はじめに
「部下が自分の思い通りに動いてくれない」「子どもが言うことを聞いてくれない」「あの人が本当はどう思っているのか知りたい」「将来が不安だから、すべて計画通りに進めたい」。私たちは、自分のまわりのことをできるだけ把握し、思い通りにコントロールしたいと願っています。しかし、その願いが強くなればなるほど、うまくいかないときのイライラや不安も大きくなってしまうものです。
👇 本記事でわかる3つの重要ポイント 👇
- 【テーマ1】ハイゼンベルクの「不確定性原理」とは何か
- 【テーマ2】「すべてを把握したい」が心を苦しめる理由
- 【テーマ3】アドラー心理学の「課題の分離」で心を軽くする方法
第4回では、量子もつれをメタファーとして、人と人とのつながりと「心の境界線」について考えました。第5回となる今回は、その境界線をさらに一歩進めて、「コントロール」というテーマに向き合います。物理学の世界で「すべてを正確に知ることは原理的にできない」ことを示したハイゼンベルクの「不確定性原理」をヒントに、アドラー心理学の「課題の分離」という考え方を取り入れて、他人や未来を思い通りにしようとする苦しさから自由になる方法をお届けします。今回も数式は一切使いませんので、安心して読み進めてください。
どうして私たちは「すべてを把握したい」と思うのでしょうか?
「わかっている」ことは安心につながる
第1回でもお話ししたように、私たちの脳は「わからない状態」を強く嫌います。先のことが見通せていれば、危険に備えることができ、安心して過ごせるからです。そのため、私たちは無意識のうちに、まわりの状況や他人の考えをできるだけ正確に把握し、予測し、コントロールしようとします。
この性質は、仕事の段取りを整えたり、トラブルを未然に防いだりするうえで、とても役に立ちます。責任感が強く、しっかり者と呼ばれる人ほど、この「把握してコントロールする力」に優れているともいえるでしょう。
コントロールできないものまで抱え込んでしまう
ところが、この力が行きすぎると、本来はコントロールできないものまで自分の手で何とかしようとしてしまいます。相手の気持ち、他人の評価、家族の生き方、そして未来の出来事。これらは、どれだけ努力しても自分の思い通りにはなりません。
それでも「何とかしなければ」と抱え込んでしまうと、思い通りにならない現実に何度も直面し、イライラや無力感、自分を責める気持ちが積み重なっていきます。心理学では、人は実際以上に「自分は物事をコントロールできる」と思い込みやすい傾向があることが知られており、これは「コントロール幻想」と呼ばれています。
この「コントロールできるはず」という思い込みを、物理学の視点からやさしくほぐしてくれるのが、量子力学の「不確定性原理」です。
ハイゼンベルクの「不確定性原理」とは?
位置と動きは「同時に」正確には決まらない
1927年、ドイツの物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクは、量子力学の世界における驚くべき性質を発表しました。それが「不確定性原理」です。
ひとことで言うと、「電子のような小さな粒子の『位置』と『運動量(どの向きに、どのくらいの勢いで動いているか)』は、同時に正確に知ることはできない」というものです。位置を正確に知ろうとすればするほど、動きのほうがぼやけてわからなくなり、反対に動きを正確に知ろうとすればするほど、位置のほうがぼやけてしまいます。
たとえるなら、走っている人を写真に撮るようなものです。シャッタースピードを速くすれば、その瞬間の「位置」はくっきり写りますが、どのくらいの速さで走っていたかはわかりません。反対にシャッタースピードを遅くすると、動いた軌跡から「速さ」はわかりますが、写真がぶれて「位置」がはっきりしなくなります。両方を同時に完璧に捉えることはできない、というイメージです。
測定技術の問題ではなく「自然そのものの性質」
ここで大切なのは、この不確定性が「測定する機械の性能が低いから」起きるわけではない、ということです。どれだけ技術が進歩し、どれほど精密な装置を作ったとしても、位置と運動量の両方を同時に完璧に知ることはできません。これは、ミクロの世界がもともと持っている性質であり、自然界の根本的なルールなのです。
つまり物理学は、「この世界には、どれだけ努力しても、すべてを完璧に把握することはできない領域がある」ということを、はっきりと示したのです。
※ここでの量子力学の話は、心の持ち方を考えるための「たとえ(メタファー)」としてご紹介しています。物理法則がそのまま人間関係に当てはまるという意味ではありませんので、思考のヒントとして気軽に受け取ってください。
不確定性原理が教えてくれる「把握しきれない」という真実
宇宙の基本ルールでさえ「すべては把握できない」
宇宙で最も基本的な存在である電子でさえ、その状態を完璧に把握することはできません。そう考えると、電子とは比べものにならないほど複雑な存在である人間の心や、無数の出来事が絡み合って生まれる未来を、完璧に把握し、コントロールできるはずがないと思えてきませんか?
「すべてを把握できないのは、自分の努力や能力が足りないからだ」と自分を責めてしまう人もいるかもしれません。しかし、物理学の視点から見れば、把握しきれないことがあるのは、この世界のごく自然な姿なのです。
何かを正確に追うほど、別の何かがぼやける
不確定性原理には、もう一つ、日常に生かせるヒントが隠れています。それは、「一方を正確に知ろうとすると、もう一方がぼやける」というトレードオフ(引き換え)の関係です。
たとえば、部下の仕事の進み具合を細かく把握しようとして何度も報告を求めると、部下はやる気や自主性を失い、本来の力を発揮できなくなってしまうかもしれません。パートナーの行動を逐一知ろうとすると、相手の本当の気持ちはかえって見えなくなっていきます。何かを正確につかもうとするほど、別の大切な何かが手のひらからこぼれ落ちていく。人間関係にも、そんな不確定性原理のような関係があるのかもしれません。
アドラー心理学の「課題の分離」とは?
