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- 【灯台記念日】1868年のこの日、神奈川県横須賀市の観音埼で、日本初の洋式灯台の工事が始まったことにちなむ日
- 【点字の日】1890年のこの日、石川倉次の考案した案が、日本の点字として採用されたことにちなむ日
- 【今日の六曜】赤口。正午ごろをのぞいて、注意が必要とされる日
はじめに
おはようございます。2026年11月1日、日曜日です。いよいよ11月、1年も残り2か月となりました。
今日は、暗い海を照らし続ける「灯り」と、指先で読む「文字」という、どちらも、人の暮らしを静かに支えてくれる2つの記念日をご紹介します。
今日の六曜は「赤口(しゃっこう)」
赤口は、六曜のなかで、昔から、お祝い事には向かないとされてきた日です。「赤」の字から、火や刃物に注意する日ともいわれ、正午ごろだけは吉とされる、という言い伝えもあります。
ただし、六曜は、昔から続く暦の習わしです。気にしすぎず、「今日は、火の元や、手元に気をつけて、ていねいに過ごそう」という、心がけの合図として、受け止めてみてください。
11月1日は「灯台記念日」
灯台記念日は、1868年(明治元年)11月1日に、神奈川県横須賀市の観音埼(かんのんざき)で、日本初の洋式灯台「観音埼灯台」の工事が始まったことにちなむ記念日です。海上保安庁が、1949年(昭和24年)に制定しました。
観音埼灯台は、開国によって、東京湾へ出入りする船が急に増え、潮の流れの速い浦賀水道で、夜の航行の安全を守るために建てられました。江戸幕府と、アメリカ・イギリス・フランス・オランダとの間で、1866年に交わされた取り決めで、洋式灯台の建設が決まったとされています。
設計を担当したのは、フランスの技術者、レオンス・ヴェルニーらです。ヴェルニーは、横須賀の造兵廠や、ドックなどの建設も指導した人物です。灯台は、起工からおよそ1年後の1869年2月11日(明治2年1月1日)に完成し、はじめて灯りがともされました。
実は、記念日の日付には、ちょっとした経緯があります。記念日ができたころは、「洋式灯台の導入は、文化の先がけ」という意味合いから、11月3日の「文化の日」に先立つ1日が選ばれた、と説明されていました。ところが、1970年(昭和45年)に『灯台百年史』をまとめる際に、観音埼灯台の起工日が、実際に11月1日だったと分かり、以後は、これが日付の由来とされるようになった、と伝えられています。
初代の灯台は、地震で傷んだり、倒れたりしたため、建て替えが重ねられました。現在の灯台は3代目で、1925年(大正14年)に再建された、白い八角形の灯台です。1998年(平成10年)には、「日本の灯台50選」にも選ばれました。
今日できることとして、「自分にとっての灯台」を、ひとつ、思い浮かべてみるのはいかがでしょうか。迷ったときに、変わらずそこにいてくれる人や、場所、習慣などです。それを思い浮かべるだけで、気持ちが落ち着き、原点に戻れる感じがします。
11月1日は「点字の日(日本点字制定記念日)」
点字の日は、1890年(明治23年)11月1日に、石川倉次(いしかわ くらじ)が考案した案が、日本の点字として採用されたことにちなむ記念日です。記念日を定めたのは、日本点字普及協会(神奈川県大和市)とされています。
点字は、もともと、19世紀のフランスで、ルイ・ブライユが考案した、指で触って読む文字です。縦3点・横2列の、合計6つの点の組み合わせで、最大64通りの文字を表します。
日本には、1880年ごろに、この点字が紹介されました。しかし、はじめは、日本語をいったんローマ字に置きかえて表す方法だったため、かな文字に合った点字づくりが、求められていました。1890年、当時の官立東京盲唖学校の校長・小西信八が、教員や生徒たちに、かな文字に向いた点字づくりを依頼します。3つの案が出され、同年11月1日の日本点字選定会で、石川倉次の案が、満場一致で採用されました。
石川の案は、五十音の構成が、いちばん理にかなっていると評価されました。のちの1901年(明治34年)には、「日本訓盲点字」として官報に掲載されています。石川倉次は、「日本点字の父」とたたえられています。
今日できることとして、身の回りで、点字を探してみるのはいかがでしょうか。飲み物の缶のふたの近くや、エレベーターのボタン、駅の案内表示などにも、点字がついていることがあります。見つけたら、そっと指で触れて、点の並びを感じてみてください。
まとめ
11月1日は、暗い海を照らし続ける「灯台記念日」であり、指先で読む文字の始まりを思う「点字の日」でもあります。
赤口の今日は、火の元や手元に気をつけながら、ていねいに、ゆったりと。穏やかな日曜日をお過ごしください。いってらっしゃい!

