はじめに
「年を取ると、できないことが増えて寂しくなるばかりではないか」。そんな不安を感じたことはありませんか。ところが、高齢者の心を長く調べてきた研究からは、体の衰えとは反対に、心が穏やかで満たされていく人が少なくないことがわかってきました。その心の変化を表す言葉が「老年的超越(ろうねんてきちょうえつ)」です。
👇 本記事でわかる3つの重要ポイント 👇
- 【テーマ1】老年的超越の意味と提唱者が示した3つの次元
- 【テーマ2】日本人の老年的超越に見られる8つの特徴と研究データ
- 【テーマ3】サクセスフル・エイジングとの違いと、誤解しないための注意点
「元気で活動的に年を重ねる」というサクセスフル・エイジングの考え方を、もう一歩先へ進めたのが老年的超越です。ご自身の将来を考えたい方にも、親や祖父母との接し方に悩む方にも役立つ内容ですので、ぜひ最後までお読みください。
老年的超越とは?スウェーデンの社会学者が1989年に提唱した考え方
老年的超越とは、高齢期にものの見方そのものが変わり、お金や地位、見栄へのこだわりが薄れて、満たされた感覚が増していく心の変化のことです。英語では「ジェロトランセンデンス(gerotranscendence)」と呼ばれます。
提唱者はラーシュ・トーンスタム
この考え方は、スウェーデンの社会学者ラーシュ・トーンスタム(トルンスタムとも表記されます)が1989年に提唱しました。大阪大学の研究者による解説論文によると、トーンスタムは老年的超越を「物質的で合理的な世界観から、宇宙的で超越的な世界観への移行」と定義し、この移行にともなって生活の満足感が高まると考えました。
少しかみくだいて言うと、「損か得か」「勝ったか負けたか」で物事を測る現役時代の物差しから、「つながり」や「ありがたさ」を大切にする物差しへと、心の基準が自然に入れ替わっていくイメージです。
子ども時代と老年期は「U字形」でつながる
トーンスタムの理論には、興味深い見方があります。幼い子どもは「あなたと私」「今と昔」の区別がまだあいまいで、空想と現実を自由に行き来します。成長するにつれて、社会のルールに沿った「境界線」がはっきり引かれていきます。
そして高齢期になると、その境界線が再びゆるやかになっていくと考えられています。誕生から老年までの「超越」の度合いを並べると、U字形を描くというわけです。ただし、高齢期の超越は子どもの状態に戻ることではなく、長い人生の経験すべてを通ってたどり着く、まったく別のものだと区別されています。
トーンスタムが示した老年的超越の3つの次元
トーンスタムは、老年的超越を「宇宙的次元」「自己の次元」「社会と個人の関係の次元」という3つの側面から説明しました。言葉は難しく聞こえますが、中身は身近な心の変化です。
| 次元 | 主な変化 | わかりやすく言うと |
|---|---|---|
| 宇宙的次元 | 過去と現在の境界がゆるむ、先祖とのつながりを強く感じる、死への恐れが薄れる、人生の不思議を感じる | 自分は大きな命の流れの一部だと感じる |
| 自己の次元 | 自己中心性が弱まる、自分へのこだわりを超えていく | 「自分が、自分が」という気持ちが小さくなる |
| 社会と個人の関係の次元 | 表面的な付き合いへの関心が減る、ひとりの時間を前向きに求める | 広く浅い付き合いより、深く少ない付き合いを好む |
たとえば、ひとりで庭を眺めて静かに過ごすお年寄りを見て、「寂しそう」と感じる人もいるでしょう。しかし老年的超越の考え方では、それは孤立ではなく、本人にとって満ち足りた「積極的な孤独」である場合があるのです。
もともと高齢者の研究には、「年を取ると社会から自然に離れていく」とする離脱理論と、「活動を続けることが幸せにつながる」とする活動理論という、相反する考え方がありました。トーンスタムは離脱理論をめぐる議論をふまえ、高齢期の「離れていく」ふるまいを、衰えではなく心の発達として捉え直したのです。
日本人の老年的超越に見られる8つの特徴
日本では、東京都健康長寿医療センター研究所の増井幸恵氏らが、日本人の高齢者に合った「日本版老年的超越質問紙」を開発し、8つの特徴(因子)を明らかにしました。
この質問紙は、90歳代を中心とする10人の高齢者への聞き取りから作られ、65歳から99歳の在宅高齢者500人に実施されました。2010年に学術誌『老年社会科学』で発表された論文によると、分析の結果、次の8つがまとまりとして抽出されています。
| 因子の名前 | 主な内容 |
|---|---|
| 「ありがたさ」「おかげ」の認識 | 自分が他の人に支えられていると気づき、感謝の気持ちが強まる |
| 内向性 | ひとりでいることのよい面に気づき、ひとりでも孤独を感じにくい |
| 二元論からの脱却 | 善と悪、正しいと間違い、生と死、今と昔といった対立が意味を持たなくなる |