「それは誰の課題か」を見極める
ここで、もう一つの考え方をご紹介しましょう。オーストリア出身の心理学者アルフレッド・アドラーが創始した「アドラー心理学(個人心理学)」の中でも、日本でベストセラー『嫌われる勇気』を通して広く知られるようになった「課題の分離」という考え方です。
課題の分離とは、目の前の問題について「これは誰の課題なのか」を見極め、自分の課題と他人の課題を切り分けることです。見極めるための目安は、「その選択の結果を、最終的に引き受けるのは誰か」を考えることだとされています。
たとえば、子どもが勉強をするかどうか。勉強をしなかった結果を最終的に引き受けるのは子ども自身なので、これは「子どもの課題」です。上司があなたの企画をどう評価するか。評価を下すのは上司なので、これは「上司の課題」です。一方で、企画書をどれだけ丁寧に作るかは、あなた自身が決められる「あなたの課題」です。
他人の課題には踏み込まない、踏み込ませない
アドラー心理学では、人間関係のトラブルの多くは、他人の課題に土足で踏み込むこと、あるいは自分の課題に踏み込まれることから生まれると考えます。「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」ということわざがありますが、まさにその通りです。私たちにできるのは、相手が水を飲める環境を整えるところまで。実際に飲むかどうかは、相手が決めることなのです。
ただし、課題の分離は「他人のことは知らない」と突き放す冷たい考え方ではありません。相手を信頼し、必要なときには「何か手伝えることはある?」と援助を申し出る。そのうえで、最終的な決定は相手に委ねる。それが、相手を一人の人間として尊重することにつながるのです。
物理学と心理学が導く「手放す」という選択
自分の課題には「位置」を、他人の課題には「余白」を
不確定性原理と課題の分離。一見まったく関係のない物理学と心理学ですが、どちらも「すべてを把握し、コントロールすることはできない」という同じ真実を指し示しています。
そこでおすすめしたいのが、「自分の課題」にはしっかりとピントを合わせ、「他人の課題」には意識的に余白を残すという考え方です。自分の行動、自分の言葉、自分の準備。これらは自分で決められることなので、くっきりとピントを合わせて全力を注ぎます。一方で、相手の反応や評価、未来の結果といった他人の課題や不確定な領域は、ぼやけたままでいいと割り切るのです。
「把握しきれない」は「信頼する」ことでもある
すべてを把握しようとするのをやめることは、決して投げやりになることではありません。それは、相手には相手の力があると「信頼する」ことであり、未来には自分の想像を超える可能性があると「委ねる」ことでもあります。
第1回でお話ししたように、箱の中の結果は開けるまで決まりません。第4回でお話ししたように、どれだけ深くつながっていても、相手の結果を選ぶことはできません。把握しきれない部分があるからこそ、人生には驚きや喜び、思いがけない出会いが生まれるのです。
「コントロールしたい」を手放すための具体的な3つのステップ
それでは、課題の分離を日々の生活に取り入れるための、具体的なステップを3つご紹介します。
ステップ1:「これは誰の課題?」と自分に問いかける
イライラや不安を感じたら、まず「これは誰の課題だろう?」と自分に問いかけてみましょう。そして、「その結果を最終的に引き受けるのは誰か」を考えます。紙に「自分の課題」「相手の課題」と2つの欄を作って書き分けてみると、思った以上に多くのことが「相手の課題」だったと気づくはずです。他人の課題で悩んでいたと気づくだけで、心はぐっと軽くなります。
ステップ2:「本当に知りたいこと」を一つに絞る
不確定性原理が教えてくれるように、すべてを同時に正確に知ることはできません。だからこそ、「あれもこれも把握したい」ではなく、「今いちばん大切なことは何か」を一つに絞りましょう。部下の仕事なら、細かな進み具合ではなく「期限に間に合うか」だけを確認する。家族なら、すべての行動ではなく「元気に過ごしているか」だけを気にかける。ピントを合わせる場所を絞ることで、余計な不安や干渉が減り、相手との関係も良くなっていきます。
ステップ3:自分の課題に全力を注ぎ、結果は手放す
最後に、自分の課題にはしっかり取り組み、その後の結果は潔く手放しましょう。企画書は自分にできる最善の形に仕上げる。でも、それをどう評価するかは上司の課題。伝えたいことは誠実に言葉にする。でも、それをどう受け止めるかは相手の課題。「やるべきことはやった。あとは任せよう」と思えたとき、心には驚くほどの静けさと自由が戻ってきます。
まとめ
今回は、ハイゼンベルクの「不確定性原理」と、アドラー心理学の「課題の分離」を組み合わせて、「すべてを把握したい」「思い通りにしたい」という気持ちを手放す方法を考えてきました。宇宙の基本的なルールでさえ、すべてを完璧に把握することはできません。ましてや、他人の心や未来を100%コントロールすることは、もともと不可能なのです。
だからこそ、自分の課題にはしっかりとピントを合わせ、他人の課題や不確定な未来には、ぼやけたままの余白を残しておきましょう。「把握しきれない」ことを受け入れるのは、あきらめではなく、相手と未来を信頼すること。そう考えるだけで、毎日の人間関係は少しずつラクになっていくはずです。
次回の第6回は、【トンネル効果の自己啓発】統計学的な「不可能」をすり抜ける、ブレイクスルーの起こし方をお届けします。越えられないはずの壁を粒子がすり抜けてしまう、量子力学の不思議な現象「トンネル効果」をヒントに、人生やビジネスで起こる「大逆転」や「突然の成長」の秘密を、行動の試行回数という視点から紐解いていきます。どうぞお楽しみに。
