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【10月28日】世界アニメーションの日の由来|レイノーと光のパントマイム

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はじめに

テレビや映画館、スマートフォンで毎日のように目にするアニメーション。そのアニメーションに「誕生日」があることをご存じでしょうか。10月28日は世界アニメーションの日(国際アニメーションデー)です。今から134年前の1892年、フランスの発明家エミール・レイノーが、パリで手描きの動く絵をスクリーンに映し、お客さんに見せたことに由来します。

👇 本記事でわかる3つの重要ポイント 👇

  • 【テーマ1】世界アニメーションの日の由来と制定の経緯
  • 【テーマ2】光のパントマイムを映したテアトル・オプティークの仕組み
  • 【テーマ3】発明家エミール・レイノーの栄光と悲劇の生涯

記念日の基本から、映画より早く生まれた「動く絵の劇場」のしくみ、そして忘れられた発明家の物語まで、順番にご紹介します。読み終えるころには、いつものアニメが少し違って見えるはずです。

世界アニメーションの日とは?いつ・誰が決めた記念日か

世界アニメーションの日は、毎年10月28日に世界各地で祝われる、アニメーション芸術のための国際的な記念日です。2002年に、ASIFA(アシファ/国際アニメーションフィルム協会)が定めました。

英語では「International Animation Day」と呼ばれ、頭文字をとって「IAD」と略されます。日本語では「国際アニメーションデー」「アニメーションの日」と紹介されることもあります。ASIFA日本支部(ASIFA-JAPAN)の公式サイトによると、目的は世界中でアニメーション芸術を広め、発展させることです。2002年に始まったので、2026年は25回目の節目にあたります。

制定したASIFA(国際アニメーションフィルム協会)とは

ASIFAは、フランス語の「Association Internationale du Film d’Animation」の頭文字をとった名前です。1960年、東西冷戦のさなかに、アニメーションを通じて国と国との友好を深めようと設立されました。本部はフランスのアヌシーに登録されています。

設立にかかわったのは、カナダのノーマン・マクラレン(初代会長)や、チェコのイジー・トルンカなど、世界の名だたるアニメーション作家たちです。ASIFA-JAPANの説明では、現在およそ5,000人の作家や専門家が会員として活動し、世界に40を超える支部や拠点があります。

世界と日本での広がり

世界アニメーションの日には、各国の支部や文化施設が、10月28日の前後に上映会や展示、講演会、ワークショップ(体験型の講座)などを開きます。毎年、著名なアニメーション作家が公式ポスターを手がけ、そのデザインが世界中で使われるのも特徴です。

日本では、ASIFA-JAPANが2005年からこの記念日に参加しています。ASIFA-JAPANは1981年12月22日に設立された支部で、創立メンバーには手塚治虫さんや川本喜八郎さん、木下蓮三さんといった日本アニメーションの先駆者が名を連ねています。過去には京都、広島、野々市、厚木など各地で記念イベントが行われてきました。

由来となった1892年10月28日の「光のパントマイム」

記念日の由来は、1892年10月28日にパリで始まった「光のパントマイム」という上映会です。これが、手描きの動く絵をスクリーンに映して一般のお客さんに見せた、世界初の興行とされています。

フランス語では「パントミム・リュミヌーズ(Pantomimes Lumineuses)」といいます。パントマイムとは、せりふを使わず身ぶりで物語を伝える劇のことです。光で描いた登場人物たちが、スクリーンの上で無言劇を演じるという意味が込められています。

会場はパリの蝋人形館「グレヴァン美術館」

上映の舞台となったのは、パリの繁華街にある蝋人形館「グレヴァン美術館(ミュゼ・グレヴァン)」です。当時から大人気の娯楽施設で、館内の小劇場「キャビネ・ファンタスティック(不思議の部屋)」で上映が行われました。

宣伝ポスターは、フランスのポスター芸術の第一人者ジュール・シェレが描きました。このポスターは現在、ニューヨークのメトロポリタン美術館や東京都写真美術館などに所蔵されています。

上映された3つの作品と、にぎやかな上映スタイル

初日のプログラムでは、次の3作品が上映されました。

  • 『哀れなピエロ(Pauvre Pierrot)』:ピエロが恋するコロンビーヌのもとを訪れるが、いたずら好きのアルルカンに邪魔される物語
  • 『ビールを1杯(Un bon bock)』:田舎の酒場で旅人が注文したビールを、店の少年がこっそり飲んでしまう喜劇
  • 『道化師と犬たち(Le Clown et ses chiens)』:道化師と芸をする犬たちが登場する作品