| 宗教的もしくはスピリチュアルな態度 | 神仏や死後の世界、「生かされている」感じなどを意識する |
| 社会的自己からの解放 | 見栄や自己主張、自分へのこだわりなど、世間に向けた自分から離れていく |
| 基本的で生得的な肯定感 | 生まれ持った自分を、根っこのところで肯定できる感覚 |
| 利他性 | 自分のことより、他の人のためを思う気持ち |
| 無為自然 | あるがままの状態を受け入れる |
日本人らしさが表れた「おかげさま」と「無為自然」
8つのうち「ありがたさ」「おかげ」の認識は、「おかげさまで」という日本語に代表される感覚です。また「無為自然」は、もともと老子の思想の中心にある言葉で、「頑張りすぎない」「足るを知る」といった生き方に通じます。
この調査では、85歳以上の超高齢者149人も分析しています。その結果、体の働きが落ちていても心の健康度が高い人たちは、「内向性」「社会的自己からの解放」「無為自然」の得点が高いことがわかりました。研究チームは、老年的超越の一部が、心の健康度の低下をやわらげるクッションの役割をしている可能性を指摘しています。
その後、2013年には改訂版の質問紙が作られ、地域に住む約1,800人分のデータで、同じ8つの構造が確認されています。
体は衰えても幸福感は下がらない?研究データでわかったこと
老年的超越が注目される大きな理由は、「年齢が上がるほど体の機能は落ちるのに、幸福感は下がらない」という意外なデータが積み重なってきたからです。
SONIC研究:70歳・80歳・90歳を追いかける大規模調査
大阪大学などが中心となって2010年に始めた「SONIC研究」は、70歳、80歳、90歳の高齢者を3年ごとに追跡している長期の調査です。大阪大学の権藤恭之教授の研究紹介によると、参加者は70歳群が1,229人、80歳群が1,213人、90歳群が807人にのぼります。
この研究チームはそれ以前の2005年に、85歳以上の超高齢者では、体の機能や日常生活の能力が下がっても心の健康は下がらないことを報告していました。SONIC研究でわかった主なことは、次のとおりです。
- 年齢が高いグループほど、老年的超越の得点が高い
- 同じ人を追跡すると、70歳から80歳にかけて大きく上昇し、80歳以降はあまり上昇しない
- 老年的超越はどの年齢でも心の健康と関係し、年齢が高いほどその結びつきが強くなる
「からだがわるいのに幸福感が高い」という現象
京都府亀岡市が公開している調査報告では、関西と関東の70歳・80歳・90歳の地域高齢者を比べた結果が紹介されています。運動機能や栄養状態、認知機能は年齢が高いほど低い一方で、幸福感やポジティブな感情、心の健康には年齢による差が見られませんでした。
また、亀岡市が実施した住民調査の報告では、年齢が高いほど老年的超越の得点が高く、女性のほうが男性より高い傾向があり、85歳以上の女性がもっとも高かったと報告されています。体と心の状態に「ずれ」が生まれるこの現象を説明するしくみの一つとして、老年的超越が研究されているのです。
なぜこうした変化が起きるのか
権藤教授は、日本心理学会のウェブサイトに掲載されたインタビューで、この変化には「経験」と「脳の生物学的な加齢」の2つが関わっていると考えられると述べています。年を重ねて機能が下がっていく過程の中で発達していくもの、という捉え方です。つまり、無理に身につける技術というより、長く生きることで自然に育っていく心の働きだと考えられています。
百寿者の言葉から見える老年的超越の姿
100歳以上の「百寿者(ひゃくじゅしゃ)」の言葉には、老年的超越の特徴がはっきりと表れています。
慶應義塾大学で長く百寿者を研究してきた広瀬信義氏は、雑誌『文藝春秋』2026年8月号の記事で、人は80歳を過ぎると老年的超越に向かって幸せ感を高めていくと語っています。記事では、105歳以上の男性の次のような言葉が紹介されています。
「若い頃の自分が大切だと思っていたことにこだわらなくなる。」(文春オンライン掲載の広瀬信義氏の記事より)
この男性は、ひとりに見えても地球とつながっている感覚がある、とも話しています。別の百寿者は、年を取るのは自然の成り行きで変えられないのだから、あれこれ悩んでも仕方がない、という趣旨の答えをしています。
また、総合情報サイト「サライ.jp」の記事では、増井幸恵氏の著書『話が長くなるお年寄りには理由がある』(PHP新書)の内容として、超高齢の人は悪い出来事があっても必ずしも気分が落ち込まず、穏やかに受け止める「感情の安定性」を持つ傾向があると紹介されています。出来事と気分を直結させない知恵のようなもの、と言えます。
サクセスフル・エイジングとの関係:もう一つの「幸せな老い方」
老年的超越は、サクセスフル・エイジングと対立するものではなく、その考え方を超高齢期まで広げる「もう一つのサクセスフル・エイジング」として位置づけられています。
サクセスフル・エイジングの3つの条件とその限界
