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【11月2日】世界初のラジオ放送とテレビ定時放送の日|KDKAとBBCの物語

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はじめに

毎日あたりまえのように聞いているラジオや、見ているテレビ。その「放送」がいつ始まったのかは、意外と知られていません。実は11月2日は、世界初のラジオ放送とされる出来事と、本格的なテレビ放送の始まりが重なった、放送の歴史にとって特別な日です。

👇 本記事でわかる3つの重要ポイント 👇

  • 【テーマ1】KDKA局が大統領選の開票速報を届けた夜の舞台裏
  • 【テーマ2】BBCが始めたテレビ定時放送と、2つの方式が競った歴史
  • 【テーマ3】「世界初」をめぐる議論と、日本の放送が始まるまでの流れ

およそ100年前、屋根の上の小さな小屋や、ロンドンの丘の上の宮殿から、私たちの「当たり前」は始まりました。放送の誕生物語を、順番にたどっていきましょう。

1920年11月2日:KDKA局が世界初の商業ラジオ放送を始めた夜

1920年11月2日の夜、アメリカ・ピッツバーグのKDKA局が、大統領選挙の開票結果を電波で伝えました。アメリカの放送行政を担うFCC(連邦通信委員会)は、これを「広く最初の商業ラジオ放送と認められている」出来事として紹介しています。

放送したのは電機メーカーのウェスティングハウス社

KDKA局をつくったのは、ピッツバーグの電機メーカー、ウェスティングハウス社です。同社は1920年10月27日、当時の商務省航海局から、アメリカで最初の放送局免許を受けました。放送開始のわずか1週間ほど前のことです。

会社のねらいは、ラジオ受信機の販売を伸ばし、自社の名前を広めることだったとされています。番組を聞くための受信機を売るために、まず「聞く価値のある番組」を用意したわけです。ちなみに「KDKA」という名前に特別な意味はなく、たまたま次に空いていた呼び出し符号(局を見分けるための記号)だったそうです。

屋根の上の小屋から届いた開票速報

放送は、選挙当日の火曜日、午後6時に始まりました。スタジオは、イースト・ピッツバーグにある工場の建物の屋上に建てた、間に合わせの小屋でした。開票結果は、地元の新聞社「ピッツバーグ・ポスト」から電話で受け取り、アナウンサーのレオ・ローゼンバーグさんが読み上げました。

IEEE(アメリカに本部を置く電気・電子技術の学会)の記録によると、送信の出力は100ワット、波長は360メートルでした。放送は開票速報の合間に音楽をはさみながら、翌日の正午まで続いたといいます。

聞いていたのは約1,000人

地元テレビ局CBSピッツバーグによると、この夜の放送を聞いた人はおよそ1,000人でした。選挙はウォレン・ハーディング氏が勝ち、リスナーたちは新聞を待たずに結果を知ることができました。放送のあとには、ペンシルベニア州やオハイオ州、ウェストバージニア州の人々から「聞こえた」というはがきが次々と届いたそうです。

KDKA局が生まれた背景とその後の「初めて」

KDKA局は、ある日突然生まれたわけではありません。一人の技術者が続けていた無線の実験が、出発点になっています。

技術者フランク・コンラッドのアマチュア無線局

IEEEの記録によると、KDKA局の前身は、ウェスティングハウス社の技術者フランク・コンラッド博士が1916年に免許を受けたアマチュアの実験局「8XK」です。第一次世界大戦の間は放送を止めていましたが、コンラッド博士が流す音楽などが評判になったことから、会社が本格的な放送局づくりに乗り出しました。

次々と生まれた「放送の初めて」

KDKA局は、その後も新しい番組に挑戦し続けました。FCCやCBSピッツバーグの資料には、次のような「初めて」が記録されています。

  • 1921年1月2日:教会の礼拝を外から中継(初めての中継放送)
  • 1921年8月5日:プロ野球(パイレーツ対フィリーズ)の実況
  • 1921年10月8日:大学アメリカンフットボールの実況
  • 1922年12月4日:ラジオ放送専用の楽団「KDKAリトル・シンフォニー」が誕生