上映はとても手づくりでした。レイノー本人が機械を操作して絵を映し、ピアニストのガストン・ポーランがこの上映のために作った音楽を生演奏しました。ときには助手が登場人物のせりふを声で当てることもあったそうです。いまのアニメにたとえるなら、映写・音楽・声優をすべてその場で生でこなす「ライブ上映」だったわけです。

上映は1日に何回も行われ、大人気となりました。英語版ウィキペディアなどによると、1900年3月までに1万2,800回を超える上映が行われ、50万人以上が鑑賞したとされています。

テアトル・オプティークの仕組み|映画より早く生まれた動く絵の劇場

光のパントマイムを映した装置は「テアトル・オプティーク(光学劇場)」と呼ばれます。レイノーが1888年に特許を取った発明で、のちの映画の映写機を先取りした工夫がいくつも詰まっていました。

おもちゃの「プラキシノスコープ」から始まった

出発点は、レイノーが1877年に発明した「プラキシノスコープ」というおもちゃです。円筒の内側に少しずつ違う絵を並べ、中心に置いた鏡を通して回転する絵をのぞくと、絵が動いて見えるしかけでした。フランス国立映画映像センター(CNC)の解説によると、プラキシノスコープで使える絵は8枚か12枚ほどで、同じ短い動きをくり返し見せるものでした。

レイノーはこれを改良し、絵を大きなスクリーンに映す「投影式」へと発展させます。そしてたどり着いたのが、500枚を超える絵を1本の長い帯に描き、途切れずに映し続けるテアトル・オプティークでした。

穴のあいた長い帯は「フィルム」のご先祖さま

テアトル・オプティークでは、絵をガラス板ではなく、透明なゼラチンの帯に1コマずつ手で描いて色を付けました。ロサンゼルス・カウンティ美術館(LACMA)の解説によると、帯はニスで補強され、回転するリールと鏡、2台の幻灯機(スライドを映す昔のプロジェクター)を組み合わせて映し出されました。2台のうち1台は動く人物を、もう1台は背景を映すことで、動くキャラクターを景色の中で演技させることができました。

とくに画期的だったのが、帯に等間隔であけた穴です。この穴に歯車をかみ合わせて帯を送ることで、絵がずれずに映ります。これはフィルムの穴(パーフォレーション)を使った、知られている限り最初の例とされています。現在の映画フィルムの両端に並ぶ四角い穴と、同じ考え方です。

『ビールを1杯』の場合、1枚約6センチ四方の絵がおよそ700枚、長さ約50メートルの帯に並んでいたと記録されています。絵の数は作品によって異なり、1本につき500〜700枚ほどでした。

3つの装置をくらべてみる

レイノーの発明と、のちに登場した写真式の映画をくらべると、テアトル・オプティークの位置づけがよくわかります。

装置 登場した年 絵の作り方 見せ方
プラキシノスコープ 1877年 手描き(8〜12枚ほど) のぞいて見る・短い動きのくり返し
テアトル・オプティーク 1888年に特許、1892年に公開 手描き・彩色(500枚以上) スクリーンに映す・物語のある上映
シネマトグラフ(リュミエール兄弟) 1895年に有料公開 写真で撮影 スクリーンに映す・実写の上映

表のとおり、レイノーの上映はリュミエール兄弟の映画より3年早く始まっています。しかも色が付き、物語と登場人物があり、音楽までそろっていました。写真ではなく絵だったため映画史では脇に置かれがちですが、「スクリーンで動く物語を有料で見せる」という興行の形を、いち早く実現していたのです。

発明家エミール・レイノーの栄光と悲劇

レイノーは、アニメーションの父の一人と呼ばれる人物です。しかし、その晩年は大きな成功とは対照的な、さびしいものでした。

職人の家に育った発明家

シャルル=エミール・レイノーは、1844年12月8日にパリ近郊のモントルイユで生まれました。フランスの科学ニュースサイト「テクノ・サイエンス」によると、父はメダル彫刻師で時計職人、母は水彩画を描く人でした。父から精密な機械づくりを、母から絵の技術を学んだことが、のちに「機械」と「絵」の両方が必要な発明につながります。13歳で影絵芝居の道具や小さな蒸気機関を作ったという逸話も残っています。