サクセスフル・エイジングは「幸福な老い」とも訳される考え方で、アメリカで生まれました。代表的なのが、ロウとカーンが示したモデルです。日本心理学会のウェブサイトに掲載された解説によると、このモデルでは次の3つを満たす状態をサクセスフル・エイジングとしています。
- 病気や障害がないこと
- 高い認知機能や身体機能を保っていること
- 社会に参加していること
ところが、多くの高齢者は何らかの慢性の病気を抱えています。このモデルをそのまま当てはめると、ほとんどの高齢者、特に80代後半以降の人は「サクセスフルではない」ことになってしまう、という批判が出てきました。
2つの考え方を比べてみると
| 観点 | サクセスフル・エイジング(ロウとカーンのモデル) | 老年的超越 |
|---|---|---|
| 幸せの物差し | 健康、高い機能、社会参加 | 感謝、受け入れ、つながりの感覚 |
| 主な対象のイメージ | 元気で活動的な高齢者 | 体の衰えに向き合う超高齢者も含む |
| 体の衰えの捉え方 | できるだけ防ぎ、遅らせるもの | 受け入れたうえで心が発達していくもの |
大阪大学の解説論文でも、老年的超越は「もう一つのサクセスフル・エイジング」と考えられており、従来の考え方を問い直す手がかりになると期待されていると紹介されています。元気なうちはサクセスフル・エイジングを目指し、衰えを感じ始めたら老年的超越の視点で自分を受け入れる。2つはこのように、人生の時期に応じて補い合う関係と捉えると理解しやすいでしょう。
なお、発達心理学者エリク・エリクソンの妻ジョアン・エリクソンは、人生を8段階に分けた夫の理論に、80代・90代を想定した「第9段階」を加え、その段階で得られる心の特性を老年的超越だとしました。体の衰えや介護を受け入れること、同世代の友人を失った後の孤独といった厳しい現実に適応した先に、老年的超越があると考えたのです。
老年的超越を誤解しないための注意点
老年的超越は希望を感じさせる考え方ですが、「年を取れば誰でも自動的に幸せになる」という意味ではありません。正しく理解するために、次の点を押さえておきましょう。
- すべての人に現れるわけではない:大阪大学の解説論文でも、こうした兆しをまったく示さない高齢者もいると考えられる、と述べられています。
- 理論はまだ発展途上:大阪大学の解説論文では、老年的超越理論への評価はまだ定まっておらず、さらなる研究が求められていると指摘されています。
- 「引きこもり」と決めつけない:ひとりで静かに過ごしたり、機能回復に熱心でなかったりする姿は、周りから見ると心配なサインに映りがちです。増井氏の博士論文の審査報告では、こうした姿がこれまで心の不適応のサインとみなされ、その修正を本人や介護者に求めがちだったことが指摘されています。
- 落ち込みや体調の変化は見逃さない:一方で、食欲が落ちる、眠れない、何にも興味を示さないといった様子が続く場合は、心や体の不調のこともあります。
老年的超越による「穏やかな孤独」なのか、支えが必要な状態なのかを家族だけで判断するのは難しいものです。健康や心の状態には個人差が大きいため、気になる変化があるときは、かかりつけ医や地域包括支援センターなどの専門家・公的機関にご相談ください。
老年的超越に通じる、今日からできる心の習慣
老年的超越は経験と加齢の中で自然に育つものと考えられており、意識して身につける方法が確立されているわけではありません。それでも、その中身を知っておくと、年を重ねることへの見方がやわらかくなります。ここでは、8つの特徴に通じる考え方を、日常のヒントとして紹介します。
- 「おかげさまで」を口に出す:家族やお店の人など、支えてくれる人への感謝を言葉にしてみる
- ひとりの時間を味わう:散歩や庭仕事、読書など、ひとりでも満たされる時間を大切にする
- 見栄を少しずつ手放す:人と比べる場面で、「本当に自分にとって大事か」と問い直してみる
- 次の世代に渡す:経験や知恵を、子どもや孫、若い人に伝える機会をつくる
同じく日本心理学会のインタビューでは、聞き手の研究者が、あるがままを受け入れる「無為自然」や、善悪の対立にとらわれない「二元論からの脱却」は、今この瞬間に評価を加えずに注意を向けるマインドフルネスと共通する要素だと指摘しています。若い世代にとっても、老年的超越は「心を軽くするヒント」を含んだ考え方だと言えます。
もっと詳しく知りたい方には、専門家の話を直接聞く機会もあります。東京都の発表によると、東京都健康長寿医療センターは2026年11月13日(金)に、北とぴあ さくらホール(東京都北区)で第179回老年学・老年医学公開講座を開催し、増井幸恵氏も登壇します。概要では老年的超越もテーマの一つとして挙げられており、入場無料・事前申込不要とされています(2026年10月時点の情報です)。
よくある質問
老年的超越は何歳ごろから起こりますか?
