今回のガジェットは「もう一人の自分が見える窓」
【5分後の未来の社会学 〜ショートショートで読み解く「テクノロジーの死角」〜】第6回です。
前回は、相手の本音が見えるメガネのお話でした。今回のテーマは「比較」です。
「あの時、別の道を選んでいたら」。人生の分かれ道を振り返って、そう考えたことのない人はいないでしょう。もし、別の選択をした「もう一人の自分」が今どう暮らしているかを、窓越しにのぞけるとしたら――あなたは、その窓のカーテンを開けますか。
【物語】隣の窓
エフ氏の書斎に、新しい窓が取り付けられた。
外の景色が見える窓ではない。壁に掛けられた額縁のような装置で、量子の不思議な性質を応用し、「別の選択をした世界線の自分」を映し出すのだという。
エフ氏には、ずっと気にかかっている分かれ道があった。若いころ、彼は絵描きになりたかった。美術学校の先生にも才能を認められていた。しかし、親に反対され、安定した会社勤めの道を選んだのだ。
スイッチを入れると、窓の中に一人の男が現れた。
髪に白いものが混じった、エフ氏と同じ年ごろの男。ただし、身にまとっているのは絵の具の染みたシャツで、背後には大きなキャンバスが並んでいる。画廊の主人らしき人物が、男に深々と頭を下げていた。
もう一人の自分は、画家として成功していたのだ。
その夜から、エフ氏は毎晩窓をのぞくようになった。
窓の向こうの自分は、海外で個展を開き、喝采を浴びていた。雑誌の取材を受け、若い画家たちに囲まれて笑っていた。一方、こちらのエフ氏は、変わりばえのしない会議と書類の山の中で、一日を終える。
「本当なら、あれが私の人生だったのに」
窓をのぞくたび、胸の奥に黒いものがたまっていった。夕食の席でも口数が減った。ある晩、小学生の娘がクレヨンで描いた絵を見せに来たが、エフ氏は「あとでね」と言ったきり、書斎にこもってしまった。
そんなある夜のことである。
いつものように窓をのぞくと、もう一人の自分は、広いアトリエに一人で座っていた。床には描きかけのキャンバスが散らばり、テーブルの上には冷えた食事が手つかずで置かれている。
そして男は、壁に掛けられた額縁のような装置を、食い入るように見つめていた。
エフ氏は思わず身を乗り出した。男が見つめる装置の中には、どこかの家の食卓が映っていた。湯気の立つみそ汁。くだらない冗談で笑い合う家族。クレヨンの絵を父親に見せようと駆け寄る、小さな女の子。
それは、エフ氏の家の、ありふれた夕食の風景だった。
窓の向こうの成功した画家は、その平凡な食卓を見つめながら、静かに涙を流していた。
エフ氏は呆然として、装置の説明書を引っぱり出した。最後のページの隅に、小さな字でこう書かれていた。
「本製品は、お客様に最高の視聴体験をお届けするため、無数に存在する世界線の中から、もっとも輝いて見える『あなた』を自動的に選んで表示いたします」
エフ氏はしばらく黙りこんでいた。それから、窓のスイッチを切り、娘の部屋のドアをノックした。
「この前の絵、まだ見せてもらってなかったね」
翌朝、窓は粗大ごみに出された。
回収に来たトラックの荷台には、まったく同じ形の窓が、山のように積まれていた。
【解説】なぜ私たちは「もう一人の自分」を羨んでしまうのか
別の世界線をのぞける窓は架空の製品ですが、私たちは毎日、似たような窓をのぞいています。スマートフォンの画面に映る、友人や知人、見知らぬ誰かの輝いて見える暮らしです。ここからは、物語に隠れていた4つの論点を見ていきましょう。
1. 多世界解釈をおさらい
以前の連載【日常に潜む量子力学】でも取り上げたように、量子力学の世界では、ミクロの粒子は観測されるまで、いくつもの状態が重なり合った形でしか表すことができません。では、観測した瞬間、選ばれなかったほうの可能性はどこへ行くのでしょうか。
この問いに大胆な答えを出したのが、アメリカの物理学者ヒュー・エヴェレット三世です。1957年、彼は、可能性が一つに絞られるのではなく、それぞれの可能性ごとに世界が枝分かれして、すべてが並行して存在し続けると考えることができる、という理論を発表しました。のちに「多世界解釈」と呼ばれるようになった考え方です。
ただし、この解釈が正しいとしても、枝分かれした別の世界を観測したり、行き来したりする方法はないと考えられています。物語の窓は、原理的にのぞけないはずの「隣の世界」をのぞけるようにしてしまった、いわば禁断の道具なのです。そして、のぞけないことには、それなりの意味があるのかもしれません。
2. 社会的比較理論――人は比べることで自分を測る