映画の登場と、セーヌ川に投げ込まれた作品

1895年、リュミエール兄弟のシネマトグラフが登場すると、人々の関心は写真で撮った実写映画へと移っていきます。1枚ずつ手で描くレイノーの方法は、手間がかかりすぎたのです。レイノーも写真を使った作品づくりに挑みましたが人気は戻らず、グレヴァン美術館での上映は1900年3月1日に終わりました。

失意のレイノーは装置を壊し、さらに作品の帯の大部分をセーヌ川に投げ捨ててしまいます。その時期は、1900年ごろとする資料と、1910年から1913年にかけてとする資料があり、説が分かれています。投棄を免れたのは『哀れなピエロ』と『海水浴場の脱衣小屋のまわりで(Autour d’une cabine)』のほか、わずかな断片だけでした。

その後、レイノーは立体映像のカメラなどの発明にも取り組みましたが、資金を集められませんでした。1918年1月9日、パリ近郊イヴリー=シュル=セーヌの施設で、73歳で亡くなっています。

再評価と「世界の記憶」への登録

忘れられかけたレイノーの功績は、のちに映画史の研究によって見直されました。残された帯は修復され、テアトル・オプティーク誕生100年にあたる1992年に記念上映されています。さらにCNCによると、光のパントマイムは2015年にユネスコの「世界の記憶」(歴史的に重要な記録を守る事業)に登録されました。そして2002年に、彼の初上映の日が世界アニメーションの日に選ばれたのです。

世界アニメーションの日の楽しみ方

この記念日は、専門家だけのものではありません。アニメーションが好きな人なら誰でも、自分なりの方法で楽しめます。

  • レイノーの『哀れなピエロ』の復元映像を探して見てみる(色付きで、物語のある約130年前のアニメーションを体験できます)
  • ASIFA-JAPANの公式サイトで、その年の記念イベントの開催情報を確認する
  • テレビシリーズではなく、海外の短編アニメーションを1本見てみる
  • パラパラ漫画を描いて、「少しずつ違う絵が動いて見える」原理を自分の手で確かめる

とくにパラパラ漫画は、レイノーがプラキシノスコープで追い求めた原理そのものです。ノートの端に10枚ほど絵を描くだけでも、134年前のパリの観客が感じた驚きを、少しだけ味わえます。

よくある質問

日本の「アニメの日」とは違うのですか?

違う記念日です。日本の「アニメの日」は10月22日で、1958年のこの日に日本初のカラー長編アニメーション映画『白蛇伝』が公開されたことにちなみ、一般社団法人日本動画協会の事業「アニメNEXT_100」が2017年に制定しました。10月28日の世界アニメーションの日は、ASIFAが定めた国際的な記念日です。

レイノーの作品は今でも見られますか?

セーヌ川への投棄を免れた『哀れなピエロ』と『海水浴場の脱衣小屋のまわりで』は、修復されて現在に伝わっています。復元映像が映画関係の機関や美術館の展示などで紹介されることがあります。ほかの作品は、ごく一部の断片を除いて失われています。

レイノーの上映が「世界初のアニメ」なのですか?

絵が動いて見えるおもちゃは、レイノー以前からありました。レイノーの上映が特別とされるのは、長い物語のある手描きの動く絵を、スクリーンに映して一般のお客さんに見せた最初の興行だからです。ASIFAもこの日を「アニメーションの誕生」として記念しています。

ASIFAの日本支部では何をしているのですか?

ASIFA-JAPANは、毎年の世界アニメーションの日の記念行事のほか、1984年から2020年まで、広島市とともに広島国際アニメーションフェスティバルを共催してきました。アニメーション作家どうしの国際交流や、作品の上映機会づくりに取り組んでいます。

まとめ

10月28日の世界アニメーションの日は、1892年にエミール・レイノーがパリのグレヴァン美術館で「光のパントマイム」を公開した日を記念して、2002年にASIFAが定めた国際記念日です。レイノーのテアトル・オプティークは、穴のあいた長い帯に500枚以上の絵を描いて映すという、映画フィルムを先取りした発明でした。

映画の登場によって忘れられ、作品の多くを自ら手放したレイノーですが、その挑戦は今のアニメーション文化へと確かにつながっています。今年の10月28日は、お気に入りのアニメを1本見ながら、「一枚の絵が動き出す」ことのすごさに思いをはせてみてください。まずは、ASIFA-JAPANの公式サイトで記念イベントの情報をのぞいてみるのがおすすめです。

参考リスト

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