ニュース、スポーツ、音楽という、今の放送の柱になっている番組の多くが、このころすでに形になり始めていたことがわかります。

「世界初のラジオ放送」には別の説もある

KDKA局は「世界初」と紹介されることが多いものの、歴史家のあいだでは「何をもって最初とするか」で見方が分かれます。そのため「世界初とされている」という言い方がよく使われます。

たとえば、1916年11月7日には、ド・フォレスト社の無線局が、大統領選の開票結果を声で伝える放送を行っていました。また、アメリカの大学向けメディア教科書では、KDKA局を「一般に最初の商業放送局とみなされている」としたうえで、ほかのアマチュア放送局にも「最初」を名乗る根拠があると説明しています。

ここでいう「商業」は、今のようにCMで収入を得るという意味ではありません。政府から商用の放送局免許を受け、決まった時間に一般の人へ向けて番組を流した、という点が評価されているのです。百科事典ブリタニカも、KDKA局を「アメリカで最初のラジオ局として最もよく挙げられる」と紹介しています。

1936年11月2日:BBCが世界初の定期的なテレビ放送を開始

KDKA局の放送からちょうど16年後の1936年11月2日、イギリスのBBC(英国放送協会)がロンドンでテレビの定時放送を始めました。BBCや多くの資料は、これを「世界初の定期的な高精細テレビ放送」としています。

舞台は丘の上の「アリー・パリー」

放送の拠点になったのは、ロンドン北部の丘の上に建つ大きな建物「アレクサンドラ・パレス」です。地元では「アリー・パリー」の愛称で親しまれています。BBCは建物の一角を改装して2つのスタジオを設け、屋上に送信用の鉄塔を立てました。

放送が正式に始まったのは、月曜日の午後3時です。英国の科学メディア博物館によると、開局式では「この放送を見る人」を迎えるあいさつが行われました。アレクサンドラ・パレスの公式サイトは、この日を「世界が知るテレビが生まれた日」と紹介しています。

「高精細」とはどういう意味?

ここでいう「高精細」は、今のハイビジョンとはまったく別の基準です。テレビの画面は細い横線(走査線)を何本も重ねて絵をつくります。当時は、この線が240本以上あれば「高精細」と呼ばれていました。

実は、ドイツはその前年の1935年に定期的なテレビ放送を始めていました。ただしドイツの画面は180本の線でつくられていて、240本に届きませんでした。そのため、BBCの放送が「高精細としては世界初」と位置づけられています。

ベアード方式とEMI方式、2つのテレビの対決

BBCのテレビ放送は、2つの異なる方式を1週間ごとに交代で使うという、少し変わった形でスタートしました。この「対決」の結果が、その後のテレビの姿を決めることになります。

項目 ベアード方式 マルコーニEMI方式
開発者 ジョン・ロジー・ベアード氏の会社 マルコーニEMIテレビジョン社
走査線の数 240本 405本
しくみ 機械式(回転する部品で絵を分解) 全電子式(電子の動きで絵を分解)
結果 1937年2月に使用中止 イギリスの標準方式に採用

ベアード氏は、テレビの実験で早くから名を知られた発明家です。しかし機械式のカメラは動かしにくく、画質でも電子式に及びませんでした。英国の科学メディア博物館の年表によると、ベアード方式は1937年2月6日、テレビ諮問委員会の助言を受けて取りやめになりました。

こうして選ばれた405本の方式は、その後長くイギリスの標準となり、最後の405本方式の放送は1985年1月まで続きました。

テレビの台数はどのくらいだった?

放送が始まったころ、テレビはとても高価で、持っている人はごくわずかでした。英国のラジオ・テレビ史の愛好団体の資料によると、1937年1月末の時点で、イギリス国内で使われていたテレビは約400台です。

それが大きく伸びたきっかけは、1937年5月12日のジョージ6世の戴冠式でした。テレビ初の本格的な屋外中継が行われ、ロンドン周辺で9,000台のテレビが売れたと記録されています。

日本の放送はいつ始まった?