アメリカの心理学者レオン・フェスティンガー(第4回の「認知的不協和」でも登場しました)は、1954年に「社会的比較理論」を発表しました。人間には、自分の能力や意見が正しいかどうかを知りたいという欲求があり、はっきりした物差しがないときには、他人と比べることでそれを確かめようとする、という理論です。
比較には二つの向きがあります。自分より優れていると思う相手と比べる「上方比較」と、自分よりうまくいっていないと思う相手と比べる「下方比較」です。上方比較は「自分もああなりたい」という目標や励みになる一方で、劣等感や嫉妬の原因にもなります。
エフ氏の窓は、究極の上方比較の装置でした。比較の相手は他人ではなく、「同じ才能を持ち、別の道を選んだ自分自身」です。言い訳の余地がない分、他人と比べるよりも、はるかに残酷な比較になってしまったのです。
3. 上方反実仮想と「しなかった後悔」
「もしあの時、こうしていたら」と、現実とは違う可能性を思い描くことを、心理学では「反実仮想」と呼びます。今よりよい結果を想像するのが「上方反実仮想」、今より悪い結果を想像するのが「下方反実仮想」です。
この違いをよく表しているのが、コーネル大学の心理学者トーマス・ギロビッチらが1995年に発表した、オリンピックのメダリストの表情を分析した研究です。銀メダリストより銅メダリストのほうが、表彰台でうれしそうな表情を見せる傾向があったのです。銀メダリストは「もう少しで金だったのに」と上を見て、銅メダリストは「もう少しでメダルを逃すところだった」と下を見ていたためだと考えられています。
ギロビッチらはまた、後悔の研究でも知られています。人は短い期間で見ると「やってしまったこと」を後悔しやすい一方で、人生を長い目で振り返ると、「やらなかったこと」への後悔のほうが心に残りやすい、という傾向が報告されています。画家の道を「選ばなかった」エフ氏の後悔が何十年も消えなかったのは、まさにこのためでしょう。
4. SNSは「他人の窓」――選び抜かれたハイライトとの比較
物語のオチで明かされたのは、窓が無数の世界線の中から「もっとも輝いて見えるあなた」を自動で選んで映していた、という仕様でした。これは、私たちが日々のぞいているSNSの構造とよく似ています。
SNSに投稿されるのは、旅行先の絶景、手の込んだ料理、昇進や受賞の報告など、その人の暮らしの中のハイライトです。さらに、多くのサービスでは、反応の多い華やかな投稿ほど目に入りやすくなる仕組みが働いています。私たちは、他人の選び抜かれた一場面と、自分の何気ない日常のすべてとを比べてしまっているのです。
アメリカのミシガン大学の心理学者イーサン・クロスらが2013年に発表した研究では、若い世代を対象に一日に何度も気分を尋ねたところ、フェイスブックを使った後ほど気分が落ちこみやすい傾向が見られました。その後の研究では、特に、自分では発信せずに他人の投稿を眺めるだけの「受動的な使い方」が、嫉妬を通じて気分の低下につながりやすいという報告もあります(SNSの影響については、よい面も含めて研究者の見解が分かれています)。
そして物語のもう一つの仕掛けは、窓の向こうの成功した自分もまた、エフ氏の平凡な食卓を羨んでいたことでした。SNSで輝いて見える誰かも、画面の外では別の誰かを羨んでいるかもしれません。粗大ごみの山に積まれた無数の窓は、比べ合いには終わりがないことを物語っています。
まとめ:今日からできる小さな実践
比べる心は、人間が成長するための大切な原動力でもあります。比較に振り回されず、比較を味方にするために、今日からできることを3つご紹介します。
- 比べる相手を「昨日の自分」にする:他人や「選ばなかった道の自分」ではなく、昨日や一年前の自分と比べてみましょう。小さな前進が見えてきます。
- SNSは「眺める」より「交わる」:ただ眺めるだけの時間を減らし、知人に一言コメントを送るなど、交流のために使うと、比較の落とし穴にはまりにくくなります。
- 「選ばなかった道」のかけらを今の道で拾う:画家にならなかったエフ氏も、娘と一緒に絵を描くことはできます。あきらめた夢の一部は、今の暮らしの中で、形を変えて叶えられるかもしれません。
窓の向こうに見える誰かの人生は、いつも輝いて見えるものです。けれど、その誰かがうらやましそうに見つめているのは、もしかすると、あなたが「ありふれている」と思っている今日の暮らしなのかもしれません。
次回予告
第7回は【静かなる障壁】一切の「無駄」を排除した最適化都市の末路。絶対に遅刻しない自動運転車、先回りして出てくる食事。不満のひとつもない街で、なぜか人口が静かに減りはじめます。どうぞお楽しみに。

