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本音の翻訳機|すべての嘘が見える社会はなぜ息苦しいのか【5分後の未来の社会学 第5回】

5分後の未来の社会学
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今回のガジェットは「本音が見えるメガネ」

【5分後の未来の社会学 〜ショートショートで読み解く「テクノロジーの死角」〜】第5回です。

前回は、完璧すぎる休日に潜む「処理落ち」のお話でした。今回のテーマは「嘘」です。

「おいしいです」「また今度ぜひ」「とんでもない、お気になさらず」。私たちは毎日、こうした言葉を何気なく口にしています。でも、その言葉の裏にある本当の気持ちが、相手の顔の横に字幕で表示されるとしたら、どうでしょう。嘘のない、正直な社会は、本当に住みやすい社会なのでしょうか。

【物語】本音グラス

そのメガネは、発売と同時に大評判になった。

見た目はふつうの眼鏡と変わらない。しかし、かけて人と話すと、相手の言葉の横に小さな字幕が浮かぶ。声の調子、表情のわずかな動き、目の動き、脈拍の変化。それらを瞬時に分析し、言葉の裏にある「本当の気持ち」を翻訳して表示するのである。

最初に人々を熱狂させたのは、テレビの演説だった。

「国民の皆さまの暮らしを、何よりも第一に考えております」

〔次の選挙のことしか考えていない〕

街頭のテレビの前で、人々は手をたたいて笑った。ついに嘘のない時代が来たのだ。強引な訪問販売は姿を消し、怪しいもうけ話もすぐに見抜かれるようになった。新聞は「正直な社会の夜明け」と書きたてた。

エフ氏も、さっそく一つ買った。会社の営業部で働く彼は、取引先の本心がわかれば、仕事がはかどるに違いないと考えたのだ。

たしかに、はかどった。取引先が「前向きに検討します」と言えば、字幕は〔断る理由を探している〕と教えてくれた。むだな営業に時間を使うことはなくなった。

しかし、しばらくすると、様子がおかしくなってきた。

昼休み、同僚の手作り弁当を一口もらって「おいしいね」と言うと、同僚の顔がこわばった。エフ氏の顔の横には〔ふつう〕と表示されていたのだ。

結婚式に招かれた友人は、スピーチの最中に新郎のメガネに〔この話、早く終わらないかな〕と表示され、会場が凍りついた。近所の奥さんの「いつでも遊びにいらしてね」は〔社交辞令〕に、部長の「君には期待しているよ」は〔誰でもいい〕に変わった。

誰もがメガネをかけている以上、自分の本音も、相手に見られている。そう気づいた人々は、だんだんと口数が少なくなっていった。

何か言えば、本音がばれる。黙っていれば、ばれない。

やがて、会社の会議では誰も発言しなくなった。店員は「いらっしゃいませ」を言わなくなり、客は「ありがとう」を言わなくなった。家族の食卓でさえ、聞こえるのは箸の音だけになった。

商談はまとまらず、会議は何も決まらず、商店街の売り上げは落ちていった。静まりかえった街で、経済は少しずつ止まりはじめた。

半年後、メーカーが大々的な発表を行った。

「お客さまの声にお応えし、大型アップデートを配信いたします。新機能『建前フィルター』。相手の本音を、やさしく、角の立たない言葉に翻訳してお届けします」

アップデートをしたエフ氏が、おそるおそる同僚の弁当をほめてみると、字幕にはこう表示された。

〔おいしい〕

街に、少しずつ会話が戻ってきた。人々はふたたびお世辞を言い合い、社交辞令を交わし、「また今度ぜひ」と手を振って別れるようになった。

それは、メガネが発売される前と、何ひとつ変わらない光景だった。

ただひとつ違うのは、誰もが毎月、メガネの利用料を払っていることである。

【解説】嘘のない社会は、なぜ黙りこむのか

本音を読みとるメガネは架空の製品ですが、顔の表情や声から感情を推定するAIの研究や製品化は、すでに世界中で進んでいます。そして、私たちの社会が「ちょっとした嘘」に支えられていることは、心理学や社会学の研究からも見えてきます。ここからは、物語に隠れていた4つの論点を見ていきましょう。

1. 人は1日に何回嘘をつくのか――ホワイト・ライの研究

アメリカの社会心理学者ベラ・デパウロらは、1996年に発表した研究で、参加者に一週間、人と交わした会話と、その中でついた嘘を日記に記録してもらいました。その結果、大学生は1日に平均およそ2回、一般の社会人は平均およそ1回、何らかの嘘をついていたことがわかりました。

注目すべきは、その中身です。嘘の多くは、自分の得のためではなく、「相手を傷つけないため」「その場の雰囲気を守るため」の小さなものでした。手料理をほめる、気乗りしない誘いをやわらかく断る、といった嘘です。こうした悪意のない嘘は「ホワイト・ライ(白い嘘)」と呼ばれています。