海の向こうで始まったラジオとテレビは、日本にも少し遅れてやってきました。日本の放送は、ラジオが1925年、テレビが1953年に始まっています。

日本初のラジオ放送は、1925年3月22日です。NHKの前身である社団法人東京放送局が、東京・芝浦の仮のスタジオから放送を始めました。この日はのちにNHKによって「放送記念日」とされています。愛宕山(現在の東京都港区)からの本放送は、同じ年の7月12日に始まりました。

テレビの本放送は、1953年2月1日の午後2時に、NHKが東京で始めました。講談社ブルーバックスの記事によると、開始時の受信契約数は866件、受信料は月200円でした。KDKA局から約33年、BBCから約17年後のことです。

年月日 出来事
1920年11月2日 アメリカ・KDKA局が大統領選の開票速報を放送
1925年3月22日 日本で東京放送局がラジオの仮放送を開始
1935年 ドイツが180本方式で定期的なテレビ放送を開始
1936年11月2日 イギリス・BBCが定期的な高精細テレビ放送を開始
1953年2月1日 日本でNHKがテレビ本放送を開始

2026年は節目の年:BBCテレビ放送開始から90年

2026年11月2日は、BBCのテレビ放送開始からちょうど90年にあたります。KDKA局の放送からは106年です。

ロンドンの地域紙ハリンゲイ・コミュニティ・プレスによると、アレクサンドラ・パレスでは、旧BBCのスペースなどを使って90周年を記念する催しが計画されています(2026年7月の報道時点)。最初の放送で歌手のアデル・ディクソンさんが出演したことなど、当時のエピソードにも改めて光が当たっています。

屋上の小屋から1,000人ほどに届いた声と、ごくわずかなテレビから始まった映像が、今ではスマートフォン1台で世界中の放送を受け取れる時代につながっています。11月2日は、そんな情報の旅の出発点を思い出すのにぴったりの日といえます。

よくある質問

KDKAという名前にはどんな意味がありますか?

特別な意味はありません。KDKA局を伝える地元テレビ局CBSピッツバーグによると、当時の割り当て表で次に空いていた呼び出し符号がたまたま「KDKA」だったそうです。

KDKA局の最初の放送でCMは流れたのですか?

今のようなCMで収入を得る放送ではありませんでした。「商業放送」と呼ばれるのは、政府から商用の放送局免許を受けて、決まった時間に一般向けの番組を流したためです。運営したウェスティングハウス社は、受信機の販売促進をねらっていたとされています。

BBCより前にテレビ放送はなかったのですか?

ありました。イギリスでは1929年からベアード方式の30本の実験放送が行われ、ドイツも1935年に180本方式で定期放送を始めています。BBCの1936年の放送は「240本以上の高精細な定期放送」として世界初とされています。

KDKA局は今もあるのですか?

あります。Wikipediaの情報によると、KDKAは現在もピッツバーグのAMラジオ局として放送を続けており、出力は5万ワットです。100ワットで始まった1920年と比べると、500倍の出力になっています。

まとめ

11月2日は、ラジオとテレビという2つの放送が、それぞれ大きな一歩を踏み出した日です。1920年、アメリカのKDKA局が屋上の小屋から大統領選の開票速報を届け、商業ラジオ放送の始まりとされる夜をつくりました。1936年には、イギリスのBBCがロンドンのアレクサンドラ・パレスから、世界初の定期的な高精細テレビ放送を始めました。

どちらも「世界初」には細かな条件や別の説がありますが、その後の放送の形を決めた出来事であることは間違いありません。今日ラジオやテレビをつけたときに、約100年前の小さな小屋や丘の上の宮殿を思い浮かべてみてください。興味がわいたら、NHK放送博物館(東京・愛宕山)のように放送の歴史を伝える施設を調べてみるのもおすすめです。

参考リスト

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