はっきりした開始年齢は決まっていません。SONIC研究の追跡調査では、70歳から80歳にかけて大きく高まり、80歳以降はあまり上昇しないことがわかっています。広瀬信義氏は、80歳を過ぎると幸せ感が高まっていくと述べています。
老年的超越は「あきらめ」や「無気力」とは違うのですか?
違います。老年的超越は、こだわりが減る一方で、感謝やつながりの感覚、満たされた気持ちが増していく変化です。研究でも、心の健康と結びついていることが示されています。ただし、意欲の低下が続く場合は不調の可能性もあるため、気になるときは専門家に相談しましょう。
男女で違いはありますか?
京都府亀岡市の調査報告では、女性のほうが男性より老年的超越の得点が高く、85歳以上の女性がもっとも高い結果でした。ただし、これは一つの地域の調査結果であり、すべての人に当てはまるわけではありません。
若いうちから老年的超越を身につけることはできますか?
老年的超越は経験と脳の加齢の両方が関わって発達すると考えられており、若い人が意識して同じ状態になる方法は確立されていません。ただ、マインドフルネスと共通する要素があると指摘されており、感謝や受け入れを大切にする姿勢は、年齢に関係なく参考になります。
まとめ
老年的超越は、年を重ねるにつれて「損得」や「見栄」の物差しから離れ、感謝やつながり、あるがままを受け入れる気持ちが育っていく心の変化です。1989年にトーンスタムが提唱し、日本でも8つの特徴をもつ心の変化として研究が進んでいます。
- 体の機能が落ちても、幸福感や心の健康は下がらない人が多い
- 日本では「おかげさま」「無為自然」など、日本人らしい形で表れる
- サクセスフル・エイジングを補う「もう一つの幸せな老い方」として注目されている
- すべての人に現れるわけではなく、理論もまだ発展途上である
「年を取ること」は、失うことばかりではありません。まずは今日、身近な誰かに「おかげさまで」と一言伝えてみてください。それが、老年的超越の入り口にある「ありがたさ」の感覚を、自分の中で確かめる第一歩になります。
参考リスト
- 「楽しい記憶ばかりが残り、心配事がなくなる」100歳研究のトップランナーが明かす「老年的超越」とは?(文春オンライン)
- 百寿者が教える「年は取れば取るほど幸せになる」(文藝春秋電子版)
- 老年的超越理論に関する論文(大阪大学学術情報庫OUKA)
- ジェロトランセンデンス理論に関する論文(桜美林大学学術機関リポジトリ)
- キャリア・アダプタビリティと後期キャリア発達(文京学院大学リポジトリ)
- 心理的well-beingが高い虚弱超高齢者における老年的超越の特徴(老年社会科学・J-STAGE)
- 日本版老年的超越質問紙改訂版の妥当性および信頼性の検討(老年社会科学・J-STAGE)
- 増井幸恵氏 博士論文審査報告(東京都立大学機関リポジトリ)
- 超高齢社会を視野に入れた老年学の枠組みによる長期縦断研究SONIC(大阪大学)
- 高齢期の幸福感と老年的超越について(京都府亀岡市)
- 亀岡市住民の精神的健康と老年的超越の調査報告(京都府亀岡市)
- 権藤恭之氏インタビュー(日本心理学会)
- サクセスフル・エイジングに関する解説(日本心理学会)
- サクセスフル・エイジングとは(健康長寿ネット)
- 「今が一番幸せ」歳を取るほど幸せになる「百寿者の多幸感」とは【前編】(サライ.jp)
- 第179回老年学・老年医学公開講座 人生100年「社会参加」を再設計する(東京都)