一方、2010年に発表された別の調査では、嘘の回数は人によって大きく偏っていて、ほとんど嘘をつかない人が多数派である一方、ごく一部の人がたくさんの嘘をついている、という結果も示されました。誰もが四六時中嘘をついているわけではありません。ただ、思いやりから出る小さな嘘は、ほとんどの人が日常的に使っている「言葉の作法」だといえそうです。

物語のメガネは、その作法を一つ残らず「嘘」として暴いてしまいました。

2. 「表舞台」と「舞台裏」――本音と建前の社会学

アメリカの社会学者アーヴィング・ゴッフマンは、1959年の著書『日常生活における自己呈示』(邦題『行為と演技』)の中で、人間の社会生活を舞台にたとえました。

私たちは、職場や近所づきあいといった「表舞台」では、その場にふさわしい役を演じています。そして、家に帰ったり、気心の知れた友人と過ごしたりする「舞台裏」で、ようやく役を下りて素顔に戻ります。ゴッフマンは、この演技を「偽り」とはとらえませんでした。お互いの体面を守り、気まずさを避けるために、人々が協力して行っている大切な営みだと考えたのです。

日本語の「本音と建前」も、この表舞台と舞台裏の関係によく似ています。建前は、本音を隠すための仮面というより、人と人とがぶつからずに暮らすための緩衝材なのです。

物語のメガネは、表舞台にいるすべての人の舞台裏を、観客に丸見えにしてしまいました。演じる意味がなくなった舞台から、役者たちが去っていくのは、当然のなりゆきだったのかもしれません。

3. 感情認識AIの科学的限界――表情から心は読めるのか

物語では、メガネが本音を正確に読みとる前提で話が進みました。では現実に、表情や声から人の気持ちを正確に読みとることはできるのでしょうか。

アメリカの心理学者リサ・フェルドマン・バレットらの研究チームは、2019年、表情と感情の関係を調べた膨大な研究を検討した論文を発表しました。その結論は、「しかめっ面なら怒り」「笑顔なら喜び」のように、表情から感情を一対一で読みとれるという考え方には、十分な科学的根拠がないというものでした。人は怒っていても笑うことがあり、文化や状況によって、同じ表情が持つ意味も大きく変わるのです。

こうした懸念もあり、2024年に成立した欧州連合(EU)のAI規則では、職場や教育の場で人の感情を推定するAIの利用が、医療や安全上の目的を除いて原則として禁止されました。

つまり、現実の「本音翻訳機」は、物語のメガネよりずっと不正確になる可能性が高いのです。誤った字幕で「本音」を決めつけられる社会は、正確な字幕が出る社会よりも、さらに息苦しいものになるでしょう。

4. 完全な透明性が招く「萎縮効果」

物語の人々は、自分の本音も見られていると気づいたとたん、口を閉ざしました。これは「萎縮効果」と呼ばれる現象とよく似ています。萎縮効果とは、誰かに見られている、記録されていると感じたとき、人々が本来なら問題のない発言や行動まで控えるようになることを指します。

たとえば、2013年にアメリカ政府による大規模な通信監視の実態が報じられた後、テロ関連の言葉を含む一部のウィキペディア記事の閲覧数が目立って減ったことを示す研究があります。人々は、何も悪いことをしていなくても、「見られている」と感じるだけで、自分の行動にブレーキをかけてしまうのです。

また、アメリカのコミュニケーション学者ティモシー・レヴァインは、人間には基本的に「相手の言葉を本当だと受けとめる」という初期設定があり、それが円滑な協力関係を支えていると論じています。いちいち相手の言葉を疑っていては、会話も取引も成り立ちません。

すべての嘘が見える社会は、一見すると誠実な社会に思えます。しかし実際には、信頼して言葉を交わすという、社会のいちばん大切な土台を壊してしまうのです。物語のオチで、人々が月々の利用料を払ってまで「建前」を取り戻したのは、その土台の価値を、失ってはじめて思い知ったからなのでしょう。

まとめ:今日からできる小さな実践

正直であることは、もちろん大切です。ただ、正直さと思いやりは、ときに上手な手加減を必要とします。今日からできることを3つご紹介します。

  • やさしい建前を「技術」ととらえ直す:相手を傷つけないための言いかえは、ごまかしではなく、相手への敬意を形にする技術です。自分を責める必要はありません。
  • 本音は「時と場所と言い方」を選んで伝える:大事な本音ほど、表舞台ではなく、一対一の落ち着いた場で、相手が受けとりやすい言葉に包んで伝えましょう。
  • まず相手の言葉を信じてみる:「本当はどう思っているのだろう」と疑いはじめるときりがありません。相手の言葉をそのまま受けとる日を、意識してつくってみましょう。

本音を読みとる機械がなくても、私たちはもともと、相手の気持ちを想像する力を持っています。字幕に頼らず、相手の言葉と、その裏にある思いやりの両方を、受けとめてみてください。

次回予告

第6回は【隣のパラレルワールド】別の選択をした「もう一人の自分」を覗き見できる窓。あの時、違う道を選んで成功している自分の姿を、毎晩のぞいてしまう男の物語です。どうぞお楽しみに。

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