったのでしょうか。これには、昔の電話機である「ダイヤル式電話」の仕組みが関係しています。

ダイヤル式電話では、「1」の穴はストッパーまでの距離が一番短く、すぐに回すことができます。緊急時に一刻も早くダイヤルできるように、最初の二つの数字は最短で回せる「1」が選ばれました。そして最後の数字を「0」にしたのは、「0」はダイヤルを回してから元に戻るまでに一番時間がかかる数字だからです。あえて最後に時間のかかる「0」を回すことで、パニックになっている通報者の心をほんの少しでも落ち着かせるための時間を意図的に作ったと言われています。人々の心理まで考え抜かれた、素晴らしいアイデアですね。

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は、6月17日の「おまわりさんの日」をテーマに、日本で初めて巡査が配置された1874年の出来事や、同じ日に定められた制服の歴史、そして現代に続く交番システムの素晴らしさや面白い豆知識について詳しく解説してきました。

普段、当たり前のように街で見かけるおまわりさんですが、その背景には150年以上もの長い歴史と、先人たちの試行錯誤、そして市民の安全を守るための熱い思いが込められています。明治時代に西洋の制度を取り入れながらも、日本独自の「地域に寄り添う温かい警察」へと発展してきた歩みは、非常に興味深いものです。

また、おまわりさんが着用している制服が、時代とともに進化し、私たちが一目で安心感を得られるように工夫されていることもわかりました。「警察官」ではなく「おまわりさん」という愛称で呼ばれる日本独自の文化は、世界に誇るべき美しい文化だと言えます。

この記事を通じて、おまわりさんの仕事に対する理解が深まり、日々の安全な暮らしがいかにして守られているかを感じていただけたなら幸いです。次に交番の前を通るときは、心の中でそっと「いつもありがとうございます」と感謝の言葉を伝えてみてください。次回の「ちょっと気になる話題の宝庫」でも、皆さんの知的好奇心を刺激するような、面白くてためになる歴史の秘密をお届けしますので、どうぞお楽しみに!

参考リスト

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